在りし日の城郭をARで復元できるユーザックシステムの「ええR」
生きたお城を復元したい 開発者が語る「城郭AR」の舞台裏
提供: ユーザックシステム
すでに石垣しか残っていないような山城を3DCGで再現し、ARで楽しめる観光アプリ「ええR」を開発するユーザックシステムの本岡勇一さん。自治体とタッグを組んで「生きたお城」をARで復元し続けてきた本岡さんに、あふれる城郭愛とスキを仕事にしてきた経緯について話を聞いた。(インタビュアー ASCII編集部 大谷イビサ 以下、敬称略)
新規事業でAR 最初は雑誌の「デジタル袋とじ」だった
オオタニ:まずは本岡さんが城郭ARに至るまでの経緯を教えてください。
本岡:ユーザックシステムの中ではかなり変わった社歴を歩んでおり、つねにマイナーな分野を担当させてもらっています。入社して早々に担当したのが、動物病院向けのパッケージ開発(現在は関連会社であるペットコミュニケーションに移管)とサポートでした。全国の動物病院を走り回りつつ、「ワンちゃんのワクチン接種いつですよー」をお知らせするみたいな顧客管理や病院のバックオフィス業務の効率化ですね。これを十年近くやりました。
その後、社内のソフトウェア研究所、モバイルソリューションを開発する部署に移り、新商品開発を担当していました。カメラスキャンで手軽に実績収集ができるスマホアプリである「Pittaly(ピッタリー)」をひたすらブラッシュアップしたのも、この時期ですね。
オオタニ:基本は十年以上ソフトウェア開発だったんですね。
本岡:はい。でも、ある日先々代の社長からお声がかかり、「ずっと開発ばかりやっていただろうから、そろそろ好きなことやっていいよ」と言われ、新規事業の開発をすることになりました。
オオタニ:手堅そうに見えて、なかなかアグレッシブなんですね。ユーザックさん。
本岡:社内でずーっとPCに向かって開発やっていた人間が、いきなり外に出て新規事業立ち上げなければならないわけで最初は途方に暮れました。そこから紆余曲折の始まりです。
最初に始めたのは、出版業界向けのシステム。知り合いから業界的に厳しいということは聞いていたので、紙に付加価値を与えるものとして考えたのが、ARだったんです。雑誌にかざすと、ARが見られますという企画はいくつか採用いただきました。
オオタニ:確かに当時はそういうの流行りましたね。
本岡:デジタル袋とじという企画やりましたね。「デジタルなら毎回袋とじを開けられる。男のロマンだ!」みたいな営業トークは、とある雑誌の編集長には刺さったのですが、結局長く続きませんでした。出版の方は多忙すぎるので、手間のかかる企画は長続きしないんですよね。
で、城郭ARに舵を切り直したのが2016年です。ターゲットは自治体。私の趣味が城だったので、自分の知識が活きるのではないかと思いました。だから出版の延長で城のパンフレットにデジタルおまけを付けられないかな?と思って、動き始めました。
オオタニ:そこから城郭のARプロジェクトが始まるんですね。
「櫓や門がないから、見る価値がない」とは思えない
オオタニ:本岡さんは小さい頃からお城が好きだったんですか?
本岡:30歳過ぎてからです。兵庫県に住んでいるのですが、ある日、山の方をドライブしていたら、なにやら石垣のようなものが見えるんです。行ってみたら、山頂におびただしいほどの石垣が残っていました。今では、すっかり有名な観光スポットになった竹田城です。
オオタニ:「天空の城」として有名ですよね。
本岡:当時は、お城の情報もあまりなく、年間でも数百人しか行かないマニアックな城でした。だから、行ったときは独り占め。あたりの風景を見ながら、400~500年前の痕跡が残っていることに感動しました。
オオタニ:城自体には訪れたことあるんですか?
本岡:姫路城や会津若松城などの城に観光スポットとして訪れたことはあります。だから、あくまで天守閣や櫓などの「上もの」がお城だと考えていました。
でも、竹田城に行ったとき、「こっちの方が本物の城なのでは?」と思ったんです。そして、「家の周りにこんなお城がいっぱいあるのではないか」と、ある意味宝探しのような感覚で城を探し始めたのがきっかけです。
オオタニ:城=天守閣、少なくとも櫓や門という方は多いと思うのですが、石垣しかない遺構にロマンを感じるところが、城郭ファンの感度の高さなんでしょうね。
本岡:もちろん、櫓や門などの遺構が残っていれば、それに越したことはありません。でも、遺構が何も残っていないからといって、見る価値がないとは思えないんです。更地であっても、ここに城があり、有名な武将が居たという事実を重視しています。だから現代になっても、その同じ場所に立てること自体が幸せなんです。
オオタニ:そこから城郭沼に入ったと。
本岡:はい。翌週からは片っ端から近所のお城探しです。車で乗り付けて、山に登ったり、やぶを抜けて、遺構を調べました。年間300~400ヶ所を周り、全国に出かけるようになると、SNSを介して、いろいろな地域とのつながりができるようになります。当時はmixiが全盛期だったので、そこでお城コミュニティを立ち上げたのですが、2万5000人くらいの会員がいたんです。
オオタニ:そんなに城郭ファンがいたんですね!
