Mr.ウォーカー・玉置泰紀がキーマンに聞く「新しい街づくりのOS」 第5回

【吉見俊哉氏×柳与志夫氏】「知の菌」が発酵する街、神保町。AI時代の身体性を呼び覚ます「都市のリデザイン」

文●玉置泰紀(エリアLOVEウォーカー総編集長)

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【新旧の融合】「古本まつり」×「ZINEフェス」が起こす化学反応

街歩きと「地図」の進化:メディアの原型への回帰

玉置: 吉見さんに伺いたいのですが、こういったアプリのような取り組みの傍ら、リアルイベントもすごく精力的にされていますよね。神保町の出版クラブホールで2026年1月18日〜19日に開催された神保町展覧会「Zine & Book フェス in 神保町」には若い人が驚くほど集まった。大々的な宣伝もしていないのに、出版クラブビルがあれだけの熱気に包まれたのは非常に新鮮でした。

吉見: そうですね、私も同感です。

玉置: 並んでいるZINE(ジン)も、同人誌というよりはもっと原点回帰的な面白さを感じました。本のイメージとしてはいかがですか?

吉見:その前に先ほどのデジタルの話に戻ると、柳さんたちが開発しているシステムも、基本は「地図」だと思うんです。バーチャル空間にリアルを持ち込もうとすると身体性が抜けてしまいますが、リアルな空間にメディアを持ち込もうとしたとき、最も原型的なメディアはやはり地図です。 書物は書斎で静かに読む深みがありますが、地図は街を見ながら歩くためのもの。地図は、メディアをリアルな街の中に持ち込む基本形です。

「Zine & Book フェス in 神保町」の様子

「Zine & Book フェス in 神保町」の様子

「Zine & Book フェス in 神保町」の様子

「Zine & Book フェス in 神保町」の様子

「Zine & Book フェス in 神保町」にて、吉見俊哉氏と鹿島茂氏(フランス文学者)の「神保町・本の文化のこれから」についてのトークショーの様子

「東京時層地図」から「聴く地図(ラジオ)」へ

吉見: 最近は「東京時層地図」や「今昔マップ」のようなアプリがあって、街を歩きながら古地図を見ることで「今、過去の都市の中では自分がどこにいるのか」という新たな認識を与えてくれます。柳さんの試みも、この神保町の「地図」の進化系なのだと思います。では、その先の進化系は何か。私は「ラジオ」だと思っているんです。街を歩くとき、視覚空間は安全のために空けておかなければならない。歩きスマホはやはり危険。別のバーチャルなもので視界を塞いではいけません。視覚的な地図には限界がありますが、聴覚なら街へのまなざしを塞がない。GPSと連動して、特定の場所に行くと解説が流れる「耳で聴く地図」こそ、デジタルベースの進化系ではないでしょうか。

 かつてのメルカトル図法などは、全地球で通用する普遍的な空間認知を目指しました。しかし今起こっているのは逆で、もっとプリミティブ(原始的)な、特定の地域に適した「ローカルな地図の技法」への回帰です。 神保町には神保町の、玉川上水には玉川上水の、それぞれの場所に最適化(ローカライズ)された地図の描き方がある。普遍化とは異なる、複数形のデジタル地図の時代が来ていると感じます。

空爆論とメディアの身体性

吉見: 私はある時期からネット空間そのものの内部の研究には興味を失ってしまいました。バーチャルな世界自体から本当に新しいものが生まれてくるという気がしない。むしろ、私たちが身を置くこの地球、大地、都市、そうしたフィジカルな空間に、メディアはどのように関与してきたのかを考えてきたように思います。ですから、たとえばデジタルメディアが「街歩き」にどう使われるかとか、あるいは身体と空間をどう繋ぐかに興味があります。以前、『空爆論 メディアと戦争(クリティーク社会学)』(2022年、岩波書店)という本を書きました。これは空爆を「メディア行為」として分析したものです。つまり、今日の軍事技術はメディア技術であり、このメディアが多くの人々の命を奪います。

【吉見俊哉『空爆論』の視点】

空爆のメディア性 上空からの眼差しで地上の標的を可視化し、一方的に支配・破壊する行為。

視覚のテクノロジー カメラ、GPS、ドローン。これらは軍事技術であると同時に、私たちの「視覚」を規定するメディアでもある。

マクルーハン的視点 爆撃して多くの人を殺すという行為も、ある種のマクルーハン的なメディア論として捉えることができる。

 このように、身体とメディアと空間の繋がりを考えることは、新しい「地図論」を構築する上でも非常に面白いテーマだと思っています。

吉見俊哉『空爆論 メディアと戦争 (クリティーク社会学)』

ZINE、菌、そして都市の「発酵」

玉置: 身体性の話で言えば、神保町で「ZINEフェスティバル(ジンフェス)」を開催した際、宣伝もそれほどしていないのに、リアルな場にあれだけの熱量が立ち上がるのは新鮮でした。

