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遠藤諭のプログラミング+日記 第123回

「雪だるま」の作り方をインターネットアーカイブから掘り出す

2022年01月14日 09時00分更新

文● 遠藤諭(角川アスキー総合研究所)

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Internet Archive

WayBack Machineでタイムトラベルしよう

 「遅きに失する」とはこのことなのだが、東京で積雪のあった1月7日のあと、「雪だるま」の作り方について書いたことがあるのを思い出した。それでも、今年は、もう1回くらい東京で積もるかもしれないと思って調べていたら出てきた。

 2002年から2005年にかけて連載させてもらった『先見日記』というサイトに書いたものだ(NTTデータが運営)。ブログという言葉もまだないか、「ブログ? それともウェブログ? どっちで表記する?」みたいな会話がされていた頃だったと思う。その後、サイトは閉じられてしまったのだが、Internet Archiveに残されていたのだ。

Internet ArchiveのWayBack Machineで見つけた『先見日記』の記事。私が月曜、日曜が坂本龍一さんで火曜が片岡義男さんと豪華筆者にはまされていた。

 ご存じのとおり、Internet Archiveは、ウェブを中心にリソースをどんどん記録しているサイトである。いま見たら《624 billion》ページから検索できるとある。そのなかの1ページとして自分の書いた原稿が記録されていたのはちょっと嬉しい。

 で、『先見日記』の「雪だるま」の作り方なのだが、以下のようなものだった(2004年1月19日の記事だ)。

雪だるまの作り方/新宿御苑ラ・ボエムにて

 金曜の午後くらいからといっていたが、チラチラと白いモノが落ちてきたのは土曜の朝からだった。

 雪が降ると、なにか特別な気分になってしまうのはなぜだろう。気温が下がるから、本能的に体を動かして脂肪を燃焼させようとするからなのか? ソワソワした感じになる。

 私は長岡出身なので、雪なんてのは冬になれば必然的に身の回りを埋め尽くすものだよ、という感覚がある。それでもだ。

 11月のある日、中学校の国語の時間とかに、退屈した生徒1人がなにげなく外を見やった瞬間、「あっ、雪だ!」と叫ぶ。

 すると、40人のクラス全員がワーッとざわめいて、授業なんかほっぽり出して窓のほうに集まる。教卓に取り残された先生も、教科書とチョークを持ったまま、やっぱり窓まで来て、「これは、積もらんだろー」などと評論する。

 新潟の長岡というところは、ひと冬を通じて雪がまったく降らないということは絶対にない地域である。お正月に積雪のない年もあるが、1月の下旬には1メートルくらいの積雪になることも少なくない。

 毎年、かならずやってくるものなのに、ふだん悪ガキな奴までもが、その白いモノを神妙な面持ちで見やるのだ。

 教室に「だるまストーブ」が設置され、毎朝、当番が石炭を運ぶようになると雪もめずらしくなくなる。

 まるで街全体が、「静粛に!」と注意でもされたかのように黙り、いつの間にか、建物の屋根から庭の木々の枝の一本一本から家の前に置き忘れられた三輪車から牛乳箱から、すべて真っ白になる。太陽光は遮られていても、まっ白な雪が間接照明のしくみで柔らかい天然のフットライトとなる。

 それは、宇宙のすべての空間を埋め尽くしていると考えられていた「エーテル」という仮想物質を思わせる(※)。

 昭和38年、小学校に上がる年に大雪が降った。

 どれだけ降った記録になっているのか分からないが、ひと晩で、我が家の1階がすべて雪で埋まってしまった。

 朝、起きたら玄関がまっ暗になっていて、家のすぐ外側を板塀で囲んだ「雪がこい」もなにも、すべて埋め尽くす勢いで雪が積もったのだ。1階が雪で埋まってしまっているから、2階の子供部屋の窓から出入りすることになる。

 雪の重さが家にかかってくるからだろう、玄関の近くのドアが子供の力では開けられなくなったのを覚えている。

 東京で降る雪は、違ったニュアンスがある。

 ちゃんと積もるのは何年に1度だから、ふだん見知った風景が薄く白く覆われ、まさに雪化粧というのがピッタリの表現となる。

 そして、雪国ではまったく考えられないような、かき集められるだけの雪をなんとか寄せ集めて作った、中途半端な形と大きさの「雪だるま」が、あちこちに出現する。

 たいていは、翌日の午後までにその体をなさなくなり、わずかな白さと土とほこりが入り混じったあやふやな物体となってしまうのだが。

 本当の雪だるまの作り方はこうだ。

 まず、そのあたりの雪を両手でザックリとすくって野球のボールくらいの雪玉を作る。それを新雪の上に放りだしてやる(そう、雪だるまは新雪が似合うのだ)。

 それを、ていねいに掴むように転がすようにしてやって、ドッヂボールくらいの大きさにする。ここまできたら、もうこっちのものである。できるだけ腰を低くして、ひたすら押してやるだけだ。回転モーメントが働き、まさに「雪だるま式」に、雪玉は大きくなっていく。これが、“雪だるまの醍醐味”というべきか、転がす人の表情もゆるんでくる。右に左に、滑らかだった雪の表面にゴロゴロとあと(シュプール?)を残していく感じもいい。最後は、雪だるまの建設予定位置まで転がしてやる。

