高層ビルや歴史的建造物など、丸の内の建物群を現場のレポートを交えながら紹介する連載「丸の内建築ツアー」。今回は、近代建築物から外観の装飾が排除されて建築構造が外観にそのまま出てくる戦前のモダニズム建築+ガラスファサードの超高層ビルとなっている「東京中央郵便局/JPタワー」をまとめていきます。
初代東京中央郵便局の局舎は、実はたった5年という短命だった
現在、丸の内のJPタワーがそびえたつ場所には、1933年竣工の近代建築物である「東京中央郵便局」が建っており、これが再開発後も保存されていることは有名な話なのですが、実はそれ以前にたった5年だけ建っていた局舎があったことをご存知でしょうか。
元々、日本橋に位置していた東京中央郵便局(四日市郵便役所)が東京駅の建設に伴って、東京の交通の中心地が駅前に移ること、狭隘(きょうあい)化が進んでいたことなどを背景に、東京駅が開業した1914年に東京駅前の一等地で工事が開始。1917年に木造一部2階建ての初代東京中央郵便局が完成しました。しかし、業務を開始して約5年経った1922年に火災で焼失してしまい、たった5年という短命で姿を消しました。この火災による焼失によって、現在も残る鉄骨鉄筋コンクリート造の白い巨大なオフィスビル「東京中央郵便局」が建設されることになりました。
装飾が排除された無駄のないモダニズム建築の時代に突入
現在も一部が保存されて残る2代目東京中央郵便局局舎の設計は、1922年1月の初代局舎焼失後、すぐに開始されましたが、1923年9月1日に関東大震災が発生、再度設計を大幅に見直すことになりました。そうして1927年にようやく基礎工事が着工、1929年8月に局舎工事が本格化し、1931年12月25日に竣工しました。
2代目「東京中央郵便局」は逓信省営繕課の吉田鉄郎による設計、地上5階、地下1階、延床面積36,479.11㎡の立派なオフィスビルとなります。構造は、耐震・耐火の面から鉄骨鉄筋コンクリート造を採用、当時最先端の構造理論を適用した6mスパンの柱梁から構成される格子状の構造、いわゆるラーメン構造が取り入れられ、外観にも柱梁の格子状の壁面と大きな面積の窓といった構造が表れています。
外観は、外壁部に白亜の二丁掛けタイルを全面に貼った装飾を完全に排除したシンプルなものとなりましたが、漆黒のスチールサッシュ枠とのコントラストが美しく、更に高さ100尺の規制にビルの高さを納めるため、1~3階、4~5階では階高が異なるものとし、4・5階間には胴蛇腹と呼ばれる水平帯が入れられたほか、中央部にはアクセントとなる「時計」が設置されたことで、単調な外観になりすぎるのを防いだという工夫も見られます。
また、建物自体は敷地形状に合わせたため、東京駅側は平面的にくの字に折れ曲がった外観となっていますが、東京駅丸の内口の広場など人の目に付きやすく、東京中央郵便局の顔となる部位に関してはシンプルかつ清楚な外観とし、背後のいわゆる裏側は高層部をセットバックさせ、避難階段や発着台・ガラージの大庇、煙突等の設備が設置され、建物の「表」と「裏」がはっきりとした建築になりました。
現代のオフィスビルに通じる開放的な執務空間の登場
内部においては、中央郵便局という膨大な量の郵便物処理を行うため、高い階高と壁のない広大な空間が必要とされ、柱・梁から構成される合理的な構造を駆使し、機能性を確保しています。確保された広大な何もない空間に、ベルトコンベアーや昇降機、スパイラルシュート、気送管など最新鋭の機械設備を設置して郵便物処理のオートメーション化が図られたほか、集塵装置等の職場環境の向上を図る空調装置も取り入れられました。
また、郵便の受付窓口のある空間は、黒色大理石の八角柱と天井に格子状に這わされている白色の梁、銀色カウンター、スクリーンが設置された無駄を徹底的に排除したシンプルな空間構成とされ、時代が変わった今でも活用可能な空間であったことから、ほぼそのままの姿の窓口が今でも使われています。
