最後のユニオンバトルにつながるボイスドラマを生アフレコ!
本イベントに参加した声優の方々が登壇した「声優コーナー」では、9月2日(月)よりアーケード版「ボーダーブレイク」にて開始される、最後の「ユニオンバトル」につながるボイスドラマの生アフレコが行なわれた。ユニオンバトルとは、侵攻する正体不明の勢力「エイジェン」に対して、プレイヤー連合軍で協力して撃退するゲームモード。
開発に至るまでの経緯などの秘話が飛び出した!
ボーダーブレイクの歴史を振り返る「10周年振り返り」企画では、すでに登壇しているゲストの面々にボーダーブレイクシリーズディレクターの百渓曜氏、元ボーダーブレイクプロデューサーの三上岳彦氏、初代ボーダーブレイクガールとして活躍したでんぱ組.incの古川未鈴さんが加わり、トークが行なわれた。
まず開発リリース時の話に。ボーダーブレイクのチームは当時対戦ゲームをつくったことがなく、バーチャファイターなどの対戦ゲームをつくってみたいと考えていたとのこと。牛マン(青木氏)は、アフターバーナーの開発に携わっており、三上氏はゴルフゲームをつくっていたという。
最初に決めたことはチーム戦、1対1ではなく10対10で、派手に倒し倒されたいため、人間ではなくロボットになったという。そして、デザイナートークで登壇した京谷氏がイラストを描き、分厚いプレゼン資料を用意したが条件付きの不合格に。そして、チームが解散になりかかっていたところ、当時役員を務め、現在セガ・インタラクティブ代表取締役社長である杉野行雄氏の後押しがあり、首の皮1枚つながり、開発がスタートしたそうだ。
牛マン氏曰く、当時の日本ではFPSやTPSのタイトルが少なく、言葉が認知されていなかった。そのため、社内では懐疑的で、社内ロケテストも何度か行なったが賛否両論。その意見を吸収しながら開発を進めたという。
また、当時のセガのロボットゲームといえば「バーチャロン」だったが、そのイメージを塗り替えたい、新しいオリジナルIPのロボットゲームでやってみたい、という想いも強かったそうだ。
筐体は新しいモノを使うということだけは決まっていたという。最初のころはドライブゲームのハンドルなどで操作していたこともあるが、とても操作が難しく、1日で没になったそうだ。その後、マウスになったという。
トークはその後初めて出展したAOUショー、キャラクターボイス、楽曲について展開。AOUショーでは、今のように大きく告知していなかったが思ったよりは人が来て、ロケーションテストでは若い人も多く、深夜から並んでくれた人もいたという。
また、中には稼働2日目にサーバーが不具合を起こして「256人しかマッチングできない」事件や「ブラスト・ランナー飛翔事件」など、今だから笑って話せるぶっちゃけトークも行なわれた。
ゲストとして登壇した古川未鈴さんも、今だから話せるが当時はロボットにまったく興味がなかったが、初めてもらったゲームの仕事ということで頑張った思い出を語ってくれた。古川さんは、初代ボーダーブレイクガールになれる条件として1ヵ月でAランクになる必要があったが、ゲームセンターでいわゆる晒し台(ディスプレーでプレイが表示される台)でプレイしていると、他のプレイヤーが気づいて、アドバイスをくれたというエピソードなどが語られた。
結果、1ヵ月以内で見事Aランクに到達した古川さん。しかし、実はアプリのGREEでお友達を1万人つくるという条件もあったが、プレイに夢中でその条件は達成できなかったことなどの裏話も飛び出した。
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