スイスで開催される世界最大の時計トレードショー、「バーゼルワールド」。今年は従来のバーゼルでは見慣れない、グーグルやインテルといったIT企業のロゴが会場を飾り、スイスの時計メーカーから数多くのスマートウオッチ的な製品が発表された。これまでもスマートウオッチは存在したが、スイス時計業界がこれほど本気なのはApple Watchへの対抗としか考えられない。Apple Watchは伝統的なスイス時計産業の太平の眠りを覚ますアメリカの先鋭としても注目を集めている。
脅威は時代の波に乗ってくる
スイス時計業界に脅威が現れたのはこれが初めてではない。
1890年代〜1920年代には最低限の品質だが、極めて安価なアメリカ製の懐中時計がスイス時計産業を驚かせた。文字盤は印刷した紙を使い、ムーブメントは歯車の軸受けにルビーを使わないピンレバー式脱進機。ゼンマイはむき出しで、丁寧に削り出されるべき地板はプレスで打ち抜き。部品をリベットで固定するため、修理すらできない代物だった。流通も通信販売中心としてコストを削り、文字通り1ドル前後で販売された。アメリカ式の大量量産で作られた通称ダラーウオッチは、庶民にパーソナルな時間管理をもたらすことになった。
2度目の脅威はご存じクオーツショックだ。クオーツウオッチは1969年に登場し、1970年にはLEDデジタルウオッチが、1972年には液晶LCDのデジタルクオーツウオッチが登場する。当時のスイスには液晶や基板を大量供給できるメーカーはなく、テキサス・インストルメンツ、インテル系のマイクロマ、GE系RCAのオプテルといったアメリカのハイテク企業に頼ることになる。急伸するアメリカのコンピュータ会社はやがて自社ブランドの腕時計で業界に参入する。アタリやテキサス・インスツルメンツ、モトローラまでが自社ブランドの腕時計をリリースしていた。もちろんセイコー、シチズン、カシオといった日本の時計ブランドも急伸し、スイス時計産業は壊滅的な状態に追い込まれる。
ウオッチメーカーによる、スマートウオッチの再定義
ダラーウオッチが求められた時代は、第2次産業革命と労働者階級の時代だった。ダラーウオッチは、当時急増していた労働者階級にも時間管理をもたらす革命だった。1969年はアポロ11号が月に行った年。この年に生まれたクオーツウオッチも、マイクロコンピューティングとテクノロジーの時代の必然だった。
スイスは伝統に固執して脅威に手をこまねいていたわけではない。スイス時計産業には、むしろ混乱のたびに時代をとらえて、自らを変え復活してきた歴史がある。スイス時計産業は絶対王政時代から現代にいたるまで時代の大きなうねりを取り込み、時代にマッチするように進化してきたのだ。実際、セイコーに先を越されはしたがジラール・ペルゴーは翌年の1970年にクオーツウオッチを完成している。世界初の液晶デジタル腕時計を発表したのはロンジンだった。
ここ最近の動きも単なるApple Watch対策ではないはずだ。ユビキタスとウエアラブルコンピューティングの時代の大きな流れのなか、スイス時計産業自身も変化を模索しているのだ。
安価で正確な腕時計がどれほど巷にあふれても高価な機械式腕時計は選ばれてきた。それは高級時計の付加価値を妥当と認める人がいるからに他ならない。腕時計を高級に仕上げるには宝石や貴金属を使えばいいというものではない。スイス時計産業は王侯をクライアントとしていた時代からのノウハウがある。職人が惜しむことなく手をかけたムーブメント、時代を経ても魅力を失うことのないデザイン、心地よい着け心地と完璧な仕上げ、そして何より付加価値の高い腕時計を生み出すセンス。
高級な腕時計を作り上げるのに必要なすべてがスイスにはある。バーゼルで発表されたスマートウオッチは、どれもスイス時計に求められる価値を崩すことのない提案として、開発されたと筆者は解釈している。それらは「スイス時計ブランドによるスマートウオッチの再定義」なのだ。やがて日本に入荷するスイス製スマートウオッチを店頭で見かけたら、手にとってウオッチメーカーが製品に込めたメッセージを読み取っていただきたい。
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