【デジタルの活用と身体性】「知の地理学」を歩く
「検索」では辿り着けない、背表紙の迷宮と身体的記憶術(アート・オブ・メモリー)
玉置: 今のお話を受けて、ということになりますが、最初に大きな理念のお話を伺い、続いてもう少し具体的なお話を伺いました。そこで神保町の特殊性というか、面白さといった話題が出てきたわけですが、吉見さんからご覧になって、神保町という「街」あるいは「場所」の特異性についてはどうお考えでしょうか?
吉見:神保町に古書店や書店、出版社が世界的に見ても稀なほど集中している原因は明白です。それは、やはり「大学」です。明治日本において、官立も私立も圧倒的に神保町周辺に大学が集中していた。 東大、東京外国語大、一橋大、学習院、少し離れて高等師範。私立なら、明治、中央、法政、専修、日大……。 これほどの大学が集まっていたからこそ、学生が圧倒的に集まった。神保町はそもそも「大学都市」であり「学生街」です。この「学生街」というのが、神保町にこれだけ書店や出版社が集まった根本原因です。ですから、昔の学生たちは、今の学生よりもはるかに熱心に本を読んだのです。
玉置: 大学があるから本屋が集まり、学生たちのための書店が発展した。 そして先生も学生もいたから、出版社も神保町の周りに集中した。 非常に便利で、理にかなった地理関係ですね。
吉見: デジタル以前の時代ですから、この地理的な近さが非常に重要でした。しかし、やがて大学は、東大が本郷、一橋が国立、法政や中央は八王子方面へ、外語大は西ヶ原からもっと遠くへと離れていきました。とりわけ大学紛争を経て理系がどんどん郊外の広大なキャンパスを目指し、大学都市としての神保町は空洞化していく。1970〜80年代からは、その中でどう古書店街が生き残るかという困難に直面し、その後に地価高騰や再開発の波も襲ってきました。つまり、神保町の危機とは、ある種の日本の「知」のあり方の危機でもあったわけです。かつての学生街がそのまま復活することはないでしょうが、知のあり方が変わった今、21世紀的な「知」が街とどう相互作用するのか。 そこにおいて神保町の「場所性」や来街者の「身体性」という問題が出てくるのだと思います。
玉置: なるほど。デジタルで済まない具体的な空間、書店や図書館といった場所の中で、どう「知」を演出するかということですね。
吉見: ちょっと話が飛ぶようですが、僕の研究室での工夫をお話しします。本棚を勝手に増設できないので「吉見置き(吉見式)」というのを開発しまして(笑)。普通、本は立てて並べますよね。いっぱいになるとその上に置く。さらにその次は、多くの人は平積みにしちゃいますね。しかし、ここが大切で、次は背表紙を上にして、本を奥向きに立てていったほうがいい。そして最後に、その手前に小型の本を平積みにするのです。つまり、本にとって一番重要なのは「背表紙」です。背表紙が見えない本は、存在しないも同然。僕は記憶力が悪いので、自分が何の本を持っているか覚えていません。ところが不思議なことに、本棚の背表紙に手を近づけ、顔を寄せ、視覚と触覚がその「物体」を認知した瞬間に、その本の中に何が書かれていたか、自分が何を考えたかが、ドッと蘇ってくるんです。
玉置: 下に置くにしても「背」を見せて立てる。 目で見くだけでなく、物理的な本を認知することで記憶が「起動」するわけですね。
吉見: そう、怪しい教祖みたいですが(笑)、本にはそういう側面があります。本棚に身を近づけることで知の体系が身体化される。若い頃、東大図書館の書庫をぐるぐる回るのが好きでしたが、書庫の暗がりを彷徨い、ある本を見つけ、その隣にある予期せぬ本と出会う。そうして自分の中に、その書庫の「地理学」が形成されていく。
玉置: 神保町の街歩きは、まさにその体験を都市スケールに広げたものと言えますね。 あの一軒一軒、専門分野の違う古書店の棚は、まさに店主の思想が反映された「ミクロコスモス(小宇宙)」です。 馴染んでいる人は「あの店のあの辺りに行けば、あの系統の知が眠っている」という「知の地理学」が身体の中にできている。 あの狭い通路を、みんな舐めるように、独特の距離感で眺めていますよね。
吉見: まさに「路地」ですよ。書店やその本棚を路地として街歩きしているのです。これは、冒頭お話しした街歩きの醍醐味そのものです。
玉置: 最近の三省堂などはバリアフリーで広くなっていますが、古い古書店の、あの狭くてちょっと薄暗い路地のような感覚……そこが馴染んでくると、身体の中で配列に意味が生まれてくる。
吉見:マイケル・ポランニー風に言えば、形式知ではなく暗黙知。言葉で説明できなくても、身体が知っている「記憶術(アート・オブ・メモリー)」です。これが集積している神保町はやはりすごい。これは絶対に「検索」では代替できません。デジタルな「検索」は目的の情報にすばやく到達する方法ですが、神保町を彷徨うことは、身体の中に「知の地図」を育み、目的外の知と出会い、それを場所の感覚とともに記憶に刻み込んでいくプロセスです。 この「彷徨える知性」こそが、新しい知的創造力の源泉になる。神保町の奥深さ、その「路地の記憶」こそが、ポストAI時代の新しい都市OSの核になると確信しています。
玉置: なるほど。彷徨いながら出会う知のあり方ですね。
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