AIとの協働時代に見直す「仕事の価値」と「頂点の定義」
10年先にいる「将棋界」から学ぶ 強豪将棋AI・水匠チームが語る“人を超えたAI”との向き合い方
2025年12月19日 08時00分更新
現在、AI時代を迎え、AIと人との関係は日々変化している。AIが仕事を奪う可能性も議論される中、10年前からAIと向き合い続けているのが「将棋界」である。
ウイングアーク1stはビジネスカンファレンス「UpdataNOW25」を開催。本記事では、将棋AI「水匠(すいしょう)」開発チームが将棋界とAIが歩んだ10年とそこから学ぶべきことについて語った、セッションの様子を紹介する。
人が“万が一”しか勝てない強さに達した将棋AI
まずは、水匠の開発者で本業は弁護士である杉村達也氏より、将棋AIの仕組みについて語られた。なお、水匠は、2025年の世界コンピュータ将棋選手権を優勝した強豪将棋AIであり、藤井聡太六冠や伊藤匠2冠も研究に利用しているという。
将棋AIとは、将棋を指すことに特化したAIだ。汎用的な大規模言語モデル(LLM)はまだ初心者にも勝てないレベルにあるが、将棋AIは既に人では勝てないレベルにまで到達している。
将棋AIを支えるのが「評価」と「探索」のアルゴリズムである。この2つにより、将棋の局面で「どちらかどれだけ勝ちやすいか」を表す「評価値」を計算し、最も有利な一手を見つけ出せる。
評価は、局面における駒の配置などから勝ちやすさの数値を計算するアルゴリズムであり、特に評価関数は、局面データを入力すると評価値を返してくれる。
一方、探索は、局面を一定のルールで進行させるアルゴリズムであり、現在地から枝分かれさせる形で将来の局面を予測する。この技術を用いず局面の一手しか読めない場合は、その先で大損してしまう選択も最善としてしまうため、「とても大事」だと杉村氏。
こうした技術の進化により、将棋AIの強さは、人をはるかに越えている状態だ。期待勝率を計測する「イロレーティング」においては、人の最高峰が最新の将棋AIに勝つ確率は、わずか0.01%に過ぎない。まさに“万が一”しか勝てないほど差が生まれている。
この進化の要因は「探索の精緻化・高速化」にある。局面における合法手(指せる手)は平均80通りとなるが、最新の将棋AIは平均2手ほどしか読んでおらず、より効率的かつ深く探索できるようになっている。「人は3、4手で迷うことはよくあるが、AIはそれすら迷わない。最新のコンピューターを用いれば、1秒間に1億局面も読むこともできる。とてもじゃないが人は勝てない」(杉村氏)
評価関数の強化学習も進んでいる。かつては、プロ棋士の指し手から学習させていたが、今では、「将棋AI同士で対局した将棋から学習+学習して強くなった将棋AIで更に対局する」というループを繰り返せる。現在の学習用局面データは約250億局面と、人では到底到達できないレベルだ。
将棋初心者支援システムにみる、仕事を脅かすAIとどう協働するか
続いて、VTuber 兼 独立研究者である熊田ゴウ氏から、「手が届かないところまで強くなってしまった将棋AIを人はどう活用できるか」というテーマの応用研究について語られた。
熊田氏が紹介したのは、LLMを用いた将棋初心者支援システムだ。これは、将棋AIの出力が難しくなり過ぎている問題、初心者への支援の方法やリリースが限られている問題を解決するものだ。これは「ある仕事を容易にこなすAIが登場した際に、どうサポートを受けながら仕事をするか」という文脈にも置き換えられるという。
「将棋界ではAIの言うことは理解不能になっている。一方、現状の汎用LLMの理解不能な出力は間違っているが、いずれは理解不能だが正しいという出力が増えていく。これをどう理解していくかは人類にとっての喫緊の課題であり、それを将棋の文脈で先取りした」(熊田氏)。
熊田氏らが開発した将棋初心者支援システムのコンセプトは、「初心者でもわかる」「言葉でわかる」「疑問点に寄り添う」だ。将棋の勉強で重要な「知識」と「読み」を、2つの手法でサポートする仕組みを生み出した。
ひとつ目の手法は、知識データベースとLLM(ChatGPT)を組み合わせた解説の生成だ。いわゆるRAGの仕組みを用いて、局面に対する知識と今後の方針を出力する。具体的には、ユーザーがAIに聞きたい局面でヒントボタンを押すと、データベースを検索して局面にマッチする知識を取得、それを踏まえて生成AIが言語化するという流れをとる。仕事に置き換えると、いわば新人に専門分野について教えるのと同じ工程だという。
ポイントはプロンプトエンジニアリングだ。あなたは将棋の局面を言語化するスペシャリストであると伝える「前提条件」、与えられる情報は局面図や先手・後手の検索結果だと説明する「付与情報」、そして、将棋に詳しくない人に日本語で指針を示すといった「出力方針」などをプロンプトにて提示している。
もうひとつは、棋力差のあるAI同士を戦わせて、学びのある手筋と解説を生み出す手法だ。これはAI同士の協働により人をサポートする、AIエージェント的な発想から生まれている。
この手法では、まず将棋AIを作成する。ただ、それでは強すぎるため、級位者による棋譜データを学習させて“庶民的な棋力”の将棋AIを作り出す。「これは、高度なAIモデルに専門知識を学習させる(ファインチューニング)のと同じ手法」だと熊田氏。
あとは、弱いAIと強いAIを対局させ、それを基に解説文を生成する。こうすることでありがちなミスや人らしい手順を再現して、初心者でも理解しやすい解説を出力できる。「初心者がはまる落とし穴を事前に知ることができる。AIをエージェンティックに組み合わせることで、リスク回避につながる可能性を秘めているのがポイント」(熊田氏)
熊田氏は、「この研究で、AIに人でもわかる言葉で局面を説明させ、AIに指導してもらう体験を生み出せた。興味を持ったが理解できずに離脱してしまう人たちに“わかる体験”を与えることで、継続を促すような効果が期待できる」と語った。














