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スマホメーカー栄枯盛衰~山根博士の携帯大辞典 第82回

携帯電話を普及させたパナソニック 技術力あっても撤退した未来へのビジョン

2018年03月18日 13時30分更新

文● 山根康宏

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 日本の個人向け市場から撤退しつつも海外では新展開をしているのがパナソニック。コスパモデルで着々と海外で存在感を高めつつ、日本向けには尖った製品を出してくるなど、同社のスマートフォンはまだまだ面白い存在です。パナソニックのスマートフォン市場参入の歴史、まずは日本市場を振り返って見ましょう。

老舗の携帯電話メーカー、ドコモに翻弄されたスマートフォン戦略

 パナソニックは1991年に旧NTTへ携帯電話を収めて以来、日本のキャリアと二人三脚で市場を切り開いてきました。スマートフォンへの参入は2011年8月。マイ・ファースト・スマートフォンというキャッチフレーズで投入された「P-07C」は、フィーチャーフォンを使っている女性をターゲットにした製品でした。グランスデザインというグロス系の仕上げや画面をデコれる機能などは他社の一般消費者向けのスマートフォンには無いものです。

パナソニック初のスマホP-07Cは女子向けを狙った製品

 おサイフケータイはなかったものの、日本の携帯電話契約者数を増やした立役者のうちの1台といえる存在です。ソフトバンクからは同型機が「003P」として登場。以降、数モデルはドコモとソフトバンク向けに同じベースの製品が投入されていきます。11月にはより小型の「P-01D」を投入し、ドコモのスマートフォンラインナップを拡充させていきます。

 そして年末商戦の12月にはパナソニックのデジカメブランドを冠した「LUMIX Phone P-02D」を発売します。前作まではメジャーメーカー製品の影に隠れがちな製品を出していたパナソニックでしたが、今回は一転してカメラに強いことをアピールする高性能機としての市場投入。デジカメとの販売相乗効果も狙えるものだったに違いありません。

 1300万画素の高画質カメラは当時のハイエンド端末であるiPhone 4sはもちろんのこと、Galaxy SIIIよりも高性能だったのです。なおソフトバンクからは「101P」として同系機が登場しました。

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