東北地方太平洋沖地震は、「ネットの力」が再確認された出来事でもあった。
Twitterでは、安否確認や災害知識などがものすごいスピードで行き交っていた。デマも多く拡散したが、そのたびに打ち消す声も上がってくる。テレビやラジオと合わせて使うことで、多くの角度からいち早く意見を得ることができた。
その中で非常に重要な役割を果たした企業といえば、検索大手のグーグルだ。グーグルは、大災害が起こった際、「Crisis Response」(クライシス・レスポンス)という特設サイトを立ち上げている。チリやハイチの大地震の際もこのサービスを提供して、被災者たちに情報を届けていた。
今回も、地震発生からわずか2時間という驚異的なスピードでクライシスレスポンスの日本語ページをリリース。その後も、安否情報を調べる「パーソンファインダー」、地図で避難所を探せる「避難所情報」、電車の運行状況が分かる「鉄道遅延情報」などを立て続けに追加してきた。
これだけのプロジェクトをどのよう動かしてきたのだろう? メンバーの核になったのはウェブマスターの三浦健氏、プロダクトマネージャーのブラッド・エリス氏という二人だ。広報の富永紗くらさんを交えて、震災以降の活動を追うと、グーグルという組織のユニークさが見えてきた。
ネット最強の企業が、国内最難のプロジェクトに挑んだ1ヵ月を振り返ってみたい。
地震直後、逃げずにコードを書いていた
―― 地震が起こった際、みなさんは何をされていましたか?
三浦 私はオフィスでJavaScriptのコードを書いてました。
―― 六本木ヒルズの26階だと、かなり揺れましたよね。
三浦 そうですね。六本木ヒルズのレジデンスや、そこの窓を清掃していたゴンドラが激しく揺れていたのを覚えています。船が揺れるように周期が大きかったので、経験的に「ちょっと離れたところが震源かな」と思いました。同時に、離れていてもこんなにゆれているのだから相当大きいのだろうと考えて、防災系のウェブサイトやケータイのワンセグ放送で情報収集を始めました。
―― 避難はしなかったんですか?
三浦 「避難してください」と言うアナウンスが流れて、グーグル社員の多くも階段で地上に降りていったんですが、私はそのまま残りました。全員が下に降りると、今度は上がってくるのが大変になって、初動が遅れてしまうので。
―― ブラッドさんは?
ブラッド 私はタクシーで帰社している最中に地震に遭いました。揺れ始めは意外と冷静で、海外から出張で来ていた同僚と、「ああ、日本には地震があるんだ」って話をしていたくらいで。そのままタクシーは動いていたんですが、次第に揺れが大きくなって、結局交通がマヒしてしまった。
僕は日本に住んで10年になるんですが、周囲の運転手さんが車から降りて空を見上げている場面を見て、「ああ、これはやばいな」と感じたんです。そして六本木ヒルズに着いたら、エレベーターが止まっていて、多くの社員が1階のロビーや外に待機していた。
―― まさか階段で26階のオフィスまで上がったとか?
ブラッド 「階段で上がっても大丈夫ですよ」というアナウンスがあったので、26階まで歩きました。たどりついた頃には汗びっしょりになって。高校時代、運動のために70階ぐらいあるビルに昇ったことを思い出しましたよ。
(次ページに続く)
