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プラットフォーム学~先端事例から学ぶ、社会実装の現在点

ウェルビーイング時代の経営デザイン 時代の変遷と知財がもたらすこれからの戦略

2026年03月02日 17時00分更新

文● ASCII

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 「厄介な課題」に取り組んでいかねばならない令和の企業や組織では、技術やサービスがどれだけ優れていても、それだけではビジネスに勝てない。顧客や社会が求める価値をどう定義し、どう提供するかが重要である。知財や無形資産がどのような役割を果たすのかも、その中で戦略的に位置づける必要がある。

 こうした視点で事業をとらえ、ダイナミックな決定と運営をしている企業の例として、本セミナーで取り上げられたのがテスラだ。テスラは壮大なビジョンを描き、そこから逆算した「マスタープラン」を公表し、それを着実に実行している。2006年の時点で電気自動車を普及させるという目標を掲げ、その後もエネルギーエコシステム、さらには地球規模のエネルギー問題の解決へと、段階的にマスタープランを更新してきた。テスラの戦略は中長期のビジョンを明確にし、それに必要な戦略を逆算して構築しているバックキャスト視点の好例となっているわけだ。

テスラが掲げてきたマスタープラン

オープン・クローズ戦略を使い分ける

 次のテーマとして語られたのは、知財の話をする上で避けて通れない「標準化」「規格化」についてだ。講演の大きなテーマとして掲げられた知財とルール形成では、ルール形成に関係する概念となる。

 標準化と聞くと、一般的にはJISやISOといった規格を思い浮かべる人が多いだろう。それは「単なる技術的な取り決めではなく、グローバルでルールをつくる行為そのものだ」と小林氏は語る。

 標準化にはいくつかのタイプがある。製品仕様そのものを標準化するケース、インターフェース部分を標準化するケース、マネージメントやサービスのプロセスを標準化するケース、さらには評価方法や試験手法を標準化するケースもある。それぞれに共通しているのは、皆が同じ前提で使える状態を規定することで、市場全体を成立させる役割を担っている点だという。

 通信規格や電池の規格がその典型例で、もし規格が統一されていなければ、機器同士はつながらず、市場は広がらない。標準化は一見すると儲からない、ボランティア的な活動に見られがちだが、その認識は日本的な誤解だと小林氏はいう。海外では実際に、標準化は事業戦略の中核であり、花形の役割として位置づけられているとコメントした。

標準化による様々な効果

 標準化とは、あくまでスタート地点に過ぎないと小林氏は語る。技術や仕様を標準として定め、多くのプレイヤーが使える状態にすること自体には、市場を広げる効果はあるが、それだけでは競争優位や収益性には直結しない。そこで必要なのは、標準、規格、認証、そして法制度を組み合わせたルールメイク戦略となる。このルール形成がうまく機能すると、ビジネスへのインパクトが大きくなる。

 まず民間主導で標準化を進め、その標準であることを証明する認証の仕組みを整える。それらが事実上のデファクトスタンダードとして市場に浸透した段階で、国や地域の法律・規制と結びつけていく。小林氏は標準とレギュレーションを重ね合わせることで、より強固なルールが形成されると語った。

 グローバル企業はこの方法を実践し、民間の標準、認証制度、そして国家レベルの規制を巧みに組み合わせ、市場そのものの前提条件を設計してきた。その典型例として小林氏は、環境やサステナビリティをめぐる国際的な動きを挙げた。2000年代初頭、ITと効率化を軸にグローバルルールを主導したアメリカに対し、ヨーロッパは環境や持続可能性という価値を前面に押し出して新たなルールを提示した。小林氏は、これは単なる理念の話ではなく、国家レベルのルールメイク戦略だったと指摘した。

 このルール形成を考える上で重要となるのは、標準化と知財をどう組み合わせるかだ。そこで小林氏が示したのはオープン・クローズの戦略だ。コアとなる領域はクローズで守り、共創や協調が必要な分野はオープンにして仲間を集め、市場を大きくする。このバランスを考えていくのがオープン・クローズの戦略だ。

