4月15~17日の3日間、幕張メッセにてヒストリックカーの祭典「オートモビル カウンシル2022」が開催されました。オートモビルカウンシルは、時代を超え国内外問わず希少価値の高い名車が集まり、ゆったりとした雰囲気の中で、それらの車を展示および販売が行なわれるイベントで、今回で7回目の開催となります。展示と販売の両面から、集まったクルマたちをご紹介しましょう。
クルマ文化の奥深さを知る
「主催者テーマ展示」コーナー
オートモビルカウンシルは毎年、自動車史を飾る名車から文化を知る「主催者テーマ展示」という企画が行なわれています。今年は2つのテーマで行なわれました。
1つ目は「DTM(ドイツ・ツーリングカー選手権)の主役たち」。1984年に始まった市販車をベースにしたレースカーで争われるドイツ独自のシリーズ戦「DTM」(Deutsche Tourenwagen Meisterschaft)は、名門メーカーが威信をかけて開発したハイテクマシンを、F1経験者を含むドライバーたちが毎戦、毎ラップ熱い戦いを演じて人気を集めるとともに、国際ツーリングカー選手権や、我が国のSUPER GTに大きな影響を与えました。ですが熾烈な戦いはコスト急騰を呼びメーカー撤退が相次ぎ、1996年シーズンで一旦終了。3年後の2000年にレギュレーションを見直したDeutsche Tourenwagen Masters(DTM)がスタートしました。オートモビルカウンシルの会場にはDTM第1期と呼ばれる90年代に凌ぎを削った3台のワークスマシンが展示されていました。
メルセデス・ベンツ
190E 2.5 16 Evo.II AMG(1990年)
90年からDTMに参戦したメルセデスの戦闘機。ラグジュアリーブランドのセダンに、大胆なエアロキットとコスワースの手による2.5リットル直4エンジンがおごられ、92年にはドライバーズタイトルの1位から3位を独占する圧倒的な強さを誇りました。また500台が製造されたホモロゲーションモデルは、今でも高い人気を誇っています。
アルファ・ロメオ
155 V6 Ti アルファ・コルセ(1993年)
レギュレーションが大きく変わり、より改造範囲が広くなった93年シーズンに、イタリアから送り込まれた刺客が、このアルファ・ロメオです。エンジンはハイチューンされた2.5リットルV6ユニットを採用。注目すべきは駆動系で、なんとアバルトがWRC仕様のランチア/デルタ・インテグラーレ用に開発したフルタイム4WDを搭載! さらにドライバーもニコラ・ラニーニ、アレッサンドロ・ナニーニといった元F1ドライバーという豪華ラインアップで、デビューイヤーでありながら22戦13勝と圧倒的な強さを見せつけたのでした。そのうち11勝はラニーニでチャンピオンを戴冠。展示されているマシンは、そのチャンピオンカーだそうです。
BMW
M3 シュニッツァー(1987年)
DTMが始まる前から、ツーリングカーレースの代表選手だったBMW。その彼らがDTM初年度に投入したマシンが、このM3です。クランクシャフトの短いエンジンの方が高回転/高出力が得られると考えた名将パウル・ロシェは、伝統のシルキーシックスではなく、4気筒2.3リットルエンジンをチョイス。これが大当たりし、デビューイヤーにして10戦5勝を挙げたほか、88年、89年とシリーズ3連覇を達成。無敵ともいえる強さとともに、ライバルたちにとってDTMマシンの見本にもなりました。
もう一つの主催者テーマ展示は「スーパーカードリーム」。レーシングカー譲りのミドシップ・レイアウト、マルチシリンダーのパワフルなエンジン、それらを包み込む有名カロッツェリアの優美なボディーは、クルマ好きにとっては永遠のアイドルです。今回は4台のスーパーカーが美を競っていました。
フェラーリ/365GT4BB(1973年)
名車365GTB/4(通称:デイトナ)の後継モデルとして開発された1台。フェラーリの市販車としては初めて12気筒エンジンをミッドシップレイアウトした記念すべきマシンです(フェラーリ初のミッドシップ車はディーノ206GT)。運転席後方に縦置きされた4390cc 180度V型12気筒エンジンから出力されるパワーは、当時としては夢の385馬力。最高速度も302㎞/hを公称し、まさに夢のスーパーカーそのもの。
ですが自動車排出ガス規制などにより、512BBにマイナーチェンジする形で1976年に生産完了。その生産台数は387台と言われています。なお、型式のBBはベルリネッタ・ボクサー(Berlinetta Boxer)の略で、ベルリネッタは屋根付きの2ドアクーペ、ボクサーは水平対向エンジンを意味しているそうです。
デ・トマソ/パンテーラ(1971年)
イタリアの自動車メーカーであるアウトモービリ・デ・トマソの3作目となるスーパーカー。優美なイタリアンボディーに、フォード製5.8リットルV型8気筒OHVユニットを組み合わせたモデルです。当時フォードの副社長を務めていたリー・アイアコッカが「フォード・GT40のイメージを踏襲するスポーツカーを、安価な価格で売り出す」ことを目標として開発されました。
ランボルギーニをはじめとするライバルと比べ半額で販売されていたことと、そしてスーパーカーとしては異例ともいえる23年間(!)も作り続けられたこともあり、生産台数は7260台を記録しました。ちなみにパンテーラとはイタリア語で豹を意味するそうです。
ランボルギーニ/ミウラ P400(1966年)
トリプルチョーク・ウェーバーを4連装した4リットルV型12気筒エンジンを運転席後方に横置きレイアウトしたランボルギーニ初のミッドシップエンジン車。シャシー設計はジャンパオロ・ダラーラ、ボディーラインはマルチェロ・ガンディーニという当時27歳のコンビが担当しました。当時大排気量12気筒エンジンをミッドシップレイアウトしたクルマの前例がなかっただけに話題を集めるとともに、1966~1973年までに約747台が生産されました。ミウラとはスペイン闘牛飼育家ドン・アントニオ・ミウラにちなんで命名されたもので、これ以降のランボルギーニ社のクルマの多くに、闘牛関連の名前がつけられるようになりました。
ランボルギーニ/カウンタックLP400(1974年)
「ザ・スーパーカー」といえば、カウンタックでしょう。イタリア北西部ピエモンテ地方の方言で「驚いた」を表す「Contacc」(驚異、驚きの感嘆詞)のつづりを一部改変した名の通り、一度見たら忘れられない驚きのスタイリングは、今でも人々の心を惹きつけています。ミウラの後継であるカウンタックですが、最大の違いはエンジンが横置きから縦置きへと変更したこと。
設計はダラーラに師事し、のちのランボルギーニ社の要職を務めることになるパオロ・スタンツァーニ。エクステリアはミウラ同様、ベルトーネのマルチェロ・ガンディーニが手掛けました。「最高速300km/h」という公称値もまた話題を集めましたが、空力的な問題点が多く、その後リアウイングなどのエアロパーツを取り付けた各種モデルが登場しました。人気の高さから1990年までの16年間に渡り、2000台弱が販売されたそうです。