乾杯で人と地域をつなぐ!生まれ育った小さな町にUターンしてクラフトビールの会社を起業
岐阜県の南東部、美濃焼を中心に発展してきた商工業都市の瑞浪(みずなみ)市。大きく8つの地区にわけられている同市のなかで、山間部に位置し、豊かな自然に囲まれた釜戸(かまど)町。その人口約2,300人(2025年5月時点)という小さな地区で、クラフトビール醸造所「カマドブリュワリー」を立ち上げたのが東 恵理子さんだ。人口減少も著しく、一度は「何もない」と離れてしまった故郷だが、報道記者や青年海外協力隊などさまざまな経験を積んだのちにUターン。今は多くの人を巻き込みながら、釜戸の町を元気にするという大きな夢に向かって突き進んでいる。
すべての画像を見る場合はこちら地元を離れての大学進学&就職を経て、青年海外協力隊でバングラデシュへ赴任
1987年に岐阜県瑞浪市の釜戸町に生まれた東 恵理子さん。「小学校のころに旅行で訪れて以来、北海道が憧れの地だった」という理由から、北海道大学文学部人文科学科に進学。そして、「いつか地元をPRできるような人間になりたい」という思いから北海道テレビ放送に就職する。報道部に配属された彼女は、報道記者兼ディレクターとしてニュース番組の制作に携わることに。
「報道の仕事をとおして、想像やインターネットの情報だけではなく、自分の目で見て、人に会い、生の声を聞くからこそ得られる発見がある…そんな〝現場主義〟の姿勢を学ぶことができました」
報道の仕事にやりがいを感じていた東さんだったが、ある出来事をきっかけに、かねてより胸に抱いていた思いが再燃する。
「大学1年生の時に海外ボランティアを経験してから、いつか途上国のために何かしたい、途上国で実際に働いてみたいという思いを持ち続けていて。そして報道記者として青年海外協力隊の経験者や、アフリカのアートに関わる方を取材するなかで、『人生は一度きり、若いうちに青年海外協力隊に挑戦しよう』と決意しました。
現地の人々と共に暮らし、文化の違いに触れ、その国ならではの課題、生の声や声なき声を拾って伝えたいと思ったんです」
青年海外協力隊に応募した彼女は訓練などを経て、2014年にコミュニティ開発職としてバングラデシュへと派遣される。バングラデシュでは報道記者としての経験を生かし、コミュニティラジオの番組制作を支援。現地のラジオ局と協力して日バ両国の文化交流番組を制作したほか、札幌や岐阜県可児市のコミュニティラジオ局に向けて、バングラデシュの暮らしを伝える番組も手がけた。
東さんが赴任していたバングラデシュは、国民の約9割がイスラム教徒。現地の人と同じように、宗教行事である断食(ラマダン)を経験した際のエピソードが印象に残っているそう。
「1か月の間、陽が出ているうちは水も食べ物も口にせずに過ごし、日没後にみんなで一緒に食事をします。ある日、断食による体のだるさで仕事が思うようにはかどらないことを、職場のベンガル人に伝えたところ、こんな言葉をかけられました。
『僕たちは、これで神に仕えることができて幸せなんだ。断食はただ食べないということではなく、自分の欲求や邪悪な気持ちを抑えるほか、悪口を言わない、人を変な目で見ないようにしている。それが幸せなんだ』と。
私はその時、ハッとさせられました。自分がいかに仕事のことばかり考えていて、まるで〝仕事教〟を信仰しているかのようではないかと…」
もう一つ、赴任中に取り組んだのが国民的ラジオ体操づくりだ。暮らしていく中で驚かされたのは、バングラデシュの人々が健康に無頓着であること。独特の食文化、運動不足などが原因で生活習慣病を抱える人が多かった。
その問題を解決しようと東さんはまず、日本のラジオ体操についての紹介番組を制作。しかしながら「伝えるだけでは、目の前の事態を解決することはできない」と気づき、体験型のラジオ体操を作ることで、運動を習慣づけるように働きかけたのだという。
青年海外協力隊としての任期は2年。その赴任期間中、コミュニティラジオで日バ両国の文化を伝えるうちに、日本や自分の地元にもたくさんの魅力があることに気づかされたという東さん。次第に「日本の美を世界に伝えたい」という思いが芽生え始める。そして、帰国後はニューヨークの映画学校に短期留学。その後、日本の伝統工芸についての記録映画を制作する映像会社に入社する。
しかしながら映像会社はわずか4か月で退社。その時のことを「私にとって大きな挫折の一つでした」と東さんは振り返る。
「これからどう進めばいいのか迷っていた時に、知人の誘いで宮城県石巻市のホップ畑の再生ボランティアに参加。津波被害を受けた畑をみんなで開拓し、ビールの原料となるホップの苗を植えたんです。『ホップの花言葉は希望なのよ。このホップでできたクラフトビールで、みんなで乾杯して希望を感じたい』という知人の言葉に、人生に迷っていた私の心も救われた気がしました」
大きな挫折を経験したのちに見つけた、クラフトビールという新たな人生の目標
