30種類のウェブサービスを1週間でリリース
―― クライシスレスポンスでは、全部でどれくらいのサービスをリリースされましたか?
富永 最初の1週間で20~30ぐらいサービスを出しました。今もアップデートしています。
―― そんなに多くのプロジェクトに、何百人単位の社員でいきなり取り組んで、混乱はしなかったんですか。誰かがプロジェクトリーダーとして指示していた?
三浦 いや、最初はみんなバラバラで、自主的に動いていました。日本のエンジニアやウェブマスターも独自でサービスを作ってましたし、米国本社のチームがパーソンファインダーを日本語化したのも独自判断です。
ブラッド 「これは動いた方がいい」や「これは知らせた方がいい」といったアイデアが社内のあちこちから出ていました。
―― 独自に動いていて、アイデアは競合しないんですか?
三浦 競合するかもしれないけど、みんな声を掛け合って情報共有していました。すでに別の人が始めていたら、そこに合流してチームになるという。
―― 即席でチームを作って、課題に対して挑んでいくような?
ブラッド 毎日一緒に働いているので、この分野に詳しいのはこの人、って分かっているんです。だからやりましょうと声をかけるパターンもあります。別々の人から同じアイデアを相談されたら、その人たちをつないだりとか。
三浦 震災当日はまだそれほどでもなかったんですが、2~3日目からチーム化していきました。週が明けたら、プロジェクト管理とまではいかないけれども、Googleドキュメントでおおまかなリストを作って、誰が何をやっているかというのは最低限分かるぐらいに整理しました。
ブラッド 他の取材でも、「誰が命令を出しているのか」と聞かれましたが、グーグルでは指示を出している人は一人もいません。各人が勝手に動いています。あとは情報をシェアする環境を整えるぐらい。
三浦 一応、私とブラッドを中心としたコアチームみたいなものがあり、最終的にどちらかが目を通していました。信頼性なども加味して、これは今、われわれが出すべき情報なのか、といった感じで。
―― コアチームは「俺がやる!」みたいな感じでなったという?
ブラッド やります、と言った覚えはないですね。
三浦 今回、誰もそういう人はいなくて。ただ、エンジニアがサービスを作っても、最終的に私たちが担当していたクライシスレスポンスのページに掲載するので、どうしてもこの2人が出口になる。目にする情報が多かったから、何かあったら私たちに聞いて、となったという。
―― 自然発生的にコアになっていた。それでも組織はうまく回るんですね。
ブラッド 元々、肩書きとか年齢より、まともなアイデアを持ってるか、みんなと協調できるかってところを気にする文化(社風)ですしね。
(次ページに続く)