丸の内、大手町、有楽町をエモいセンサーで巡る!「レトロさんぽ」 第32回

都内最古の石橋「常磐橋」に「常盤橋」と「新常盤橋」、近くに似た名前の橋が3つもあるのはなぜ?

文●岡田知子(BLOOM)

  • この記事をはてなブックマークに追加
  • 本文印刷

 丸の内エリアの古き良きレトロなスポットを巡り、魅力を深掘りする本連載。今回は、少し趣向を変えて、JR東京駅の北側を散策してみました。今まであまり歩いたことのないエリアですが、実は、江戸城にも関連するレトロな穴場的スポットが残されていたんです!

明治から令和まで5つの時代を見守って来た、文明開化期の美しい石橋

 スタート地点は、JR東京駅の一番北側の出口「日本橋口」。ここを出て北方面へ向かってみました。バスロータリーの向こうでは現在、一大複合施設「TOKYO TORCH」の「Torch Tower」を絶賛建設中! 日本一の高さ390メートルの建物となり、ホテルやオフィスなどが入居するということで、このあたりは今後の注目エリアになりそうですね。

「TOKYO TORCH」の「Torch Tower」は2027年度に完成予定

 ビル群を通る外堀通りを5分ほど歩くと、左手に白っぽい橋が見えてきました。名前は「常磐橋(ときわばし)」。大きな橋ではありませんが、白い石造りと2連のアーチが優美な趣で、なにやら普通の橋とは少し違う雰囲気が漂っています。しかも車は通れず、歩行者専用の橋のようです。

日本橋川に架かる「常磐橋」。外堀通りの日本銀行本店前あたりから対岸の「常盤橋公園」を結んでいます

 この「常磐橋」のルーツをたどってみると、もともと最初に架けられたのは、1590(天正18)年。なんと430年以上も前です! 3代将軍・家光の頃までは「大橋」とも「浅草口橋」とも呼ばれていて、その後、「常磐橋」に改名されたといいます。

 建設当時は木造でしたが、1877 (明治10)年に洋風の石造りに架け替えられ、現在、庭園にあるものを除き、東京都内に残る最も古い石橋だそう。そんなに貴重なものがこんなところにあったなんて!

長さ41.3m、幅27.8m。明治時代に近代都市化のシンボルとして石造りの橋に

 太鼓橋のように少しカーブがついた橋を、さっそく渡ってみました。よく見ながら歩いてみると、路面は石張りになっていて、歩道と車道(現在は車は通れませんが)が異なる色で張られていたり、親柱が白い灯篭のような形だったり、手すり柵が唐草のようになっていたり、あちこちに和洋折衷のデザインを発見! 明治時代の意匠を再現しているそうですが、これが当時最先端のデザインだったのですねー。いま見ると、まさにレトロ&モダン。渡るとあっという間ですが、この石橋の上をたくさんの馬車や人々が賑やかに往来する光景が目に浮かぶようでした。

現在の姿は、東日本大震災で被災した橋を修復したもの。もとの石に1つずつ番号をつけて記録し、ほぼ手作業で積み直し、当時のデザインを引き継いでいます。橋の向こうに見えるのが「常盤橋公園」

八角形の白い親柱に「常磐橋」の文字が見えます

徳川家康も通った⁉ 江戸の街の要衝だった「常盤橋門」の跡地に残る石垣は必見

 この「常磐橋」には、もう1つ歴史にまつわるエピソードがありました。それを知るカギがこの石碑。「史蹟 常盤橋門阯(もんあと)」と刻まれています。かつてここには、江戸城に通じる「常盤橋門」という外濠の門があったのですね~。

外堀通りから「常磐橋」を渡った「常盤橋公園」の入口に立っています

 案内板によると、「常盤橋門」は1629(寛永6)年に出羽・陸奥の大名によって建造された城門。そのまま真っすぐ西へ向かうと、江戸城の正面玄関として将軍や大名が出入りする格式高い「大手門」に通じ、特に重要な門とされていたそう。江戸城の北側にあった「田安門」、西側にあった「半蔵門」などと併せ、「江戸五口」と呼ばれた門の1つです。

