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歴史も未来も総ざらいした「Yamaha Network 30 Years」をレポート

実は“無謀な挑戦”だったルーター開発 ヤマハネットワーク製品の30年と2025年新製品を振り返る

文●福澤陽介/TECH.ASCII.jp

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 2025年12月16日、ヤマハネットワーク製品の30周年を記念したイベント「Yamaha Network 30 Years」が開催された。

 「ヤマハネットワーク 30周年の出発点 ― 信頼の礎から、次のステージへ」と題した同イベントは、これまでの30年の歩みと2025年の新製品まとめ、今後のビジョンが披露され、ヤマハネットワーク製品の過去と現在、未来が一望できる内容になった(関連記事:ヤマハのネットワーク製品はなぜ30年間も愛されてきたのか? Interop 2025でその答えがわかった)。

 開幕の挨拶で、ヤマハの音響事業本部 事業企画統括部 統括部長である田中需氏は、「ヤマハの理念は『感動を・ともに・創る』である。音楽のハーモニーを奏でるように、ネットワーク領域でも新しい価値を作り出していきたい」と語った。

ヤマハ 音響事業本部 事業企画統括部 統括部長 田中需氏

振り返れば無謀だったルーター開発 ヤマハネットワーク製品は「RT100i」から始まった

 ヤマハのネットワーク製品は“イノベーションの連鎖”から生まれている。同社は1971年、電子楽器で良い音を届けるために、自ら半導体を製造すべく工場を立ち上げた。そこから楽器用LSI(大規模集積回路)が生まれ、1983年にはLSIの外販を始める。その後、1987年のモデム用LSI、1989年のISDN用LCIにて通信領域に参入した。

 そして、インターネット黎明期の1995年に、ISDNリモートルーター「RT100i」を発売した。これがヤマハのネットワーク製品の始まりである。

RT100i

 1998年にはネットボランチ(ヤマハのダイナミックDNSサービス)の初代モデルであるISDNリモートルーター「RTA50i」とヤマハ初のブロードバンドVPNルーター「RT140e」を発売。2002年には企業向けルーターのデファクトスタンダート機となった「RTX1000」を提供開始した。

RTX1000

 2011年には初のスイッチ製品である「SWX2200シリーズ」、2013年には初の無線LANアクセスポイント「WLX302」を投入した。

SWX2200-8G

 2014年にはネットワークを可視化する「LANマップ」対応のVPNルーター「RTX1210」を発売。2016年にはクラウド管理サービス「YNO(Yamaha Network Organizer)」を開始した。2017年には拠点用ルーターのベストセラーである「RTX830」が登場している。

 近年では2021年にUTMも投入している。今では総合ネットワークソリューションを提供するまで成長し、2025年に30周年を迎えた。この30年における、ネットワーク製品の累計集荷台数は560万台以上に達する。田中氏は、「今では、中小企業のネットワーク市場ではトップクラスのシェアを獲得し、教育や医療、エンターテイメントなどの現場でもヤマハのネットワーク製品が活躍している」と語った。

ヤマハネットワーク製品の年表

 ここからは、RT100iのソフトウェアやユーザーメーリングリストなどを手掛けた、基盤技術開発部 部長の広瀬良太氏による当時の振り返りを紹介する。聞き手となったのは、プロフェッショナルソリューション事業部 ネットワーク事業推進室 室長の山本欣徳氏だ。

ヤマハ 音響事業本部 基盤技術開発部 部長 広瀬良太氏

 最初に語られたのは「なぜルーターを開発したか」である。

 きっかけとなったのは“ISDN用LSI”の開発だ。ただ、当時ISDN回線は普及前で機器も少なかったため、まったく売れなかったという。「それなら、LSIを使った製品を作ってしまおうと思い立った。ちょうどコンピューターがLANでつながり始めた頃で、LANを遠隔接続するニーズを見越して、ISDNルーターを開発した」と広瀬氏。

 加えて、TCP/IPよりIPX/SPXがメジャーであった時代であり、ルーターはとても高価なものだった。「LSIを持つ我々ならもっと安く作れる」との狙いもあったという。ただ、販路がまったくない状態で作り出してしまい、「挑戦というよりは無謀だった」と広瀬氏は振り返る。

 ただ、偶然のつながりで住友商事の名古屋支店が扱ってくれた。それが30年間二人三脚で歩んできた販売パートナーのSCSKにつながっている。

ヤマハ 音響事業本部 プロフェッショナルソリューション事業部 ネットワーク事業推進室 室長 山本欣徳氏

 続いては、「開発の中での思い出」だ。広瀬氏が挙げたのは、開発初期から協力のあったWIDEプロジェクトとの合宿である。メンバーで旅館に泊まり込み、大浴場で、ネットブランチDNSの議論をしたという。「当時はインターネット電話の機能を開発していたころで、プロトコルをどうするか話し合った。その時、電話番号の解決にDNSを使えば簡単では? それならついでにホスト名も対応してしまえという思い付きで始まったのがネットボランチDNSだ」(広瀬氏)

 30年における「ターニングポイント」については、ヒット商品となった「RTA50i」と「RTX1000」、スイッチやAPでLAN領域に参入したこと、YNOでクラウド分野に拡張したことが挙がった。

 広瀬氏の“個人的な推し”は「RT105e」だ。2001年発売の同機は、ヤマハルーターで初めて“ISDNを搭載しなかった”モデルである。「これまでは、LSIのコストが高い中で、内製のISDN用LSIが差別化になっていた。インターネット接続がISDNからADSLに移行していくのを見据えて、マーケットや顧客が求めるものを作るあり方に変わることができた製品」と語られた。

 最後は「ものづくりで大切にしていたこと」だ。広瀬氏は、「顧客からの高い期待値に答え続けること」だと答える。「ネットワークの本質はつながり続けること。シンプルな本質を守りながら、それでいて手に届く便利さを提供してきた。これからはセキュリティや使いやすさでも進化していきたい」と締めくくった。

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