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ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情 第423回

業界に痕跡を残して消えたメーカー Power MacintoshのOSになれなかった悲劇のBe

2017年09月04日 12時00分更新

文● 大原雄介(http://www.yusuke-ohara.com/) 編集●北村/ASCII.jp

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製品発売前に対応プロセッサーが生産中止

 さて、OSを作るにあたっては当然ながら想定されるハードウェアがなにかないといけないのだが、当時のマシンの中でGassee氏のお眼鏡にかなう物はなかったらしい。そこで当初、同社はAT&TのHobbitというプロセッサーを使って最初の開発ボードを構築する。

 AT&TのHobbitはCRISP(C-language Reduced Instruction Set Processor)というアーキテクチャーに基づくものである。このCRISP、もともとはAT&T傘下のベル研究所で1980年代に研究されていた、“C Machine”(C言語で記述されたプログラムを高速に実行するプロセッサー)のプロジェクトの産物である。

 CRISPチップのうち、C言語の解釈部分を手がけたのはDavid Ditzel氏、この後SPARCやAm29000の設計を手がけTransmetaを立ち上げる、あのDitzel氏である。HobbitはこのCRISPチップの商用版という位置づけになる。

 パイプライン構造は3段で、命令は1/2.5/3バイトの可変長(このあたりはRISCっぽくない)、ほとんどの命令は1サイクルで実行可能、かつ分岐予測をディレイなしで実行可能で、投機実行すら可能になっていた。

 命令プリフェッチバッファー(事実上のL1 I-Cache)は当初の92010が3KB、後継の92020が6KBであり、20MHz駆動の92010は12 DMIPS(Dhrystone MIPS)(13 DMIPSという数字もある)を叩き出している。製造は0.9μmプロセスのCMOSで、性能/消費電力比はかなり高かったが、絶対性能はそうでもなかった。

 AT&TはこのHobbitをARMのプロセッサー(Newtonに採用されたARM 610を競合と位置づけていた)に代わり、PDA市場でシェアを取れることを期待し、自社でもGo ComputingのPenPointを搭載したEO-440 Personal Computing Systemを開発して、1992年のCOMDEXでお披露目した。

EO-440 Personal Computing System。PenPointを搭載、手書き入力を可能にした。ちなみにこの際の発表会では、マシンの製造はパナソニックで、Hobbitチップのセカンドソース製造はNECが行ない、東芝はHobbitベースのPDA製品を開発予定と発表されていた

AT&TのロゴがあるのがHobbitチップとそのチップセット。CPU(ATT92010)、システム管理(ATT92011)、PCMCIAコントローラー(ATT92012)、デバイスコントローラー(ATT92013)、ビデオディスプレイコントローラー(ATT92014)がまずラインナップされ、後に高性能版のATT92020プロセッサーも追加された

 ちなみにこのCOMDEXにおける発表の17時間前に、日本でもEO-440の発表会が開催された「らしい」が、これを裏付ける発表会レポートはすでにどこにも残っていない。

 話は錯綜するのだが、もともとこのEO-440を開発したEO Personal Communicatorという会社はGo Computingからの独立組で構成されていた。1992年にAT&Tに買収されて、EO-440はAT&Tからの発売になるのだが、実はEO-440の発売以前にAT&Tの半導体部門はHobbitの生産中止を決めていたらしい。

 要するにNewton向けプロセッサーの座をARM 610に奪われたため、市場性に欠けると判断したらしいのだが、その話はEO-440の部隊にまったく伝わっていなかったらしい。

 ついでに言えば、AT&TはこのEO-440を家庭向けに開発・発売したわけだが、それとは別にAT&Tは業務向けにGeneral Magicと組み、Telescriptと呼ばれる手書き入力サービスをベースにしたシステムを構築し、これをプロバイダーに提供するビジネスも並行で動いていた。

 要するにAT&Tと一口で言っても隣の部隊がなにをやってるかさっぱりわからない状態だったらしい。そんなわけでEO-440も発売はしたものの、肝心のCPUが生産中止とあれば売れるわけもなく、結局ひっそりと消えていった。

ようやくハードウェアが完成
BeOSが実装される

 だいぶ脇道に逸れたので話を戻そう。1990年といえばまだこのHobbitチップの売り先をAT&Tが模索していた状態であり、Beにとっては都合が良かったのかもしれない。最初のBeOSはHobbitをベースに実装されることになる。

 ただ12(13) DMIPSはPDAには十分でもPCには明らかに非力である。なにせインテルは1989年に80486DX/50MHzをリリースしており、明らかに見劣りした。66MHzのものが54 DMIPSなので50MHzでは41 DMIPSほどになるからだ。

 そこでBeは途中でターゲットをHobbitからPowerPCに移行させ、1995年にBeBoxとして発表する。Hobbitベースの開発ボードの構成はHobbit×2とAT&D 9308S DSP×3というものだったが、これが66MHz/133MHzのPower PC603×2に切り替わった。

BeBox。一見するとミドルタワーのAT互換機なのだが、下側に2つのLEDアレイが用意され、これがCPUの負荷を表示するという、なかなか小粋な演出になっていた。写真では消えているが、この黄色のCPUアレイの下には、HDDアクセスを示すLEDも搭載されていた

 メモリーはSIMMスロット×8で最大256MB、PCIスロット×3、ISAスロット×5、オンボードでSCSIとIDEポートを持つほか、シリアル×4、PS/2マウス、ジョイスティック×2、MIDI In/Out各2、IRポート×3、オーディオ入出力×2、さらにGeekPortと呼ばれる独自の拡張ポートも搭載されるという、なかなかに重厚な構成である。

 1995年10月に発表されたのはPowerPC 603 66MHz×2の構成で、価格は1600ドル(基本構成)。翌1996年8月にはプロセッサーをPowerPC 603 133MHz×2に強化したものが、2995ドルで発売された。

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