VisiCorpの衰退の原因を作ったのがLotus 1-2-3、という話を連載401回でしたので、今回はそのLotus Development Corporationの歴史を追っていこう。
IBM-PC向け表計算ソフトで市場を席巻した
Lotus Development
Lotus Development Corporationは、1982年4月にMitchell D. Kapor氏とJonathan Sachs氏の2人が創業した。Kapor氏の前職は、VisiCorpのHead Development(エンジニアリングのチーフ)であり、在職中に彼はVisiPlotとVisiTrendという2つのソフトウェアを開発している。
連載401回で紹介した通り、VisiCalcそのものを開発したのはSoftware Artsであるが、VisiCorpはそのVisiCalcと連動して動くソフトウェアを開発・販売していた。
VisiPlotはVisiCalcで生成したチャートをグラフィックで出力するもの、VisiTrendは統計分析を行なうためのソフトウェアである。どちらもVisiCalcのアドオンに近い形で動作した。
正確な意味でのアドオン(プログラムの中から呼び出す)は、この当時のメモリー環境では不可能だったので、一度VisiCalcの結果を中間ファイルに落とし、VisiPlotやVisiTrendを呼び出して処理し、VisiTrendでは再び結果を中間ファイルに落としてからVisiCalcでそれを読む、という手間がかかる方式だったが、当時としては画期的だった。
画像の出典は、Harvard Business Reviewの“Computerized Sales Management”
Kapor氏はこの2つのソフトの権利一式をVisiCorpに総額170万ドルで売却、その資金を元にLotus Development Corporationを設立した。そして最初に手がけたのがIBM-PC向けの表計算ソフトウェアである。
設立から10ヵ月間、アセンブラベースで開発を続け、登場したのがLotus 1-2-3(以下、1-2-3)である。
画像の出典は、“Wikipedia”
1-2-3の強みは、VisiCalcに比べて豊富かつ強力なグラフィック表現、それとシート再計算の高速化であった。またIBM-PCは最大256KBのメモリーを搭載できた(640KBまで拡張されるのは1983年のIBM-PC/XTである)ことで、VisiCalcよりもはるかに広大なシートを利用可能だった。
グラフィックについて加筆しておくと、当初はMDA(Monochrome Display Adapter)しかなく、これは80桁×25行のキャラクターディスプレーのみだったが、IBM自身もすぐにCGA(Color Graphics Adapter)を発売し、こちらはキャラクターに加えて640×200ピクセルの2色表示や、320×200ピクセルの16色表示などが利用できた。
1982年にはサードパーティー品であるHCG(Hercules Graphics Card)が登場しており、720×348ピクセルのモノクロ表示が可能になっていた。
これに対応して、1-2-3では早い時期から拡張ビデオカードに対応するAPIが用意されており、ビデオカードメーカーはこのAPIに対応したドライバーを提供することで、より広大な画面を利用できるようになる、という好循環が形成された。これはだいぶ後の話であるが、こうした拡張が当初から想定されていたのは事実である。
ちなみにこの開発期間の間に、Kapor氏はさらにファンドから合計500万ドル以上の資金を集めることに成功した。これを利用して1-2-3の発売直前の3ヵ月に100万ドル以上をかけて広告を打つことができた。これは1-2-3の立ち上がりに大きく貢献した。実際1982年11月に製品を発表すると、数日間で100万ドル分以上の注文が集まったという。
製品の出荷そのものは1983年1月だったが、その1983年にはVisiCalcをかわし、1-2-3がソフトウェアパッケージとして売上No.1の座に就くことになる。1-2-3のパッケージは495ドルという価格がつけられたが、発売後の最初の9ヵ月で11万本ほど出荷されており、1983年末には売上が5300万ドル、従業員数は250人に膨れ上がった。
この時点で同社は業界No.2(No.1は言うまでもなくマイクロソフト)の規模であったが、翌1984年7月には従業員数は520人に膨れ上がっており、いかに急速に規模が拡大したかわかる。
ただここまで急速に規模が拡大していくと、企業統治をどう行なうかが問題になる。これに備えてKaper氏はMcKinsey&Companyで経営コンサルタントの職にあったJim P. Manzi氏をリクルート。1984年からKaper氏は取締役会議長に退き、会社の経営はManzi氏に委ねられる。
その1984年には1億5700万ドルもの売上を達成、社員数は700人を超えたが、問題は売上が1-2-3に極端に依存していることだった。
もともと1-2-3という名前そのものが、表計算・グラフ作成・データベース管理という3つの機能を持つという意味を持たせたものだったが、実際には単に表計算ソフトとして使われることが多く、その意味では売上こそ大きいものの、財務基盤は脆弱であった。
1983年10月には株式公開も果たしており、ということは多数の投資家により会社の方針が厳しくチェックされ、場合によっては文句を付けられるわけで、そうした投資家に満足してもらうためにも製品の多角化は急務となった。
この連載の記事
-
第802回
PC
16年間に渡り不可欠な存在であったISA Bus 消え去ったI/F史 -
第801回
PC
光インターコネクトで信号伝送の高速化を狙うインテル Hot Chips 2024で注目を浴びたオモシロCPU -
第800回
PC
プロセッサーから直接イーサネット信号を出せるBroadcomのCPO Hot Chips 2024で注目を浴びたオモシロCPU -
第799回
PC
世界最速に躍り出たスパコンEl Capitanはどうやって性能を改善したのか? 周波数は変えずにあるものを落とす -
第798回
PC
日本が開発したAIプロセッサーMN-Core 2 Hot Chips 2024で注目を浴びたオモシロCPU -
第797回
PC
わずか2年で完成させた韓国FuriosaAIのAIアクセラレーターRNGD Hot Chips 2024で注目を浴びたオモシロCPU -
第796回
PC
Metaが自社開発したAI推論用アクセラレーターMTIA v2 Hot Chips 2024で注目を浴びたオモシロCPU -
第795回
デジタル
AI性能を引き上げるInstinct MI325XとPensando Salina 400/Pollara 400がサーバーにインパクトをもたらす AMD CPUロードマップ -
第794回
デジタル
第5世代EPYCはMRDIMMをサポートしている? AMD CPUロードマップ -
第793回
PC
5nmの限界に早くもたどり着いてしまったWSE-3 Hot Chips 2024で注目を浴びたオモシロCPU -
第792回
PC
大型言語モデルに全振りしたSambaNovaのAIプロセッサーSC40L Hot Chips 2024で注目を浴びたオモシロCPU - この連載の一覧へ