「かがみの国」はチェスの世界
角川つばさ文庫版ならチェスを知らなくても楽しめる!
「ふしぎの国のアリス」は読んだことがあるけど、「かがみの国のアリス」は未読という方は多くいるだろう。
というのも、「ふしぎの国」ではトランプがモチーフであったが、「かがみの国」では日本人にはあまり馴染みのないチェスがモチーフとなっているため、どうしても“話がむずかしいのではないか”という先入観をもってしまうのだ。実際にはそんなことはないのだが。
「かがみの国」は、チェスの世界で、アリスが白のポーンとなってチェス・ゲームに参加し、アリスが女王(クイーン)に「成る」までのストーリーだ。
チェスのルールもよくわからないのに物語を楽しめるのか?
そう心配されている方にこそ、この角川つばさ文庫版「新訳 かがみの国のアリス」をおすすめしたい。
「アリスのチェス教室」という特集ページを本の最初にもうけて、チェスを知らない子どもたちにもわかるようにしている。
なお、ここでは物語を楽しむのに必要なチェスの情報だけにとどめている。
「かがみの国」のアリスはちょっぴりおねえさん
実存について悩んだりしたりして
「ふしぎの国」は、アリスの7歳のお誕生日、5月4日、初夏の日の物語。「かがみの国」はそれからちょうど半年たった11月4日、雪の日、アリスが7歳半のときの物語である。
だから「かがみの国」のアリスは「ふしぎの国」の頃よりもほんの少し大人になって、もう涙の池ができるほど泣いたりはせずに、ぐっとこらえるおねえさんになったのだ。
なお、「かがみの国」でアリスが泣くのは2回だけ。
1回目は、ずんぐり坊やの双子、トゥィードルダムとトゥィードルディーに、
「あんたはキングの夢のなかにしかおらんのや。キングが目を覚ましたらあんたは消えてしまうんや――ふっと――ロウソクみたいに!」
「新訳 かがみの国のアリス」(角川つばさ文庫/河合祥一郎・訳)より
と言われて自分が存在しないのではないかと不安になるシーン。
そして2回目は森の中で白のクイーンに出会い、自分がひとりぼっちだと思うシーン。
とくに1回目のシーンはアリスの実存に関わる、「アリスは存在するのか?」と問われる場面。物語に登場するアリス自体、モデルとなった実在のアリス・リドルとは異なるルイス・キャロルの創造物ということを鑑みれば、ずいぶんと意味深な下りにみえてくる。
ルイス・キャロルが愛する7歳の少女アリスは「ふしぎの国」と「かがみの国」の作中にしかもはや存在しない。
ルイス・キャロルのアリスへの切ない片思い
NTR発動!? でも君にこの愛を贈ろう……
アリスのモデルとなった実在のアリス・リドル。
「ふしぎの国のアリス」が発表されたころ、彼女は10歳。そして「かがみの国のアリス」が発表されたころは、19歳のとても美しい大人の女性となっている。
ルイス・キャロルは、アリスの母・リドル夫人によって、アリスが11歳のころに、アリスと会うのを禁じられていた。
そのため、「ふしぎの国のアリス」は、キャロルがまだ交流があったころのアリスにささげた物語で、「かがみの国のアリス」は会わぬ間に大人になってしまったアリスにささげた物語である。
キャロルがいかにアリスに切ない思いを抱いていたか、「新訳 かがみの国のアリス」の冒頭の詩をよめばわかるだろう。
時はうつろい、ぼくと君
半世もはなれている憂(う)き身。
でも、愛らしい笑みで受けてくれると思いなし、
愛をこめて贈ろう、このおとぎばなし。
かがやける君の顔(かんばせ)、もはや見えぬ。
銀(しろがね)の笑い声も、もはや聞こえぬ。
若い君の人生は幸せざんまい、
ぼくのことなどかえりみやすまい――
「新訳 かがみの国のアリス」(角川つばさ文庫/河合祥一郎・訳)より
19歳の若く美しいアリス・リドルは、「かがみの国」が出版されたころ、レオポルド王子(ヴィクトリア女王の四男)と大恋愛していた。
まさにキャロルの詩のとおり「若い君の人生は幸せざんまい、ぼくのことなどかえりみやすまい――」なわけだ。もしこれがエロゲなら「NTR発動!?」と色めきたつところだが、これほど真摯な愛情をアリスにそそいでいた当時のキャロルの気持ちを思えば、どれだけ苦しんだのか計り知れず、気の毒でならない。
かがやいていたね、夏の太陽――
ぼくらがオールをこぐリズム
「新訳 かがみの国のアリス」(角川つばさ文庫/河合祥一郎・訳)より
とあるのは、よくキャロルがアリス・リドルを連れだしてボートをこいでいたためである。
「ふしぎの国のアリス」の冒頭の詩にもあった、その夏の日の楽しい思い出が、キャロルの心にはずっと残っており、それは「かがみの国のアリス」作中でもアリスがボートをこぐシーンにも表われている。
(次ページ「タテ読みで、さよならアリス……」へ続く)
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