 あれ? ということは…、最初に「常磐橋」が架けられたのは1590(天正18)年とされているので、橋は城門よりもずっと前にできていたのですねー! どおりで、ただならぬ雰囲気(笑)が漂っていたわけです。

 実はさっきから、「常盤橋公園」にりっぱな石垣が見えていました。大きな石が高いところで9段ほど詰まれていて、これはもしかして…?と思ったら、やはり江戸城の「常盤橋門」の石垣の一部でした。公園の入口のちょうど両サイドに残されているので、「ここに門があったんだなぁ」ということがよくわかります。

 城門は1873年(明治6)年に取り壊されてしまいましたが、こうして当時の建造物を見られるなんて、壮大なロマンを感じますね!

城門跡の石垣の向こうに、近代的なビル群。新旧の東京の姿を見ることができます

石垣のそばにはベンチも。城門跡を整備した「常盤橋公園」の石垣、常磐橋、橋の石積部分は、1928(昭和3)年に国指定史跡に指定

「常磐橋」の修復や公園の整備にも力を尽くした渋沢栄一

 「常盤橋公園」では、あの有名な人物の銅像にも遭遇しました! 日本の近代経済の礎を築き、新しい一万円札の肖像画やNHK大河ドラマでもおなじみの渋沢栄一です。見上げるほど高い台座に、コートを羽織った洋装の全身姿で立っていて、なかなかりりしい姿です。でも、なぜこんなところに…?

 関東大震災で大きな被害を受け、一時は取り壊しの危機もあった「常磐橋」の再建に尽くしたのが、渋沢栄一でした。銅像が立つ「常盤橋公園」も、本人亡き後、その遺志を継ぐ形で整備されたそうです。渋沢栄一といえば、たくさんの企業の設立や大学の支援に尽力した人だとは知っていましたが、橋や公園まで!

「常盤橋公園」は財団法人渋沢青淵翁記念会により整備され、1933(昭和8年)に開園。銅像は「東洋のロダン」とも呼ばれた彫刻家・朝倉文夫が製作

 調べてみると、丸の内界隈は渋沢栄一ゆかりの地なんですね~。15代将軍・徳川(一橋)慶喜に仕えていたほか、すぐ近くの「丸の内センタービルディング」は、彼が創設した日本最古の銀行「第一国立銀行」(のちのみずほ銀行)の跡地。東京商工会議所や帝国劇場などの設立にも関わっています。まさに、渋沢栄一の庭!といったところなのかも。

 そのきりりとした眼差しが、東京を見守ってくれているような気がしました。

 ちなみに、今回紹介した「常磐橋」のすぐ南側の下流には、車も通行できる「常盤橋」という橋が架かっています。同じ名前ではありませんよー。「ときわ」の漢字が〈石〉ではなく〈皿〉なんです。え、、ややこしい…。こちらも、重厚な石造りの二連アーチがみごとです!

1926(昭和元)年に造られた「常盤橋」。関東大震災後の復興事業の一環として、交通需要の増加に対応するために架けられました

 そして、「常磐橋」のすぐ北側の上流には「新常盤橋」もあります。つまり、日本橋川の南側から、「常盤橋」、「常磐橋」、「新常盤橋」の3つの「ときわ」の橋が続けて架けられていて、今回紹介した真ん中の「常磐橋」だけ、「ときわ」の漢字が〈石〉です。昭和の時代に下流の「常盤橋」が架橋された頃から、〈皿〉だと割れて縁起が悪い、ということで、〈盤〉ではなく〈磐〉の文字が充てられるようになったといわれているそうですよ。

 これは、、上流と下流の橋はもう少し違う名前をつけたらよかったのにー! みなさんも間違えないようにしてくださいね。

 ということで、第32回の「常磐橋」のレポートはおしまい! 美しい石造りの橋を渡って川辺を歩いてみたら、また新しい発見がたくさんありました。次はどんな「レトロ」に出合いに行こうかな~。

横浜生まれ、横浜育ち。おいしいものと旅が大好きなオカダです!

常磐橋
住所:東京都千代田区大手町2目~中央区日本橋本石町2丁目
時間:24時間

この連載の記事