本岡:そんな経験で人脈も広がり、メディアでコラムを書かせてもらったり、学芸員さんとのつながりもできました。この人脈の延長で、いろいろな自治体のお仕事をもらえるようになったんです。
もちろん最初は自分の趣味と個人の人脈をお金に換えるみたいで、いやでした(笑)。 あくまで両者は別々でした。でも、そこが振り切れたのが2016年。「ええR」というサービス名で、自治体と城郭ARのプロジェクトを始めました。
城での営みを考えると、中身には必然性がある
オオタニ:では、これまでの実績を教えてください。
本岡:たとえば、奈良県の宇陀松山城の事例です。江戸時代に破却されているので、遺構はほとんど残っていないのですが、在りし日の城郭を3DCGで制作し、観光用PR動画として楽しめるようになっています。学芸員さんと議論を積み重ね、発掘調査と照らし合わせて作っています。
弊社はスマホアプリの事例が一番多いのですが、2019年に明石城築城400周年というイベントがあり、そこでは明石城全体の3DCGの制作と観光アプリの開発をやらせてもらいました。明石城は三重櫓が二基もあるのですが、現在は市民公園なのであまり城郭として見ていただけなかったのが課題でした。課題に対して、当時の資料を元にかなりリアルに3DCGで復元したのが、ここでの事例になります。
オオタニ:写真が残っているんですね! すごい。
本岡:明治時代まで残っていたので、写真も残っているんですよ。現存している三重櫓である巽櫓も見えます。天守は建てられませんでしたが、本丸を囲むように櫓が建っていますし、郭にはさまざまな屋敷が建ち並んでいます。これらを再現しました。
オオタニ:とはいえ、写真が残っている例は希だと思います。あっても天守閣だけかなと思うのですが、写真がない状態でARはどうやって作るのですか?
本岡:幕府は正保元年 (1644年)に各大名に城郭の詳細な絵図を提出させています。この「正保城絵図」では、石垣や櫓の高さ、堀の幅、深さなどが詳細に書かれているので、まずはこちらをベースにします。ただ、これだけだとスカスカになってしまうんです。
オオタニ:なるほど。まあ、幕府が提出させた意図は完全に軍事的な目的だと思うので、各大名としてはそれほど細かく描きたくないですね(笑)。
本岡:同時代の他の絵図を参照したり、学芸員さんと考察を重ねて、中身を埋めていきます。たとえば、明石城の三の丸の場合、防御の構えしか描かれていません。でも、他の絵図を見ると、家臣とおぼしき「すぎうら」という名字が書かれています。だから、ここには屋敷があり、家臣を住まわせてのではないかと想像できるんです。
実際に調べてみると、明石城の4代目藩主の家臣に絵図 で書かれているのと同じ「すぎうら」という名字の者がいました。家格としては三番~四番目の家臣だったので、石高としては900石とか、1200石とかもらっている。だったら、これくらいの武家屋敷になるのではないかと再現していきます。母屋のほか、世話周りの人が住む小屋、馬小屋、雪隠などを設置していくと、先ほどのすき間が埋まっていきます。
オオタニ:城の設計事務所みたいなことを図絵から逆算してやっているんですね。
本岡:私は当時の完成したお城を再現するだけではなく、生活や働きなどを含めた「生きたお城を再現したい」とよく言っています。先ほど太鼓門を見ていただきましたが、門の手前にはたいてい番所がセットになります。番所があるということは、雪隠も必要だし、井戸もあるはずです。
城全体で見ると、どこで食事を作っていたのか? どこに馬を止めていたのか? 城主はどうやって城内を移動していたのか。これらを勘案すると、「こう置かざるを得ない」という配置が導き出されてきます。
オオタニ:なるほど。配置に必然性があるんですね。
城というと戦いのイメージ強いですが、江戸期の城なんて、戦争で使うより、政治や日常生活の場面の方が圧倒的に多いはずですよね。そう考えると、戦のときにどう使ったかよりも、普段、お城でどういう日常生活を送っていたかを考える方がリアリティがありそうですね。