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堅実そうに見えて、無茶もいろいろ 変わらないDNAを探る

ヤマハネットワーク製品の30年 「チャレンジだらけの軌跡」を振り返る

文●大谷イビサ 編集●ASCII 写真●曽根田元

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 黎明期から日本のインターネットを支えてきたヤマハのネットワーク製品がいよいよ30周年を迎えた。今回はヤマハのネットワーク製品の開発や商品化に関わってきた小島務氏とASCII編集部の大谷イビサが対談。ISDN時代、ブロードバンド時代、多様化する現在のネットワーク時代を通して、ヤマハのネットワーク製品のDNAである「チャレンジの軌跡」を振り返る。

自社製LSIからスタート 「ルーターと言えばヤマハ」を目指す

大谷:今回の対談はヤマハネットワーク製品が世に出た1995年からスタートです。ただ、私がアルバイトでアスキーに入ったのは1996年なので、まだ存在を知らない状態でした。

小島:それで言うと、私も当時は大学生。ロクヨンロクヨン、イチニッパというTVCMを見ながら、家でインターネットにつないでいました(笑)。

だから、まだ入社していない頃にヤマハのルーターは登場しているのですが、私の先輩にあたるエンジニアたちが、ISDNのLSIを開発していたことから、ヤマハルーターの歴史が始まります。もともと社内で持っていた音声処理のシグナリングプロセッサーを通信制御に使おうというアイデアです。

ヤマハ 音響事業本部 事業企画統括部 国内マーケティング&セールス部 セールスグループ 主幹 小島務氏

大谷:当時は電話回線でインターネットにつないでいました。その意味で電話は音声ですから、ヤマハの音声技術とは親和性が高かったわけですね。

小島:1995年はISDNサービスがブームになった時代。ヤマハは過去にフロッピーディスクのデータを遠隔地に転送する「FDわーぷ」という製品を作った経験もあったので、このISDN LSIをベースにルーターを作ろうというのが、先輩たちの構想でした。

当時は「おじいちゃん、おばあちゃんに聞いても、『ルーターと言えばヤマハだ』と答えてくれる時代を作りたい」という鼻息でルーターを作り、インターネットにつなぐ利便性を広くみなさまにお届けしようと考えていました。この情熱は間違いなくありましたね(関連記事:ヤマハルーター立ち上げの舞台裏、販売現場から見えたもの)。

大谷:RT100iはやはり法人向けだったんですか?

小島:家庭にまで拡げたいという構想の中の製品だったと思います。法人向け製品は化粧箱も無機質だったんですけど、RT100i以降の一部モデルでは、カラー梱包でコンシューマー用途を意識した製品もあったんです。

ヤマハルーターの初号機にあたる「RT100i」

大谷:なるほど。個人向けか、法人向けかも、当時はあまり意識してなかったんですね。

エンジニアも魅了したNetVolanteシリーズ 見た目のために開発の苦労も

大谷:1990年代、日本のインターネット接続で大きかったのは、やはり1996年に登場した「OCNエコノミー」の登場だったと思います。64kbpsで10万円近くした常時接続の専用線と固定のIPアドレスが月額3万8000円で利用できるようになった。これでいわゆる中小企業やSOHO、パワーユーザーが一気に増え、ルーターの需要も急増しました。一方で、競合製品もいろいろありましたね。

小島:はい。ただ、チップまで自分たちで作っていたのは強みだったと思います。

大谷:当時、ルーターってどうやって説明していました? 私は「インターネットアスキー」という月刊誌の編集部にいたのですが、先輩たちは「TAやモデムは1台しかつなげないけど、ルーターはNATという技術を持っているので、複数のPCを同時につなげるのだよ」と説明していました。でも、そもそもPC何台もつなぎたい個人ユーザーってそんなにいるのかな?とも思っていました(笑)。

小島:答えになってないかもしれないですが、エンジニアのユーザーは多かったと思います。ヤマハルーターは個人向けでも、他の製品だと30行書かないと実現できなかったコマンドが7行で済むとか、エンジニア心をくすぐる実装が行なわれていました。だから、先週のInteropのヤマハブースでも、「昔はヤマハルーターをコマンドで“設定”していました」という方々がそれなりにいたんです。

大谷:なるほど。家でもパソコン複数つなげたいエンジニアがヤマハルーターに飛びついてくれたのかもしれませんね。1990年代は製品ラインナップがすごく多いですよね。

小島:法人向けは専用線やフレームリレーなどさまざまな回線に対応する製品を投入しましたし、NetVolante(ネットボランチ)というブランドでコンシューマー製品も展開しました。ISDNを軸にとにかくつなぐ利便性を拡げるべく、全方位で製品展開していました。

大谷:なかでも印象深いのは、1998年に出たRTA50iです。ピアノのような漆黒のボックス型筐体。これなら家に置いてもいいなと思えるおしゃれなデザインでした。

漆黒のボックス型筐体を採用した「RTA50i」

小島:でも、あのかわいい筐体を実現するのは大変でした。4枚基板でしたからね。

大谷:そうか、ボックス型筐体に収めるにはそうするしかなかったのか(笑)。無茶するなあ。

小島:はい。4枚の基板をつなぎ合わせて、あの筐体になんとか納めたんです。工場のおばちゃんたちからも「こんな難しいのを作らせて!」と嫌み言われていました(笑)。

僕はブロードバンドを意識した製品開発に着手するくらいの2000年に入社しているのですが、当時はRTA50iをまだ生産していたので、生産現場のそんな声も耳にしていました。

大谷:当時は「黒い三連星」と勝手に呼んでましたが、1998年のRTA50i、2000年のRTA52i、2001年のRTA54iってだんだんスリムになっていくんですよね。RTA55iはもはやスリム過ぎて欠食児童でした。有線ケーブルをつなぐと倒れそうなんですけど、倒れないんですよね。

小島:確かに検証しました。背面はポートぎっちりでしたからね。

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