郵便物処理に活用された幻の地下鉄
初代東京中央郵便局の完成前の1915年に東京中央郵便局と東京駅の八重洲側線路を結ぶ地下通路が開通、そこに軌道を敷き、地下軌道が完成しました。軌道は複線で東京中央郵便局側の停車場は西側1階の郵便物受渡所に位置しており、そこから東へ折れて地下へ潜り、線路をくぐり抜けて東京駅八重洲側で地上に出て、東京駅構内・郵便物積卸場へと至っていました。そして1931年の2代目東京中央郵便局の竣工した際に敷地南東側の地下中1階に郵便物受渡のホームは移転しています。
そしてその後、東京駅に乗り入れる路線が増え、混雑が激しくなったことから、東京駅を拡張することとなったほか、戦時における金属類回収令により、1941年4月に郵便物搬送用軌道は廃止されました。廃止後は舗装がされ、三輪式の郵便物積載台車を電動牽引車によって牽引する方式がとられ、東京駅での鉄道郵便受渡しが終了する1978年まで供用されていました。
再開発に伴う、東京中央郵便局の曳家と超高層ビル建設
東京駅での鉄道郵便受渡しが終了したのち、1986年には鉄道郵便も廃止され、輸送手段が自動車へ移行した際に、郵便物の輸送拠点機能は別の場所に移転、その後は郵便局としての機能だけで利用されていたため、空室が多い状態となっていました。
そして、2007年の郵政民営化後、2008年に保有不動産の一つであった東京中央郵便局の再整備計画が浮上し、貴重なモダニズム時代の近代建築物である「東京中央郵便局」の保存活用を探る中で、「全保存による別敷地への容積移転案」と「部分保存と新築オフィスビルへの建て替え案」が出され、後者に決定しました。
東京駅に面した北側・北東側の長さ150m、奥行き12mが部分保存されることになりましたが、現代の耐震基準に適合させるには免震化が必須となり、道路境界との都合上、免震層構築のために外周部へ山留壁を設置する場所が不足していたことから、原位置から最大約1m回転曳家(ひきや)による移動が行われました。また、鉄筋の錆を原因としたコンクリートの亀裂部の補修もなされたほか、防錆モルタルを表面に塗り浸透により再アルカリ化を促す工法がとられるなどしました。また、スチールサッシは腐食が激しかったため、一部を除き新補材を使用、腐食が進行していた屋外階段と煙突は新たに復原整備されました。
そして、敷地南側には、折り紙をイメージしたV字型にガラス張りがなされたガラスファサードの地上38階、地下4階、高さ200.0 mの超高層ビル「JPタワー」が建設され、2012年5月31日に竣工しました。
低層部分には商業施設の「KITTE」が入り、6階の屋上庭園「KITTEガーデン」は、丸の内エリアを眺めることができる展望スポットとして人気を博しています。また、4階の旧東京中央郵便局長室には「レタールーム」が設置されており、床やガラス窓など様々な箇所に当時の素材を使用した空間の中で手紙を書くことができます。
更に新たに整備されたアトリウムは、天井がガラス張りとなっている広大な吹き抜け空間で、東京中央郵便局の保存部と新築されたJPタワーがつながる空間となっています。
ということで、今回は「東京中央郵便局/JPタワー」をレポートしました。東京駅丸の内南口の目の前にたたずみ、ひときわ目立つ建物ですが、保存された現在の郵便局が二代目だったことを知る方は少なかったのではないでしょうか? 無料で楽しめるミュージアムの「インターメディアテク」や夜景の綺麗な屋上庭園「KITTEガーデン」など、丸の内を代表するビルとしての魅力以外にも見どころの多い建築物となりました。
※この内容は掲載元の責任の上掲載しており、事業会社へ内容確認等したものではございません。
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