 こうして“胴体”ができたら、同じように“頭”も作り(やや小さめに)“胴体”の上にのせてやる。雪だるまの形になったら、小さなシャベルのようなもので表面をパンパンと叩いてやるとよい。これで、雪だるまの表面は硬くなり、融けにくくなる。技術的には、「泥だんご」とまではいかないがある程度のツルツル状態まで持っていくこともできる。

 あとは“炭”で顔を作るなり“バケツの帽子”をのせてやるなりしてやればよい。

 ツルツルで思い出したのは、10年以上前、御茶ノ水のある大学の中庭だったかに、雪だるまではなくて、ある題材の「雪の芸術」が作られていたという話がある。雪は、一度融けたのを再度固めてやると、気温が下がったときにカチンコチンに硬くなる。男子学生が何度も固めたのだろう。やや問題のある題材なのだが、もう誰にも簡単には手が出せないような状態になっていたそうだ。

 ところで、外を見るとチラチラときていたはずの雪が、ちっとも降っていない。

 天気予報のウソツキ!

 ※エーテル:光や電磁波を伝える物質として1678年にホイヘンスが設定した仮想物質。化学の世界では有機化合物のエーテルであり、真空を認めないギリシアの自然観にまで遡るともいわれるが、みなさんが会社や自宅でPCをネットワークに繋いでいるイーサネット(Ethernet)の“Ether”は、このエーテルの英語読みです。

 いま読んでみると、雪だるまの作り方としてそれほど貴重な情報は入っていなかった。といっても、本人的には、最初に雪玉をギュっと握って新雪の上に放りだしてやる感じがなつかしい。それを、「ていねいに掴むように転がすようにしてやって」というあたりは、やっなみないと分からないかもしれない。

 それにしても、今年は、北海道から日本海側の地域は記録的な大雪に見舞われている。道路の雪かき、屋根の雪おろしもさぞかし大変なことだと思う。私の従兄は除雪機を売っているから景気がよいかもしれないが。どちらにしろ、のんきに雪だるまを作っている場合ではないと言われそうだ。

 『先見日記』というサイトは、未来のヒントになることならなんでも書いてよいという楽しい連載だった。しかし、「雪だるま」の作り方が、未来のヒントになっていたのか否か? やや心もとない。

WayBack Machine で「先見日記」と検索。カレンダーにどの日に作られたかが分かる。これ自体が日記みたいな不思議な感じだ。

 ついでながら、2004年の最初の日記(1月5日)は、これも未来のヒントになる内容だったのか? 個人的には、なんとなくお正月のこの時期の気分がうまくでている感じがして割りと気に入っているのだが。

隣のテーブル/面影珈琲店にて

 19時26分茅野発のスーパーあずさに乗ったら、次の駅で、後の席に30代の男女が座った。

 他人の話に耳を立てる気はなかったが、女性の声に張りがあってどうしても耳の中に入ってくる。男の声のほうは、ボソボソッとしていて、もうひとつ聞き取りにくい。お互いの知り合いのこと、さっきあったことなどが話題のようだ。

 「こういうのって匂うよねぇ」という声がして(前の席のこちらに気を使ったのか)、ワシャワシャと駅弁を開いたり、缶ビールをテンと窓辺に置く音がした。

 その間も会話は続いて、途中から女の声はご飯を口の中に入れたままの発音になった。いかにも中央本線の駅で売っているらしい駅弁(要するに山菜の煮込んだものとかの入った600円くらいの奴)とおぼしき匂いが、シートを倒して休もうとしている私のところまで届いてきた。

 女性の声は、だらしなくクチャクチャした感じになったり、元に戻ったりする。その内容を私なりに要約すると「あらゆる恋愛行動はその人の人生の中で非常に重要な意味を持つ」というようなものだった。

 急に会話が止まって、女性の声。

 「何か足りないと思ったら……。このお弁当、アナゴが入っていないんだ」

 男性は、それに対してコメントしたのか、それを無視して別の話をしたしたのか、とにかく聞き取れなかった。山菜弁当にアナゴは必須なのだろうか? これ以上、他人の話に耳を傾けるのは品がないと思ったが、断片だけが耳に飛び込んできて気になる。

 ところが、気が付くと私はすっかり眠っていた。八王子を過ぎたところでシートの隙間から後の席を伺うと、シートの背中の網のポケットに「生茶」のペットボトルが見える。すっかり静かになっているが、二人ともまだ乗っているようだ。新宿に到着して降りるときに後の席を見ると、まだ眠っている女性の横顔があった。

 電車を下りたら、なぜか苦いコーヒーが飲みたくなった。

 新宿新南口を出て、甲州街道の下をくぐり東口の前を通って歌舞伎町の方向に向う。その途中にあるヴェルテルが私の行きつけなのだが、お正月だからか、いつもより早く閉めているようだった。そこで、向かいの面影珈琲店に入ることにする。ここは、明るくて落ち着いた内装と割りときちんとした店員たち、それと朝まで営業しているという点で貴重なお店である。いままで、新宿で編集者が筆者と打ち合わせといえば、「談話室・滝沢」と決まっていたものだが、この面影珈琲店、そのスジで重宝されはじめているのではないか?

