「いい会社」の共通項
最初に紹介されたのが、長野県の寒天メーカーである伊那食品工業だ。
同社では「社員のやる気を引き出す経営」を強みとしている。やる気を引き出せば自ずと頑張ってくれると考え、そのために「地域との共生」「社員は家族」「情報の共有」を徹底。
「地域との共生では、仕事よりも地域行事を優先し、近隣の掃除を社員全員で行う。社員も家族という考えなので、絶対にリストラしないし、病気になったら献血なども当たり前に行っている」
そうした風土を作るのが情報共有で、「家族間で隠し事はいけない」との考えから経営情報はすべて公開。社員も「ガーデンにこんな花が咲いたのでお客さまに紹介しよう」と、プラスになると思うことは自発的に情報を発信している。
こうした成果からか、斜陽産業ともいえる寒天メーカーで、なんと48年間連続の増収増益。「日本でいちばん残したい会社」という本で紹介され、トヨタ社長も見学し経営を学んだという。
次が、岐阜県で電気・給排水・ガス設備資材を製造・販売する未来工業。創業者が作った劇団を前身とする話が有名で、14.6%という高い営業利益率ながら「残業禁止」を掲げ、「年間休日140日」「年末年始20連休」という驚きの数字が並ぶ企業である。
「中小企業なので大手のように高い給料が払えない。なら労働時間を減らそうと、社長が冗談交じりに話していた」そうで、前身が劇団という文化からか、「仕事よりも趣味を優先せよ」という雰囲気もあるらしい。
事業においては「新製品や改良品をどこよりも早く市場へ投入する」ことを重視。そのために、形式ばった「ホウレンソウ(報告・連絡・相談)」を禁止している。
これは「やらされ感で書く日報は時間がムダ。そんなことより担当が自分で考えて決断すれば、翌日には顧客へ返事ができる。開発がすぐにゴーサインを出して営業が翌日には動く。そのスピードと発想で競合と差別化を図る」からで、グループウェアは新製品の情報に特化した日報として全社員が活用。社内にコピー機は一台だけと、ペーパーレス化も進めているという。
最後が、大阪の東海バネ工業。バネ1本からのフルオーダーメイドが事業の特徴で、自動車や家電などの量産品には目もくれず、スカイツリーの超巨大バネから、1個6000円のドアバネまで、すべてを受注生産。その「多品種微量生産」を強みに、一品物バネの世界トップシェアの企業だ。
同社も社員を大切にしており、有給取得率が100%で、定時帰りが基本という。「会社のためではなく、自分のため、お母ちゃんや子供のために働け」という考えで、平均給与も地域平均よりかなり高いらしい。また、「地方」をハンディキャップとせず、「地方で評判の会社になれば地方でいちばんの人材が採れる」と、むしろ強みと捉えているという。
同社でも、すべての情報を公開。社長のスケジュールも例外なく、飲み屋の領収書までもファイルサーバーに置かれているという。稟議書や経営情報、設計マニュアルや他設計に必要な資料もすべて見たい時に見られるようになっており、コミュニケーションの迅速化を徹底している。
そのおかげか、すべてオーダーメイドなのに納期順守率は99.98%。製造業の常識を超える粗利率43%、69期連続黒字を達成している。
では、これらの会社の共通項は何だろうか。野水氏は「オープンで自発的な情報の共有」「社員のプライベートの充実」「地域の結びつき」の3点を挙げる。
「地方でオンリーワンの実績を持っているいい会社は、まず、やる気のある社員、自発的に働く社員を作る。そのためには環境を良くして、社風をオープンにする。これが基本。そのためにクラウドを使い、色んな制度を作ろうとしている。さらに休暇をしっかり取るなど、社員がプライベートを充実できるようにし、地域と結びついている。ほとんどでこれらが共通している」(野水氏)
チーム・ワークスタイルを変革せよ
地域単位で働き方が変わった例もある。年間3000万円の赤字だった市営診療所を引き取り、4カ月で黒字化した医療法人ゆうの森の事例だ。患者の人生まで責任を持つ覚悟で、在宅医療、在宅看護、訪問介護、栄養指導、リハビリ、ケアプランなどの情報をすべての関係者で共有する「地域医療連携」を実現している。
会社の情報共有を目指してきたサイボウズにとっても、こうした地域を超える活用は驚きだったようだ。「我々の想定を超える活用法をユーザー自身がどんどん考え出している」と青野氏は述べている。
ここまでを踏まえた上で、ワークスタイルの変革とは――?
野水氏は「会社のチームワークをリデザインすること」だと語る。「これまでの“みんなでいっしょ”という価値観を“離れていても心は1つ”に変えて、距離の制約を解き放つことだ」と。
働き方は確実に変わりつつある。変化が緩やかなため、ともすれば気づきにくく焦れたりもするが、親の世代の働き方と比べれば、その違いは歴然だ。この流れはもはや不可逆的だろう。今までと同じように緩やかに、あるいは認識さえ変わってしまえば、実際の変化は案外速やかに進んでいくのかもしれない。