堅実そうに見えて、無茶もいろいろ 変わらないDNAを探る

ヤマハネットワーク製品の30年 「チャレンジだらけの軌跡」を振り返る

文●大谷イビサ 編集●ASCII 写真●曽根田元

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拠点間VPNならヤマハが定番に 「壊れない」ものづくりにこだわり

大谷:RTX1000以降は、「中小企業の拠点間VPNならヤマハが定番」という評価になっていったと思います。

小島:そうですね。ルーターのサイジングとしては、どれくらい端末がつながるかという指標が多かったと思うのですが、われわれはVPN対地数でサイジングしてもらいました。つまり、どれくらいの拠点にVPNでつなげるかが、選定基準になっていたのです。「RTX3000」や「RTX5000」などセンター側のルーターもあくまでVPNの受け口というのを重視していたので、コアネットワークで利用するハイエンドルーターではありませんでした。

こうした経緯もあり、ヤマハルーターは多店舗・多拠点に安価につなぎたいという企業ユーザーが多いんです。とにかく数百、数千の拠点にルーターをばらまかなければいけないという課題に対して、遠隔から簡単に設定管理でき、どんな場所に置いても壊れないという評価はいただいていました。

大谷:ヤマハルーターの評価としては、やはり「壊れない」という点が挙げられるのかなと。そこらへんは当時から注力していたんですね。

小島:信頼性の評価は他社に比べてもはるかに高い基準でやっていたと思います。筐体の中が粉塵だらけになっても動くみたいなテストまでやっていました。

当時大変だったのは、ISDN回線だったので、雷が直接届いてしまう。サージ対策はすごくやったし、僕も回路設計で大事にしていたところです。テストでは、何枚も基板を真っ黒焦げにしました(笑)。だから、実際に壊れにくかったと思います(関連記事:なぜ壊れない?ヤマハのネットワーク機器の品質管理を探る)。

大谷:印象深い機種とかありますか?

小島:その中で、RTX1000の後継に当る「RTX1100」は印象深いですね。ブロードバンドの速度要求がすごく上がっていた時期でしたが、コストは上げたくなかったので、初物のCPUとか試しまくっていました。

なにしろ独自OSなので、新しいハードウェアが出たら自らハード、ソフト両面でコストダウンを意識しつつ、クオリティをキープするために必死だったことを覚えています。一方で、2004年に出たRTX1500というルーターは機能全部盛りという製品で、マルチキャスト対応もPIMまで入れていました。

「音の会社」だからこそこだわったIP電話 20年越しに実現したIPv6 

大谷:あと、ブロードバンド、無線LAN、VPNといった技術とともに、もてはやされたのがIP電話だと思います。この流れに乗じて、2005年頃にはヤマハルーターもIP電話を搭載するようになり、「電話帳サーバー」というちょっと変わったジャンルの製品も登場します。

小島:「ヤマハ=音の会社」という自負もどこかにあったので、IP電話は強い想いをもって作っていました。インターネットで電話を実現することで、今まで距離や時間で課金されていた音声通話のコストが大きく下がるのはわかっていたし、SIPという標準プロトコルを使っているんですが、「ヤマハだから音がいい」みたいなところもこだわっていました。

実際、インターネット電話で本社と現地工場と常時つなぎっぱなしにして、コストを大幅に下げましたというお客さまの声もいただきました。調子にのってたくさん電話機つながなきゃということで、PBXポートまで付けちゃいましたから(笑)。

ただ、アドレス変換する電話帳サーバーをわざわざハードウェアで作る必要あったのかなとは思っています。わざわざハコにしちゃうというのは、すごいなと思いました。

大谷:私も最初に実機を持ってきてもらったときは、「えっ?ルーターやってるところがなぜ電話帳サーバー?」とか思いました。

大谷:そういえば、ヤマハさんはIPv6も対応早かったですよね。

小島:IPv6は1990年代から開発をスタートさせていて、商用ルーターで対応したのは国内初だと思います。僕もソフトウェア開発で最初にやったのはIPv6対応だったので印象深いです。早々にIPv6対応したのをゲーム会社がいたく喜んでくれて、検証のために1日中ネトゲやるという仕事もやっていました(笑)。

ただ、ご存じの通り、IPv6の離陸までには時間かかりました。IPv6対応のフレッツドットネットが登場したときには、いよいよ来ると思いましたが、日本はキャリアグレードNATやPPPoEでなんとかなってしまった。一方で、私は2011年くらいから数年間、中国市場でビジネスをしていましたが、日本よりアドレス枯渇を深刻に捉えていた国もあったと思います(関連記事:オリジナル製品もあり!ヤマハネットワーク機器の中国進出)。

大谷:イソップ童話じゃないですが、「IPv6元年」と何回書いたことか(笑)。

小島:IoTという言葉が盛り上がったのは2015年頃ですが、IPv6は1990年代からモノがつながるインターネットを見越して作っていましたからね。

結局、日本はアドレス枯渇に関してはいろいろな技術で持ちこたえてしまったけど、トラフィック増でキャリアのPPPoEゲートウェイがもはや耐えられなくなったという事情があります。とはいえ、あのときIPv6をきちんとやっていた経験があったからこそ、現在VNE事業者が提供しているIPv4 over IPv6のネットワークにいち早く対応できたんだと思います。

大谷:なるほど。国内の通信事情にいち早く追従できるのは、国産のヤマハの強みですよね。

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