 お正月に家にいてもつまらないからだろう、店内は、20代とおぼしき若い客でほぼ満席状態である。

 入り口に近い4人掛けのテーブルが2つ並んでいるうちの1つに陣取り、パソコンを取り出してメールのチェックを始める。すると、隣のテーブルの4人組み(男2人×女2人)の話が耳に入ってきた。

 壁側に座った私から顔が見える位置の女の子の話(長くなるので要約します)。

 高校生のとき、割と仲のよい男の同級生がいた。だんだん親しくなって付き合いだそうかという雰囲気のときに、自分の女友達から“彼が好き”と告白された。しかも、「あんた知り合いなんだからセッティングしてよ」と頼まれ、断れなかった。自分のことをよく思っているはずの男がうまく対処してくれるというのが頼りだったが、あっさりとその友達のほうになびいてしまった。

 これを聞いていたテーブルの向かいの男の話はこうだった(これも長くなるので要約)。

 自分が高校のときに親の都合で転校することになった。お互いにちょっぴり気にしていた女の子がクラスにいたが、とくに何を伝えるでもなく転校してしまった。そうしたら、その子も同じ高校に転校してきて「なぜ黙って転校してしまったの?」と泣かれた。ところが、そのときも心にもなくつれない対応をしてしまった。

 まわりの3人は、それを聞いて「いまからでもその子に謝るべきだ」とまじめに言っている。

 なんだか、深沢七郎の『東京のプリンスたち』みたいな連中である。

 この2つのお話に共通している点があるのにお気づきだろうか?

 どちらも具体的な内容まで書いていないから分からないと思うし、私も、こうやって書き出してみてから気が付いただけなのだが、要するに“メール”が話に出てこない。スーパーあずさの場合は、大人の生々しい本質論だからか、面影珈琲店の4人組は高校時代のナツカシ話だからか、“メール”が小道具として出てこないのを新鮮に感じてしまった。

 いまどき、喫茶店の“隣のテーブル”でかわされるこの手のお話のほとんどが、電子メールがどうしたこうしたというややこしい内容になるのである(職業柄「メール」という単語に反応してしまうので分かるのだが)。かつて、松任谷由実は、携帯電話が恋愛に“機動力”を与えたと言った。それが、電子メールでは、きっと恋愛の“情報化”がもたらされているに違いない。

 ご苦労さまというか、それはそれで結構なことですねというか、きっとコバルト文庫(※)を書く人は大変でしょう。

※集英社のジュニア向け小説の文庫

 この原稿、いまの20代に見せたら「ひさしぶりにメールという言葉を聞いた」と言われた。「メールはあんたも使っているでしょう」と言ってみたのだが、《こういう文脈では》でてこないということかもしれない。この原稿では、お正月でちょっとふだんと違ってメールの話を聞かなかったというホンワカした内容なのだが。

 Internet Archiveの『先見日記』の記事に興味のある人は、《ココ》あたりから入っていくとよいでしょう。私以外の筆者たちのコラムをいま読んでみてもヒントになる内容が多い。ホントにいいサイトだったのだ。

Internet Archiveの『先見日記』のアーカイブ記事のトップ。

 『先見日記』では、株式会社スペースポートの上田壮一さんと、小崎哲哉事務所の小崎さんに世話になった。編集担当のMさんと後任のMさんにもお世話になった。この場を借りてお礼申し上げたい。

 Internet Archiveは、ウェブのほか、本やビデオ、オーディオ、ソフトウェアの記録の活動している。ほかにも、非集中型Webに関する議論などさまざまな活動をやっている。実は、私は、今回はじめて寄付をしてみた。PayPalのアカウントなどがあればすぐできる。1年のはじめにウェブでやることにふさわしい気もするのだが。

 

遠藤諭(えんどうさとし)

 株式会社角川アスキー総合研究所 主席研究員。プログラマを経て1985年に株式会社アスキー入社。月刊アスキー編集長、株式会社アスキー取締役などを経て、2013年より現職。角川アスキー総研では、スマートフォンとネットの時代の人々のライフスタイルに関して、調査・コンサルティングを行っている。「AMSCLS」(LHAで全面的に使われている)や「親指ぴゅん」(親指シフトキーボードエミュレーター)などフリーソフトウェアの作者でもある。趣味は、カレーと錯視と文具作り。2018、2019年に日本基礎心理学会の「錯視・錯聴コンテスト」で2年連続入賞。その錯視を利用したアニメーションフローティングペンを作っている。著書に、『計算機屋かく戦えり』(アスキー)、『頭のいい人が変えた10の世界 NHK ITホワイトボックス』(共著、講談社)など。

Twitter:@hortense667

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