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MEDIVERSEプレ座談会

Facebookと電子出版のこれからを考えてみましょうよ!

2011年01月26日 09時00分更新

文● 中西祥智/アスキー総合研究所

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 新旧のメディアはこれからどうなるのか。すでにさんざん議論されてきたテーマではあるが、その最先端にいる人々による実践的な講義や、参加者同士の議論の場として、一般社団法人メディア事業開発会議(MEDIVERSE:メディバース)は1月28日から、「次世代メディアビジネスプログラム」を開始する。

第1回は、200万部の大ヒット作『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』を企画した編集者、加藤貞顕氏によるワークショップです。詳細は以下を参照。
『「もしドラ」編集者が分析する200万部ヒットの理由(MEDIVERSEワークショップ開催)』

 次世代メディアビジネスプログラムではどういったテーマを扱い、MEDIVERSEは何を目指していくべきか。チーフディレクターを務める慶應義塾大学の増井俊之教授(POBoxの開発者としても著名)、ニュースサイト「ワイアードビジョン」代表取締役の竹田 茂氏、そしてアスキー総合研究所 遠藤 諭所長の3名が語った内容を掲載する。

分析的ではない視点からの議論を

遠藤 「MEDIVERSEキックオフ」イベントは盛況でしたね。なんであんなにお客さんが来たんだろうというくらい。

竹田 Facebookがフックになりましたからね。最近、Facebookについて思うことは、「よくできた左ハンドルの車」だなと。そういう細かいデリケートなところに、日本人は馴染みやすい/馴染みにくいで反応したりするんじゃないですかね。

遠藤 Facebookについては色々と語られていますけれども、勢いがあるとか、何が出来るとか何が凄いとか、日本のSNSはどうするんだとか、そういうことが議論されているわけですが、もう少し引いた視点で眺めることも必要ではないかと思うのですよね。

 たとえば、Facebookがなぜ成功したのかというと、Friendster以降、さまざまなSNSが登場して、MySpaceやmixiのように成功を収めたところも多い。けれども、ネットのトレンドが大きく変化してきて混沌とした状態になったとき、その鍋の中からちょうど飛び出してきたのがFacebookだと思うのです。その変化とは「リアルタイム性」というものです。ちょうどそのタイミングで再設計してスタートしたから、成功したんだと思うんです。そのくらいの視点の議論のほうを求めている人たちも、少なくないんじゃないでしょうか。

竹田 いまだと、日本のIT産業はなぜ駄目なのかとか、そういうのが多いですね。なぜそういう分析的な議論しかできないのか? という話ですね。

遠藤 そうそう。何をしたらいくら儲かりましたという議論も、実際にそれに関わる人たちにはもちろん重要なのですけれど、みんながそういう話だけに集中していても仕方がないでしょう。そうしたファクトを正確に追うことも重要なことなんだけれど、それが可能であるためには何が必要なのか、どう考えるべきなのかといういちばん大切なところを、MEDIVERSEでは議論できたらいいと思っています。

竹田 成功事例を取り上げてきて、後付けで話をするのは誰でもできます。電子書籍ブームについても、分析的な議論しかしていないっていう部分もある。

遠藤 いまいちばん興味深いのは、やはりソーシャルメディア上で知識や情報や感情がどうやりとりされているかということですよね。電子書籍は、イヤでもそれと比較されなければならない。

 そうなると、なにしろソーシャルメディアのほうが自由度が大きいわけで、なんでもできちゃうという部分がある。中途半端に電子書籍をソーシャル化することよりも、いま価値を持っている書籍というパッケージとはそもそも何なのかというところから入るべきなんです。

増井 それを含めて、電子出版なんじゃないんですか?

遠藤 だったら、出版っていう言葉を使わなければいいんですよ。出版物というのは「これで出来た」ということなので、それぞれの価値を考えるべきです。

竹田 テキストがデジタルになると、どこにでもあるという状態になってしまう。で、紙に印刷される資格があるものは、その中の一部だということじゃないんですかね。

増井 でも、電子出版のよいところは、誰でも出版側になれるところですよ。

竹田 需要が少ないけれども、特定の人にとっては非常に有用なコンテンツがあるとすると、そういうものは何らかのかたちをとって流通させればいい。そういうのを出版と呼んでもいいと思います。一方で、広く受け入れられるものは、紙にしてよいんじゃないかということです。既存の出版物があって、それを電子化するとどうなるって議論は、順序が逆なんだと思う。

プロセスも含めた全てが出版というもの

遠藤 出版については、「出版ゲーム論」みたいのがあってですね。たとえば、出版社から著者に「本を書いてほしい」という連絡が来るわけです。そこで、近所の喫茶店で会う。そうすると、考えうる限り最低な編集者がやってきたりするわけですよ。「こいつ俺の本を本当に読んでるのか?」みたいなね。ただ、そこを我慢して企画にしてもらう。すると今度は、その編集者の上司がさらに最低なコメントを付けてきたりするんです。

 でも、要するにプロセスが重要なんです。そういう編集者であっても、来なければ何も始まらなかった。来てくれたことで、著者も編集者にも行為が発生するわけです。編集だけでなく出版企画会議とか、デザイナーとか校正さんとか、営業部門からは「こんな書名にしてほしい」という要望もあったりして、本来自分が作りたいと思った本とはかなりかけ離れたものが出来上がることもあります。

 しかし、ここで行われた行為が無駄だったかというと、後で考えるとそうでもない。黙っていれば発言もされなかったことが、まとめられて表現物になる。自分の頭の中とか、世の中とかにざわめきのようにただ存在していた情報や考えが、そういったプロセスを経て、ギュギュギュッと固められたダンゴのようなものになる。結果に納得してないのは自分だけで、それが世の中に求められているものなのかもしれない。これが出版です。

 だから、わたしは『KAGEROU』の一連の出来事なんかは、とても出版的なことだと思うんですよね。そういう一連のことを、大袈裟に言えば金属を採掘して、そこからインクを作って、貴重な森林資源を伐採して紙ってものをつくり、刷って、綴じて、環境を壊しながら全国の書店に運んでるわけです。

竹田 そのコストを負担するに値するものが出版だと。

遠藤 そう。だから電子出版についても同じことで、この出版ゲームをやるに足ることができるような仕組みが用意できるかにかかっていると思います。少なくともわたしは、電子出版というのは、みんながその本の気に入ったところにマークを付けることができてお互いに参照できる、なんてものではないと思い始めています。ソーシャルメディアに勝つくらいの強烈なアイデアが、ほんの少しでも出せたときに、初めて電子出版というものは意味を持つ。それに足るものが、電子書籍になるべきなんです。

竹田 となると、ネットに流れているコンテンツのかなりの量は、コストを負担するに値しないってことじゃないですか。

遠藤 でも、それはそれで素晴らしいわけですよ。ブログメディアやソーシャルメディアは、人間の知恵がぶつかりあって新しいものを生産するシステムですからね。それを超えられない電子出版なら、単なる環境対策や便利にすぐ読めるという以上のことはやらないほうがいいかもしれない。むしろ、周辺のシステムを固めることのほうが重要かもしれないし、その中からすばらしいアイデアが出てくる可能性だってある。

竹田 そういう新しい生産システムをつくりだす力が、いまの出版社側にあるかということですね。

遠藤 そもそも、そういうものだと気づいていないかもしれません。

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