吉見: デジタル化で私たちのメディア・コミュニケーションは、「双方向(インタラクティブ)」「視聴覚的」「ネットワーク化」という構造的局面に移行しました。その象徴がパーソナルな表現であるZINE(ジン)です。 ただ、一方で懸念もあります。個人の「親密圏(ミクロコスモス)」が無数に増殖していく一方で、「大宇宙(社会全体)」はどこへ行くのか。ジンフェスの賑わいは素晴らしいですが、個の集合体は必ずしも「社会」にはなりません。これはデュルケームも指摘したことですが、社会や公共圏(パブリック・スフィア)は、個人的な自由とは少し別の次元に成立するものです。

 神保町という街全体を一つの「ライブラリー(公共図書館)」だと捉えたとき、無数のZINEが繁殖する「森(生態系)」全体をどうデザインし、公共性を維持していくのか。私たちは今、そのデザインの次元を問われているのだと思います。

完成品としての「本」と、バラバラになる「デジタル」

吉見: 神保町の成り立ちを遡れば、大学という知の拠点があったからこそ出版が興り、本屋が集まりました。そこへ学生や知識層が惹きつけられたことで、三崎座のような芝居小屋や、日本初の映画館である錦輝館といった文芸全般の文化が花開いたわけです。しかし、時代の変遷とともに芝居や映画は街から姿を消し、現在は「本」そのものも非常に厳しい状況に置かれています。

 本というメディアの特性は、それが「完成品」であるということです。これは強みでもありますが、デジタル化の文脈では弱点にもなり得ます。本来、デジタルで情報を扱う意義はコンテンツを「バラバラにして再構成できること」にありますが、出版社はその崩壊を極度に恐れています。結果として、無理やりパッケージのままデジタルに閉じ込めた「電子書籍」という形態に留まってしまい、デジタルの真の強みを活かしきれていないのが現状です。

動物的な「本」から、植物・菌類的な「ネットワーク」へ

: これまでの「本」の在り方を例えるなら、それは個体として存在し、死んだら終わりの「動物」に近いものでした。しかし、最新の植物学の知見に目を向けると、植物は一見枯れても地下では根っこが広大に広がり、他の木と密接に繋がっています。

吉見: まさに南方熊楠(みなかたくまぐす)が説いたような世界ですね。

: その典型が「菌(キノコ)」です。菌類には個体としての明確な「生」や「死」の境界がなく、地下の菌糸ですべてが繋がっています。スタニスワフ・レムの『惑星ソラリス』に登場する知性を持つ海のように、すべてが巨大な一つの生命体として存在している。そこから必要に応じて、思念が死んだ妻や家といった形となって現れるようなイメージです。

ZINEという「知的菌類」と制作過程の重視

: この視点に立つと、ZINE(ジン)というメディアは非常に「菌」に近い存在だと言えます。あちこちにポコポコと現れては消えますが、決して一つの形に固着することなく、また別の場所で広がっていく。物質的な菌としてのZINEと、バーチャルな菌としてのデジタルは、知的な部分で深く繋がっています。

玉置: 蜂が花粉を運ぶように、菌と菌が繋がって新しいものを作っていく。好き勝手に作られているZINEには、そんな「菌化する都市」の可能性があるのかもしれません。

: 実際、私が大学で行なったプロジェクト「ビヨンドブック」でも、最終的な結論は「電子ZINE」に行き着きました。電子ZINEには「完成」という概念がありません。ネットワークを通じて次々と繋がっていくため、永遠に完成しないのですが、時として形にしたくなったときにパッケージ化すればいい。

 重要なのは「成果(結果)」としての本よりも、それを作っていく「過程(プロセス)」や「知の体系」そのものです。これまでの出版文化は結果ばかりを重視してきましたが、制作の経過や、世に出した後の動的な変化までを楽しむ。そうした流れを作れる場所として神保町を再構築できれば、古書店の新しい在り方が見えてくるはずです。

菌を培養する「プレパラート」としての神保町

玉置:知の菌を培養する「プレパラート」としては、神保町はバッチリな場所なわけですよね。

:そう、神保町は「菌を培養するプレパラート」なんです。先日、神保町のアート資源チームでフォーラムを開催した際、「本の街からアートの街へ」というコピーを掲げたのですが、参加者から「神保町はアートを『育てる』街だ」という声が上がりました。本の街である以上に、本や人を育てる場所。木の幹にシイタケが宿るように、神保町は常に何かが発酵している場所であるべきです。

「発酵する図書館」と近代の潔癖症

吉見:その発想を広げれば、これからの図書館は「発酵する図書館」を目指すべきかもしれません。そこら中に知の菌が増殖し、培養されているような空間です。疫学的な知見でも、多様な菌を取り込んでいる人の方がアレルギーに強く健康であると言われます。

 翻って、近代社会は極端な「潔癖症」の社会でした。プロテスタンティズムやピューリタニズムに象徴される潔癖への志向は、突き詰めれば化石化した資本主義の精神や、ナチスが標榜した極端な健康志向・自然崇拝といった排除の論理に行き着いてしまいます。

玉置:潔癖な近代のシステムから漏れ出すような、ある種の「雑菌」が混じり合う空間。獄中にいるようなマルキ・ド・サドといった存在に意味があるということですね。

吉見:まあ、獄中で菌がどのくらい育ったかは分かりませんが(笑)。ただ、そこにはフーコー的な権力が強く作動していた気もします。そうした規律訓練化に対し、「発酵」や「培養」という視点こそが、これからの知の空間を考えるヒントになるはずです。

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