通信へのアプローチ
西牧 パソコン通信は実際にやられたんですか?
橘川 ポンプの読者で、市川 昌浩というCSKにいたエンジニアがいてさ、彼を呼んで勉強会を始めたんだ。まだ工業高校出て、大型コンピューターのオペーレーターになったばかりだけど、天才的な男だった。ポンプを辞めて1980年代に入った頃だね。
四本 俺と同世代だけど、彼ももう亡くなっちゃってるんだ。
橘川 いいヤツから先に逝くものなんだ。お前は長生きするぞ。最初は、ロッキードがやってたDIALOGというオンラインデータベースにアクセスするところから始めた。そのために漢字テレックスを80万くらいで買ってさ。
西牧 実際に買われたんですね。
四本 隣の家にカラーテレビが来た! みたいな調子で見に行った記憶があるよ。音響カプラの付いた端末で、通信速度が300ボーだから印刷している間に読めちゃう。
橘川 うちに集まって通信しながら研究したんだよな。それで1984年に「データベース : "電子図書館"の検索・活用法」という本を東洋経済新報社から出しているんだ。さっきの市川と、昔ロッキング・オンにいて今はTechLunchの翻訳をやっている滑川 海彦、それからいまは平凡社の会長の下中 直人の3人で、仕事が終わると僕の事務所に集まった。で、そのときポンプが将来どうなるか。ひとつの解として、無限の面積を持つ電子メディアができれば、完全な参加型メディアが成立すると。どうだ、すごいだろう。
西牧 国内大手のパソコン通信としては、1985年にアスキーネットが始まっていますね。続いてPC-VANが1986年、ニフティサーブが1987年ですね。
橘川 アスキーネットと言えば、今泉 洋だな。昔、渋谷がNHKでディスクジョッキーをやっていたときに、お皿回しをしていたやつがいてさ、NHKに「ニューヨークに行きたい」と言ったらダメだと言われ。それでアスキーの社長だった西 和彦と話して、アスキーの社員になってニューヨークの責任者になったんだ。そいつが帰ってきて作ったのがアスキーネット。日本にいた頃は、よく俺の家の洗濯機借りに来てたな。
四本 今泉さんはいまは武蔵美のデザイン情報学科の教授ね。1980年代の後半は、みんなコンピューター側にバラけていったんだな。ポンプの編集をやっていた松岡 裕典さんは、市川くん、UNIX MAGAZINEの川崎 通紀さん、室 謙二さんと一緒に、「WENET」というBBSを始めてる。当時は「オンライン雑誌」だって言ってたね。橘川さんも「CB-NET」という、ポンプのコンセプトを引き継いだBBSのホストを始めてる。
橘川 1980年代の後半は日本中に草の根BBSが乱立したよな。その中でも漫画家のいがらしみきおさんが「IMOS」というBBSを仙台でやっていて、これがおもしろかったんだよ。
西牧 「ぼのぼの」の作者ですね。
橘川 チャットを使って「エアプロレス」やってたりした。テキストで「こんのやろー」「どうだあ」「ヨッシャアー」などという叫び声だけでやるんだ。
西牧 ええと、それはなにがいったい……。
四本 当時はおもしろかったんだよ、なぜか。いま考えるとわからないことばかりだ。
橘川 いがらしさんはIMOS、WENET、CB-NETが日本三大コンセプチャルBBSだと呼んでくれた。BBSのホストはどこもナツメ社のBIGMODELだったな。CB-NETも1990年代前半、いろんなテストをやった。四本が国立に原子力発電所を作って住み着いたり、そこに酔っぱらった僕が乱入して、原発にゲロ吐いたり。
四本 無意味な思い出話は止めましょう。掲示板のディレクトリに、部屋とか建物みたいな空間メタファーを持ち込んだのがおもしろかったんだね。
橘川 ちなみに日本のネットで「(笑)」というのが一般化したけど、俺の知る限りでは最初に始めたのは、いがらしさん。それをおもしろがって使いまくって広めたのが、CB-NET時代の橘川さん(笑)。
いまのインターネットは最終形態じゃない
西牧 ネットメディアと言えば、いまのブログとかはどうなんですか。インターネットが始まってから、個人が長文を書ける最初のタイミングだったと思うんです。
橘川 インターネットというのは巨大なポンプだと思っているわけですよ。ブログやTwitterは、その投稿箱だと思っている。あくまでも投稿のシステムであって、それが最終形態ではない。俺らも投稿のシステムはいろいろ考えたわけだよ。たとえば、ポンプノートとかね。
西牧 それって普通のノートですか?
橘川 そう。これは創刊号に協力してくれた人、それぞれに言ってノートをお店に置かせてもらったの。よくホテルに落書き帳とかあるじゃない。ああいう感じで置かせてもらって、それを担当者が毎月行って、コピーして編集部に送ってもらうの。
西牧 えらく原始的ですけど、ポンプを知らない人でも投稿はできると。
橘川 たとえばTwitterやブログのシステムを作ったヤツらが、いまはMediumをやってるじゃない。だからよくわかるわけ。初めは投稿できる、自分の意見を世界に広げられるということが、使う側の欲望だったんだな。でもそれが普及すると、次のテーマが生まれたわけだ。書ければよかったから、伝わるがテーマになる。
西牧 YouTubeもそうですよね。最初はただ動画を上げるだけだったのが、YouTuberみたいな人たちが出てくる。
橘川 使う側もメディアも、徐々に成熟しつつあるということだね。たとえばピースオブケイクの加藤 貞顕くんがやってるNoteみたいな課金の仕組みがあるじゃない。あれも課金システムが新しいんじゃなくて、お金をもらうことで、書く側に読ませることを意識させる。読ませるための手段としてお金があるということだと思うんだよね。どっちにしても、いまのインターネットは最終形態じゃない。その話はまたな。
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ロッキング・オンの時代 |
橘川幸夫著『ロッキング・オンの時代』
11月19日発売
渋谷陽一、岩谷宏、松村雄策とともに創刊メンバーだった著者が振り返る、創刊から10年の歩み。荒ぶる1970年代カウンターカルチャーと今をつなぐメディア創世記。装丁はアジール。
著者紹介――四本 淑三(よつもと としみ)
1963年生れ。フリーライター。武蔵野美術大学デザイン情報学科特別講師。新しい音楽は新しい技術が連れてくるという信条のもと、テクノロジーと音楽の関係をフォロー。趣味は自転車とウクレレとエスプレッソ
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