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情報の取り扱い説明書 2015年版 第12回

ウェアラブルの可能性は視覚以外を拡張することにある

Apple WatchとGoogle Glassは何が明暗を分けたのか?

2015年09月22日 12時00分更新

文● 高橋幸治、編集●ASCII.jp

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ウェアラブル・コンピューターが訴求すべき感覚は「触覚」

 文字どおりのウェア=衣服が人間の身体感覚にいかなる影響をもたらしかについて、民俗学者の柳田國男は「木綿以前の事」の中で興味深い点を指摘している。

Image from Amazon.co.jp
表題の論考以外にも「働く人の着物」や「国民服の問題」といった服に関わる研究から、「女と煙草」や「酒の飲みようの変遷」など社会風俗に関する考察まで計19編を収める

 この小編はタイトルにもあるように、日本人が「木綿」の衣類を用いるようになる前と後とでは、社会や生活にどのような変化が生じたのかを考察したものだ。

 “色ばかりかこれを着る人の姿も、全体に著しく変わったことと思われる。木綿の衣服が作り出す女たちの輪郭は、絹とも麻ともまたちがった特徴があった。(中略)全体に伸び縮みが自由になり、身のこなしが以前よりは明らかに外に現れた。(中略)そんな事をしている間に、以前の麻のすぐな突張った外線はことごとく消えてなくなり、いわゆる撫で肩と柳腰とが、今では至って普通のものになってしまったのである。それよりも更に隠れた変動が、我々の内側にも起こっている。すなわち軽くふくよかなる衣料の快い圧迫は、常人の肌膚を多感にした。胸毛や背の毛の発育を不必要ならしめ、身と衣類との親しみを大きくした。すなわち我々には裸形の不安が強くなった。”

 日本人が木綿の衣服を着るようになったのは実は明治以降のことで、それまでも何度か大陸から綿花が輸入されたりはしたものの、栽培がうまくいかなかったり、糸に加工することの困難さゆえに、庶民の平装の原材料にはなかなかなり得なかった。

 それが維新以降の殖産興業の時代になり、近代化による機械化の後押しも手伝って、突如として日本人は木綿の服を日常的にまとうようになる。そして柳田が言うように、この新しいウェアは人間の色彩感覚や動作/挙動、美意識、そして身体の構造にまで広範な変化をもたらすようになった。

 まさに新しいテクノロジーが人間の身体感覚を変容させた好例と言えるだろう。筆者がMac雑誌の編集長だったというひいき目もあるかもしれないが、ウェアラブル端末としては眼鏡型のGoogle Glassよりも時計型のApple Watchに可能性を感じている理由はここにある。

 さらに、Googleの「Project Jacquard」(ジーンズメーカーのLevi Strauss社と共同で衣服から直接スマートフォンを操作する研究プロジェクト)など、触覚の比率を上げることによって新しいコンピューティングを開拓することこそ、ウェアラブル・コンピューターの未来にほかならないように思う。

Apple WatchのCM「US」。相手の触覚に直接訴える身体情報の送信など、視覚情報の過剰な供給とはまったく異なる新しいコミュニケーションの形態が描かれる



著者紹介――高橋 幸治(たかはし こうじ)

 編集者。日本大学芸術学部文芸学科卒業後、1992年、電通入社。CMプランナー/コピーライターとして活動したのち、1995年、アスキー入社。2001年から2007年まで「MacPower」編集長。2008年、独立。以降、「編集=情報デザイン」をコンセプトに編集長/クリエイティブディレクター/メディアプロデューサーとして企業のメディア戦略などを数多く手がける。現在、「エディターシップの可能性」をテーマにしたリアルメディアの立ち上げを画策中。本業のかたわら日本大学芸術学部文芸学科、横浜美術大学美術学部にて非常勤講師もつとめる。

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