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『角川インターネット講座』(全15巻)応援企画 第9回

第5巻『ネットコミュニティの設計と力』監修者インタビュー

コミュニティの未来とは? その疑問(=はてな)に近藤淳也氏が答える

2015年12月05日 18時00分更新

文● まつもとあつし 写真●Yusuke Homma(カラリスト:芳田賢明) 編集●村山剛史/ASCII.jp

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“ネットだと攻撃的になる人”と
“ハンドル持つと人格が変わる”は同じ

―― とはいえ、様々な人々が集まってくると、いさかいやコミュニケーションの在り方が変質して、既存のユーザーの離反を招くなど、コミュニティが疲弊していくことも避けられません。「信頼」だけでは10年サービスを続けることは難しかったのではありませんか? そこには何か秘訣はあるのではないでしょうか?

近藤 秘訣はありません(笑)。でも、人ってそんなに悪い人、ヘンな人っていないじゃないですか? こうやって会って、話して、それでもわかり合えない、ずっとヘンだ、っていう人はそうそういません。

―― (笑)。でも、それがネットになると、「一体どうしちゃったんだ、この人は?」みたいなことがありますよね。Twitterではそれが可視化されて拡散されるので如実ですが。間違ったことを認められない専門家がいたり、そもそも日本人は議論の訓練を受けていない、という面もあるかもしれませんが。それでも信じられるし、一定のクオリティを維持できる理由が知りたいですね。

近藤 たしかに根本は信頼なんですが、人間どうしても欲に負けて一線を越えてしまうことはあります。喩えれば「クルマに乗ると人格が変わる人」っていますよね。

―― それは良い喩えですね(笑)。

近藤 普段は温和なのに、ハンドル握ると戦闘モードになってしまうような。ネットも、「自分の持つ本来以上の力を出せる装置を手に入れた」みたいな錯覚に陥って、それを思いっきり使ってみたくなるような感覚に陥ってしまうことはあるでしょう。

―― いわゆる「全能感」ですね。

近藤 クルマ、ネットにかかわらず、それって技術とは直接関係のない話なんです。だから、ネットを使わない、というのもちょっと違うと思います。

コメントやトラックバックの代わりに星印を送るサービス「はてなスター」。あくまでも応援、ポジティブな気持ちを表わすための行為として設計されており、コミュニティ運営に対する近藤氏の想いを端的に示すサービスといえる

コミュニティサービスの成功には“内製”が必須

―― 先ほど、新しいユーザー、一般ユーザーが参加していることにはてなの特徴があるというお話をされていましたが、そのことと、コミュニティの継続性に関連はありますか?

近藤 『ネットコミュニティの設計と力』で、筆者のけんすうさん(株式会社nanapi代表取締役 古川健介氏)の、コミュニティには古参と新参の入れ替え=ローテーションがあったほうが良い、という話は新鮮でしたし、なるほど、と思いましたね。

 ユーザーの新陳代謝をサービス側から能動的に働きかけるということは考えたことがなかったので。『そういう考え方もあるのか』と興味深かったですね。(自分は)ユーザー同士の様々な成り行きがあって、コミュニティが変遷していく様を一歩引いて、中立的に見ている、というか。

―― Twitterやmixiなどブームになるとユーザー間のオフ会が盛んに開かれたりもしますが、10年経っても未だにはてなユーザー同士でオフ会が開かれ、そのレポートがブログ記事になったりします。かなり珍しい現象だなと思うのですが、近藤さんは参加されたりするのでしょうか?

近藤 以前はちょこちょこありましたが、最近は……。お呼びが掛からないな(笑)。

―― 呼ばれたら行きますか?

近藤 どうだろう……趣旨によります(笑)。でも、ユーザーが主役である、という点はずっと一貫してますね。僕の場合は能動的に、コミュニティに働きかけて変化を促す、ということはやってなくて、「今こういうモノを求めているユーザーがいるはず」と思って、場を作る。

 集まってくれたユーザーが満足してくれるように場を運営していく。それを繰り返すことで、たまたまこれだけのユーザーが集まってくれた、ということじゃないかと。

―― はてなでは新サービスも頻繁に生まれる反面、人気がないものは比較的あっさりと終了となったりしますよね。その結果としてコミュニティとしての新陳代謝が生まれているのかもしれません。それができるのも技術者を抱え、サービスを内製されているからです。

近藤 ネットの歴史を見ても、特にコミュニティに関しては自分たちで内製しないとサービスは成功しないんです。それってユーザーとの対話みたいなものですから。外部で作ったものを提供しても、ユーザーに響かない、というか。

―― ユーザーから「ここはもう少しこうであって欲しい」という要望が出てきても、自分たちが作ったものでなければ、応えにくい。

近藤 たまたま外注したものが上手く行ったとしても、サービスとそれに伴った対話はずっと続いていく話ですからね。ユーザーの困りごと、ニーズにはずっと応え続け、主体であり続けないといけないのだと思います。

―― 運営面ではいかがでしょうか? Twitterでもアカウントが凍結されるといったことがよく起こって物議も醸していますが、コミュニティという場の空気を保つために工夫されていることは?

近藤 はてなならではという要素もあると思いますし、一般的にこうすれば正解というものもないと思います。ただはてなについて言えば、「ユーザーを信じる」というコトと表裏一体なのですが、できる限り介入しないというのはポリシーになっています。

 とはいえ、明らかに逸脱があるユーザーのアカウントを停止するということもやっているのですが。ただ全体としては自由に発言できることを重視しています。

 批判ができなくなるのは窮屈ではないかと。個人的な思いでもあるのですが、批判精神がなくなると創造的な議論がなくなってしまうと思うんです。相手が言うことを単に肯定するだけでなく、それに対して違う意見を表明することで、初めて議論の拡がりが出て、次の次元に議論が進めるということだと思うんですね。

 友だち同士で良いね、良いねって言い合っているのは心地良いかもしれませんが、少なくともパブリックな場所、色んな言論が行き交うという場所においては、異論が出てくる機会を確保しておかなければならないのではと。

 一方で、ただ日常を綴っていたいだけの人の日記にある日突然たくさんの人がやってきて批判を浴びせて帰っていく、しかもどこの誰かもわからない。そういう言葉の暴力みたいなことが起こるのは防ぎたい。自由な議論と、安心して発言できる場とのバランスを保つのが難しいし、コミュニティの維持・発展の肝だと僕は考えています。

(次ページでは、「匿名から実名への潮流は、思想が動かしたのではない」)

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