数百年の歴史ある世界遺産の街並みを誇る、ヨーロッパの小国エストニア。そのもう一つの側面は、結婚、離婚、不動産取引以外、すべての行政手続きがオンラインで完結する最先端の電子国家だ。
その根幹をなすのはもちろん、サイバーセキュリティをはじめとするエストニア発のIT技術。しかし、エストニアが電子政府の成功例と言われるのは、なにより国民に広く受け入れられ、実際に日々の生活で電子サービスが使われている点だ。
エストニア政府は、電子サービスに常に新しいテクノロジーを取り入れ進化させることで、良質なユーザーエクスペリエンス(UX)を追求し、電子政府の取り組みが国民に受け入れられるよう努力してきた。
今回は、これまでエストニア政府が行ってきたユーザーエクスペリエンスの質向上とはどのようなものか。その一例として、あらゆる電子サービスのキーとなる電子認証はどう進化してきたのかを深掘りする。
電子国家のリーダーたちに備わるマインドセット「ユーザー・ファースト」
まずはエストニアの電子政府の実態を数字で見てみたい。電子認証(本人確認)とサインをデジタルに行うために必要なIDカードは、ほぼ100%の国民に普及。学校の85%がID情報にアクセスできる電子プラットフォームを活用し、確定申告の95%、法人設立手続きの98%、薬の処方の99%がオンラインで行われている。
エストニアが電子国家と呼ばれるのは、この電子サービスの高い普及率ゆえだ。生活のあらゆる側面、医療・学校・ビジネスなどがすべて共通の電子認証と電子署名ツールを用いてデジタル化されているだけでなく、実際に国民に受け入れられ、そうした情報が日々活用されている。
これは人口約130万人という小国ゆえに成し遂げられたこととも言われるが、一方で、電子化の取り組みによって、国民が実際に生活が便利になったことを実感してきたからこそ、広く浸透してきた点は無視できない。
エストニアの独立回復後、最も若い、そして初の女性大統領であるKersti Kaljulaid氏は、「政府は国民に利益をもたらすテクノロジーに投資すべきであり、エストニアのデジタル化は国民とプライベートセクターとの協力のもと進めるべきだ」と語る。
また、電子政府に関わるコンサルティングを諸外国から請け負う「Eガバナンスアカデミー」の設立者の一人、情報工学者のLinnar Viik氏も、電子政府に対する国民の信頼は、サービスのユーザー、つまり、国民一人ひとりの体験の質向上によって醸成されるべきものだと強調している。
そうしたマインドセットを持つ政治的リーダーたちのもと行われた、ユーザーエクスペリエンスの質向上にまつわる取り組みのひとつは、電子サービスを国民が経験できる場を増やすことだ。
例えば、電子認証は銀行など多様な民間サービスが活用しているし、また電子政府の目に見えない屋台骨とされる、暗号化技術を活用した国民のID情報交換プラットフォーム「Xロード」は、毎日1000を超える政府機関、民間団体・企業が利用している。
国民が公的手続きをする機会はさほど多くないものだが、このような民間部門への電子サービスの浸透により、病院や店舗、職場など日常生活のあらゆる場面で、国民が電子サービスの簡便さ、迅速さといったメリットを体感できるようになった。
さらに、電子サービスを浸透させるうえでは、個々のサービスのユーザーエクスペリエンスの質向上も欠かせない。その一例が、あらゆる電子サービスへのアクセス時に本人確認のために必要とされる、電子認証の進化だ。
ユーザーエクスペリエンスの質向上を追求、進化しつづける「電子認証」
エストニアで行政手続きをほぼすべて電子化させるうえで必要不可欠だったのが、誰が今パソコンの前にいて、サービスにアクセスしているのかを確認する手段、すなわち電子認証だった。
いまやほぼすべての行政手続きと、民間企業の5000を超える電子サービスで使われ、市民の生活に欠かせないものとなっている電子認証。その最初のツールであるICチップを埋め込んだIDカードは、電子政府の構築が始まって間もない2002年に導入された。
このIDカードは、顔写真つき身分証明書であると同時に、搭載されたICチップによって、専用のカードリーダーに差し込み、暗証番号を入力することで、電子認証と電子署名を行う機能を持ち、物理的にも電子的にも身分証明書として使用できるものだ。
このIDカードによって、あらゆる行政手続きがインターネット接続環境とパソコン、カードリーダーさえあれば、自宅やオフィスから行えるようになった。
それは例えば、確定申告、住民登録、年金や各種手当の申請、自動車の登録手続き、国民健康保険の手続き、運転免許の申請と更新、出生届提出や保育園・学校への入学申請、学校の成績表へのアクセスなどに加えて、銀行口座、病院の診療履歴へのアクセスといった民間サービスの利用、そしてエストニアの名が知られるきっかけとなった世界最速のオンライン会社登記や電子投票と、挙げればきりがない。
前述したようにIDカードの普及率はすでにほぼ100%に達しているが、初めての導入から17年目となる2019年の今年、エストニアの電子認証は現状に甘んじることなく、さらに進化した。
電子認証の使いやすさをさらに高めるため、IDカードの後に導入されたのが、エストニア企業SKIDソリューションズが開発した、モバイルIDとスマートIDだ。
(モバイルID SKIDソリューションズ公式チャンネルより)
モバイルIDは2007年に国内大手通信会社との協力のもとに導入されたSIMベースの電子認証で、この導入によってIDカードやカードリーダー、パソコンがなくても、外出先から携帯電話だけで簡単に各種電子サービスを使用できるようになった。今では投票の12.2%がモバイルIDによって行われるなど、国民に広く使われている。
そして、2016年にはアプリベースの電子認証、スマートIDが開始された。専用のアプリをダウンロードすることで、スマホやタブレットなど複数の端末から電子認証が使用できるようになる。
その操作は非常にシンプルで、子供や高齢者でも簡単に操作が可能だ。現在では、ラトビア、リトアニアにも導入され、エストニア以上のユーザー数を記録している。
(スマートID SKIDソリューションズ公式チャンネルより)
そして最新のアップデートは、昨年12月より配布が始まった新IDカードだ。これは非接触式の読み取りも可能で、交通機関などより多様な場面でのIDカードの活用が見込まれる。なお、高いセキュリティが要求される機能に関しては、これまでどおり接触式の読み取りと暗証番号の入力が必要となる。
エストニアに追随を試みる各国、そして日本のこれから
デジタル単一市場の構築を進める欧州連合(EU)では、エストニアだけでなく、ルクセンブルグからドイツまで、様々な人口規模の、多様な歴史背景を持つ国々が、電子政府の構築と電子サービスの普及に向けて努力を続けている。
その成果は、2020年を期限としたアクションプランと、エストニアが欧州連合の議長国を務めた2017年に策定されたタリンeガバメント宣言に沿ってレポートとして発表されており、昨年はバルト三国の他、フィンランドやスウェーデン、ルーマニアが高く評価された。
日本も2013年の「世界最先端IT国家創造宣言」により、2020年までに世界最高水準のIT利活用社会の実現とその成果を国際展開することを目標と定めている。これまでも確定申告の電子化、法人税の電子申告の義務化などが進められているが、ユーザーである国民はそこからどのような体験を得ているだろうか。
ユーザーエクスペリエンスの質を重視するエストニアの電子政府戦略は、高い技術力を持ちながらも電子サービスの普及に苦慮する各国の取り組みに、新しい視点を提供するものではないだろうか。
文:大津陽子
編集:岡徳之(Livit)
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