 すべてをオープンにすれば市場は広がるが、自社の競争力は失われる。逆にすべてをクローズにすれば、市場自体が育たない。このバランスをどこで取るのかを意識的に設計することが、戦略上きわめて重要だと小林氏は指摘する。例えば、標準に組み込まれた特許(標準必須特許)は、その標準を使う限り誰もが避けて通れない技術となる。一方で、QRコードのように、基本仕様を無償で公開し、市場を一気に広げたうえで、読み取り技術や関連サービスといった別の部分で収益を得るという設計もある。

 小林氏は、市場がまだ存在しない新規事業の初期段階では、一定程度オープンにして仲間を増やし、市場規模を拡大することが有効だと語る。その上で、自社が競争力を維持すべき領域としてクローズすべき部分を見極める。オープンにする領域と、秘密として保持する領域を切り分けること自体が知財戦略の一部であり、知財は単に囲い込む対象ではなく、外部の技術や知見を取り込みながら価値創造を進めるための重要な要素となる。

オープン・クローズ戦略を使い分け「自社のシェア×業界全体の総売上」が最大となるポイントを選択

知財の未来 知財は人や組織、社会をつなぐ思考の枠組みそのもの

 本セミナーの最後のテーマは、現在の知財制度は社会や産業の発展に本当に寄与し続けられるのか?だった。

 小林氏は、現行の知財制度には制度疲弊を起こし始めている側面があると語った。特にITやAI、通信といった分野は技術進化が極めて速く、特許を出願しても審査を経て権利化する頃にはすでに次の技術が登場しているというケースが少なくない。小林氏も時間軸のズレが、制度と現実の乖離を生んでいるという指摘をしている。

 また、知財の取得や維持にかかるコストの問題もある。特許は成立した後も維持費(特許維持年金)がかかり続ける。研究者や大学、スタートアップにとって、この負担は決して小さくない。この制度の目的は発明者や研究者の努力を報いることで、次のイノベーションを生み出す循環を作ることにあるはずが、現実には努力した人が必ずしも報われない状況が生じているのではないかと問題提起した。

 こうした制度的な課題に対して、小林氏は知財を取るか取らないかの二択ではなく、自身が発明・考案したもののだと証明するために使う、社会実装のために使う、あえてオープンにするなど、さまざまな選択肢があると説明。制度を知り、理解したうえで判断することが不可欠だと語った。制度が変わるのを待つだけではなく、制度を理解し、使いこなし、必要であれば問い直していく。その積み重ねの先に、次の時代の知財のあり方が見えてくる。知財とは単なる法制度ではなく、人や組織、社会をつなぐ思考の枠組みそのものなのだ。

セミナーには様々な学部の学生が参加し、小林氏とコミュニケーションを取った

 講演の後、編集部では小林氏にイベントに参加した感想を聞くことができた。本セミナーのようにバックグラウンドの異なる人々が同じ場で議論することは重要であり、同じ土俵で議論できる場が新しい視点や発想を生み、新しい価値創造の可能性がある。京都大学の情報学はその学問領域自体が工学、農学、文学など多様な背景を受け入れるプラットフォームとして機能している。

 「1つの専門性を突き詰めるのは大事だけど、それだけが人生じゃない。切り口を変えたら、全然違う世界が見えてくることもある」(小林氏)

 小林氏は最後に本セミナーの参加者に向け、視野を広げることとチャレンジすることの重要性を語っていた。専門性を深めることは大前提だが、それだけが人生やキャリアのすべてではなく、自分の専門が、別の分野や社会課題とどう結びつくのかを考えることで、思いもよらない選択肢が見えてくる。「チャレンジにはリスクが伴うが、そのリスクをすべて恐れるのではなく、知財や標準化といった考え方を使うことで失敗しやすいリスクを減らし、将来の成功確率を高めるための道具として捉えてほしい。知財を遠い専門家の話にせず、自分自身の選択や行動と結びつけて考えてほしい」というメッセージでセミナーを締めくくっていた。

 知財とルールの設計は、プラットフォームを育み、拡大していくために外せない内容だ。プラットフォーム構築を目指すプラットフォーム学の履修生にも刺激になったことだろう。

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