ビジネスチャットツールであるSlackは2017年に日本語版がローンチされた。ローンチからわずか2年だが、多くの企業でコミュニケーションの重要な構成要素となっている。しかし、その使い方は企業によって千差万別。コミュニケーションのスタイルは、企業文化の影響を強く受ける。だからこそ企業にとって、コミュニケーションツールの選定は重要であり、かつそれを上手く根付かせ、活用することは簡単なことではない。この連載では、Slackを導入した企業から、独自の使い方や導入による組織やコミュニケーションの変化を探る。
今回は、創業130年以上の歴史を持つ老舗企業のカクイチ代表取締役社長の田中離有氏と、IT情報システム部長執行役員である鈴木 琢巳氏、同部署で実際にSlack導入を担当した柳瀬 楓氏を取材。どのような経営判断のもとある種異質なカルチャーとも言えるSlackの導入を決め、長年築き上げた組織へ根付かせていったのかを聞いた。
PCが定着しなかった老舗企業がデジタル化に踏み切った背景
カクイチはガレージ・倉庫やホースなどの施工・製造・販売事業をはじめ事業内容は多岐にわたり、拠点もショールームを合わせ全国120ヶ所にのぼる。基本的な事業モデルは同じというが、かなり多角経営と言える。田中離有氏が社長に就任したのは今から約5年前のこと。順調に拡大し、安定しているように見えるカクイチだが、田中代表は社内にある2つの課題感を持っていた。1つ目はコミュニケーションの課題だ。
「古い会社ではありますが、今後も新規事業を立ち上げ会社としては成長を目指していきます。弊社ではこれまでの事業経験から、作る力、売る力、広める力、そして顧客との関係値はあるため、リソースは十分に持っています。しかし、新たに事業を立ち上げるとなると、社内に散らばるそれらのリソースをつなげる必要がある。その"つなげる力"というものが不足しているように感じていました」(田中氏)
このつなげる力こそ社内全体に行き届いたコミュニケーションだ。当時のカクイチは機能型の組織構造。社長がいて、役員、部長、課長と続くような階層型だった。こうした組織の形では、セクショナリズムが起こりやすくなってしまい、横方向のコミュニケーションが働きづらかった。
2つ目は、従業員の働き方だった。当時営業マンが持ち歩いていたのはガラケーだった。そして営業所にパソコンとFAXがあるため、彼らは出先では電話で対応し、メールを返すために社内に戻ってくる。すると移動時間も含め労働時間は長時間化しやすくなってしまう。
当時の働き方では業務の負荷が大きくなってしまうため、改善のためにさまざまな手が打たれた。しかし、モバイルデバイスの付与や、外部で資料をプリントアウトできる仕組みを導入など、どれも定着しなかった。従業員のITリテラシーが高くないために、ツールに抵抗感があり、普及しなかったのだ。
これらの課題を感じる中で、田中代表は、社長就任後の初のスローガンとして「楽しく効率的に成果を挙げる会社にする」を掲げた。労働時間を短縮し、成果を挙げるには、ITの活用は必須であり、会社は大きく変化する必要があった。このデジタル化を伴う戦略を掲げた頃を田中氏はこう振り返る。
「企業体質も強化しながら、新しくベンチャーを立ち上げるというのは、一見矛盾した部分もあり、私の考えを社内に伝えることにはかなり労力を使いました。しかし、現場に行くと『あれ?全然伝わってない』と感じることもあったのです。やはり当時の官僚的な機能型組織では現場までトップの意思が浸透しないと痛感し、『これは組織の壁をぶっ壊さなければ』と一念発起しました」(田中氏)
その後、部署や階層間の壁を壊すため、フラット型組織、コアバリュー型組織などさまざまな組織作りを試したが、これまでの課題を解決する形にはたどり着けない日々が続いた。
社内の情報の流通量を増やし、三角形型のコミュニケーションへ
組織体制を探りながら、ITリテラシーを高めるため、営業マンへ不慣れなiPadやiPhoneの導入をトップダウンで断行していった。個人のメールアカウントが付与されたのが2年前、各営業所でWi-Fiが導入されたのは半年前のこと。新しい一手を探る最中に、モチベーションマネジメントのコンサルタントに紹介されたツールが「Slack」と「Unipos」だった。
従業員の承認欲求を健全に満たす重要性に注目していた田中氏は、従業員同士でピアボーナスを送りあえるUniposに強く興味を惹かれた。一方で、Slackについては深く理解していなかったが、チャットによるコミュニケーションの可能性について体感した経験があった。この話が印象的だ。
「私は妻と娘2人の4人家族ですが、それぞれ全員となかなか話すことは少ないわけです。でも、”私と長女が話している姿を次女が見ている”状態は、次女とのコミュニケーションとしても成り立っている。たとえば私と長女が、次女を会話の話題に出して心配することがあれば、これは1対1でなく三角形のコミュニケーションになるんです。これってプラットフォーム型のチャットで得られる感覚と近い。1対1のコミュニケーションは実はストレスフルで脆弱だと思っています」
三角形のコミュニケーションでは、実際に言葉や情報のやり取りに参加している者同士だけでなく、その周囲の人間もゆるやかにつながり、彼らにも情報が浸透していく。田中氏は、家族間のコミュニケーションからチャットをプラットフォームとする組織づくりのヒントを得て、UniposとSlackの同時導入を決めた。
「情報を持てば人間は活性化します。現場のメンバーにとっては参加意識も持てますし、会社としても、トップと現場間の情報がスピーディーでスムーズになれば迅速な意思決定が可能です。Slack導入の狙いは、全員が同じ部屋で働いている感覚になるくらいの身近な情報網を構築し、意思決定のスピードをあげることでした」 (田中氏)
Slack導入の任の役割を担ったのは3ヶ月前に着任したIT情報システム部長執行役員である鈴木 琢巳氏だった。初めて社長からSlackの導入を伝えられた時には「うちには絶対向かないと思った」と言う。
不安を抱きながらも、プロジェクトを推進するためSlack導入の好事例をすでに持つ企業として知られるメルカリやSmartHRへ相談に行ったという。そこでも「カクイチには向かないのでは」と忠告を受けた。アナログなコミュニケーションはカクイチの課題でもありながら、一方で強みでもあり築きあげたカルチャーや哲学の現れでもあった。それを否定することになりかねないと危惧された。鈴木氏は当時の気持ちをこう振り返る。
「率直にお話いただき受け止めたのですが、だからこそやる気になった面もあります。カクイチのような古い体質だが哲学も歴史もある会社が、もし新進気鋭のベンチャー企業が使いこなすような最先端のツールを取り入れ、あえて摩擦を起こすことこそがイノベーションを生むのではないかと直感的に感じました。ただ導入は大変だろうなと思いました」(鈴木氏)