迷いや悩みが晴れると共に、〝伝える〟だけでなく、〝体験〟を通して地域の魅力を感じてもらいたいという気持ちが強まった東さん。地域資源を活かした観光体験プログラムを手がける広告系の会社に転職する。
そして、時期を同じくして日本ビアジャーナリスト協会(ビールの情報を発信している団体)の講座も受講。その背景にはホップ畑の再生ボランティアだけでなく、これまでの人生で幾度となくビールを通して心を動かされたり、救われたりした経験があったからだ。
「クラフトビールとの出会いは大学時代、言語学の教授に薦められたベルギービールのバーでした。フランボワーズを使ったもの、野生酵母を使用した酸味のあるもの、理科の実験器具のようなグラスで飲むものなど…今までの飲んでいたビールとはまったく異なり、その多様性に惹かれたんです。
報道記者のころは、仕事終わりにクラフトビールや海外ビールを飲みに行くことが、自分にとって癒やしの時間に。時には取材が深夜にまで及ぶこともありましたが、『ビールがあるから頑張れる!』と、支えのような存在になっていました。
また、バングラデシュはイスラム教の国なので、基本的にお酒は禁じられていますが、それでも国営の「HUNTER」というビールが存在していて。どこの国にもビール文化が根づいていることに驚かされました」
クラフトビールは「人生の救いのようなものであり、恩人のようなもの」と語る東さん。ビアジャーナリストの講座を受講し、地方創生の仕事を通して地域体験の企画に携わるうちに、「いつか地元でクラフトビールの会社を立ち上げる」という具体性を帯びた夢が生まれた。
「メディアで培った〝伝える力〟、バングラデシュでの社会問題を解決するための国民的ラジオ体操づくり、そして地方創生の観光体験プログラムづくり。それらすべての経験と力を結集させ、地元に還元する〝まちづくり会社〟をつくりたいと思うようになったんです」
〝起業〟に向けて何ができるのか、何から始めるのか。手探りではあるが少しずつ、行動に移していった東さん。まずは手始めに地元の仲間たちと「東濃クラフトビールの会」を発足する。
「『東農(瑞浪市や多治見市をはじめ岐阜県南東部の地域)にもクラフトビールがあったらいいと思う。何かしよう!』と声をかけて。東濃のクラフトビールについて考える飲み会を企画しました。第1回は2018年6月に実施し、とても盛り上がったため、会の終わりに『次は東濃にゆかりがある醸造家を探して、会いに行こう』という話になったんです」
調べていくうちに、岐阜県中津川市出身の丹羽 智さんというベテラン醸造家の存在に行くつく。〝レジェンド醸造家〟〝酵母の魔術師〟などの異名を持ち、それまでも東京のビアバーでよく名前を耳にしている人物だった。
「当時、丹羽さんが働いていた山梨県のブルワリーまで会いに来ました。その後も3回ほど彼を交えて東濃クラフトビールの会で『どんなビールがあったらいいか』を探求するうちに、丹羽さんの口から『ここでビール工場をやりたい。地元に戻って来たいと思っています』とのお言葉が。
胸が熱くなると同時に、私もそれまでのまちづくり会社設立などの経験を活かして、地元に戻って丹羽さんとクラフトビールで起業をしよう!と覚悟を決めました」
こうして2020年、東さんは東京から地元にUターン。瑞浪市の〝新たな事業チャレンジ支援補助金〟を利用し、500万円の補助を受けて釜戸町に工場を建て、2020年4月「株式会社東美濃ビアワークス」を設立した。
現在、「東美濃ビアワークス」では「カマドブリュワリー」でのクラフトビールの醸造・販売、工場併設のビアバーの運営に加え、ビアツーリズムやビアフェスも実施。クラフトビールを通じて東濃地方の魅力を全国に発信している。
そして、いろいろな人の個性を掛け合わせてできているという「東美濃ビアワークス」では、その個性を活かして会社やビール、そしてチームをつくっていくことを大切にしているという。
「これまでの5年間で、『カマドブリュワリー』から130種類以上のクラフトビールを世に出してきました。自分たちだけでは、これほど多くの種類は生まれていなかったと思います。クラフトビールは副原料にさまざまなものを使える自由度があることに加えて、ほかの醸造所やビアバーとのコラボ文化が盛んなこともあり、次々に生まれていったのです」
今では多くのビールファンから愛される存在となった「カマドブリュワリー」だが、発売開始をしたのは2020年12月いうコロナ禍の真っ只中。飲食店でのアルコールの提供自粛もあり、出荷先がほとんどない状態だった。急遽瓶詰め機を取り寄せ、ECサイトでの販売に切り替え、苦境を乗り切ったという。
「また、釜戸は人口の少ない田舎町なので、ただビールを作って、待っているだけでは商売は成り立ちません。移住定住者や元青年海外協力隊とのつながり、美濃焼の作家さんとのイベントや、醸造家のお弟子さんたちとのビアフェスなど、人との関係性を軸に企画を打ち続けることが大切。こういった人とのつながりを活かすことで事業を続けることができています」
周囲の人を巻き込み、助けてもらいながら、地域を元気にするべくひた走る!
開催するたびに多くの人が訪れるという「カマドブリュワリー」のビアフェスだが、最初はすべて自社運営だったため、スタッフも家族もみんなが疲弊。そして負担が大きい割に、規模を大きくすることができなかった。
「最初はただビールを飲んでいただき、キッチンカーや出店の方がフードを出すという規模で。そのうち常連さんの手助けやボランティアスタッフの参加もあって、DJ演出や自社ピザ窯の活用、丹羽さんとお弟子さんの師弟トークタイムなど、毎回新しい取り組みをできるように。ありがたいことに今では、ボランティアスタッフも募集開始からすぐに埋まるようになりました。
創業当初は『カマドブリュワリー』の工場だけがあり、外にテントを出して販売していましたが、クラウドファンディングでビアバーができたり、販売所ができたり、屋根もできたりと、毎年少しずつ成長。多くの方の力を借りて、ここまで来られたのだと実感しています」
2025年5月にはパン職人が入社し、敷地内でのベーカリー開業を進めるなど事業の幅をどんどん広げている。また、地域を活性化させるための活動にも余念がない。
「目指しているのは関係人口や交流人口の拡大です。2022年には自ら発案して、町の有志と〝釜戸空き家活用・移住推進チーム〟を立ち上げました。社会関係資本を大切に、乾杯を通して、人がつながる機会を作り、移住の受け皿として空き家を活用しています。
人口約2,300人という、急速に人口が減少している田舎町なので、『今、何かしなければ未来が危うい』という意識のもと、空き家活用ツアーなどの取り組みを続けています。その結果、ビアバーの常連さんや弊社のスタッフ、陶芸家の方が移住してきたり、Uターンしてカフェを開く人が現れたり。
さらにイタリアンのシェフから相談を受け、空き家や畑を紹介した結果、二拠点居住を始めてもらえることに。その畑で採れた野菜はシェフのお店と、うちのビアバーで使わせていただいています」
一度は「何もない」と離れてしまった故郷。そこに舞い戻って自身が主体的に関わり、種をまき続けたことで、周囲の人が力を貸してくれるように。さらには移住者が集まってきて、地域が少しずつ楽しくなっていっている。そのことが東さんにとって「何よりの幸せ」だという。
「会社員時代は、誰かが作ったスキームの中で、大勢の中の一人として働いていました。一方で今は、小さな会社だからこそ、自分で方針を決めて責任を取る立場です。すべてが自分の責任になるのは大変ですが、その分、社員やお客さんの喜びがそのまま自分の喜びや幸せにつながっていると実感しています」
釜戸の町を元気にしていくために、周囲を巻き込んで日々奮闘している東さん。「これからもビール以外の業種で人が集まり、さらに広がっていきそうです」と、顔を輝かせる。
「クラフトビールが好きなのでその軸は、この先も変わることはありません。そのうえで、ここに集まってくれた仲間たちと一緒に、『いかに楽しいまちを作っていくか』『自然の中で美味しいものが食べられて、クラフトマンシップにあふれるまちを作っていけるか』を考えるのが、次のステージだと考えています。
実は2022年に『パン屋、カフェ、イタリアン食堂ができたらいいな』とX(旧Twitter)でつぶやいていたのですが、それが今、現実になりつつあります。次は、スイーツやお花とナチュラルワインのお店や、陶芸家のギャラリー、本屋さんなどもできていったらいいですね。
これからも、田舎をあきらめず、人とのつながりを生み出す中で、人口減少や空き家の課題を解決するモデルをこの地からつくっていきたいと考えています」
そう未来に向けて語ってくれた東さんに、これからライフシフトをしたいと考えている女性にメッセージをもらった。
「バングラデシュに赴任した時、宗教も言語も暮らしぶりもまったく違う環境で、〝幸せのかたちはさまざま〟だと知りました。そして、そんな〝幸せのかたちがさまざま〟な中で、転職や新しいチャレンジをするかどうか、自分にとっての幸せとは何か、その答えは外ではなく、自分の中にあるのではないでしょうか。
私はビールで幸せを共有して、自分だけが幸せなのではなく、誰かがほっこりとしてくれる瞬間が自分の幸せになっています。何が幸せかは人ぞれぞれですが、私は起業前も今も、〝ビールを通して人を幸せにしたい〟という気持ちで能動的に、そして主体的に決断をして生きています。みなさんもそんな〝幸せ〟を見つけてみてはいかがでしょうか」
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