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エンジニアから陶芸作家へ、何度も訪れた人生の転機を乗り越えて新しい道を模索

文●杉山幸恵

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次々に押し寄せる人生の波。それを乗り越えた先に見つけた自分の居場所とは?

 最終的に内装工2人組が責任を持って当初の予算で仕上げてくれることとなり、漆喰の壁塗りや天井の和紙貼り、棚の作成などを海月さん自らも行った。1年半かけて完成した工房は、「温かく居心地のいい空間」と満足できるものだった。そして、この工房完成と時を同じくして、長男を出産。3歳になるころまではスローペースながら作陶を続けるが、その後も予期せぬ試練が続く。

3人で力を合わせて地道に作業を続けた結果、2007年に工房が完成

 「不妊治療を経て次男を妊娠しましたが、その間に父が癌で入院・手術。さらに次男出産の2日後には母が救急搬送され、癌との闘病がスタート。作陶活動はほぼ休止状態に…。独立当初から前職場でお世話になった方が通ってくださっていた陶芸教室だけは継続しました。母は余命半年と言われながらも3年間頑張り、最期は自宅で看取ることができました」

 そのころ、彼女は子宮筋腫による不調や服薬に伴う胃腸の痛みという問題も抱えていた。実の母を看取ったあと、悩んだ末に子宮全摘出を決断する。

 「術前のホルモン療法では強い薬の影響で関節の激痛や疲労感がひどく…。また、幼い2人の息子の子育てに手いっぱいとなり、手術後も体調が回復するまでの間、ほぼ陶芸の活動は休止せざるを得ませんでした」

 家族の看病に子育て、さらには自身の病気など、人生の大きな波に翻弄されながらも、2020年に開業届を提出。屋号を「クラフト工房Lazul」と改め、新たなスタートを切った。その前年には工房のリフォームも行っている。

 「次男の小学校入学を機に、環境や体調も整い、機が熟したと感じてリスタートしました。作品販売の難しさを踏まえ、陶芸教室を主軸にしつつ、作品はたまに展示会で販売するというスタイルにしようと、準備を進めました。しかし、起業直後にコロナ禍となり、対面教室が困難に…」

リフォーム後の工房の様子※現在、陶芸教室の新規受付は休止中

 対面が無理ならオンライン教室をと、小規模事業者持続化補助金を申請してホームページを作成することに。その過程で、商工会議所の職員が経営相談の専門家を連れて工房を訪ねてきたという。そして、海月さんの作品を見た専門家はこう言った。「こんなにすてきな作品が作れるのだから、作って売ればいい。大変で苦労もするけれど、やる気があるなら、いくらでも方法はあるよ」と。

 「その言葉に涙が出たと共に、『よし、作家活動を本気でやろう!』と覚悟を決めることができました。ホームページの内容も作品の世界観を伝えるものに変更して、3か月でコンセプトやラインナップを決め、制作して、写真を撮ってと…とにかく怒涛の日々。でも、作陶の道で苦労できることが楽しくて、うれしくて、感謝しかありませんでした」

土の生地表面の凹ませた部分に色が異なる泥を埋め込み、削り出して立体的な模様を生み出す〝波象嵌〟。この独自の製法が生まれたのとリスタートを決意したのはほぼ同時期だったそう

 現在の活動は展示会やオンラインサイトでの販売が中心。オリジナルの〝波象嵌〟による作品が注目を集め、企業からの依頼も増えてきた。福井の塗り箸メーカーとコラボした塗り箸と箸置きのギフトセットは、25年2月の「東京インターナショナル・ギフト・ショー」にも出展された。

塗り箸と箸置きのギフトセット(左)と、蒼流シリーズのフラットプレート(右)

瀬戸商工会議所、瀬戸市、瀬戸信用金庫が主催する「瀬戸ツクリテの手仕事in渋谷ヒカリエ」に出展した時の様子

 ようやく道が明るく拓けてきた海月さんに今までを振り返ってもらうと、「ライフシフトを経て視野が広がり、多角的な視点を持てるようになった」との言葉が。自身を目の前のことに集中するのが得意な反面、視野が狭くなりがちで、実体験を通じて学ぶタイプと分析する。

 「企業の一員としてチームの一部を担っていた前職から一転、独立してからは、規模は小さいながらもすべての決断と責任を一人で背負うように。なかなか結果が出ないばかりか、〝主婦のお遊び〟と言われて悔しい思いをしたり、会社員時代に当たり前だった安定した収入のありがたさを感じたり。

 そして、出産・育児、家族のケア、体調不良によるブランク期間も、自分の時間はほとんどなく、どうやって毎日を過ごしていたのか思い出せないほど。ただ、その経験を通じて、ようやく自分から軸足を外し、認められることへの執着を少しずつ手放せました。だから、この10年は私にとって必要な時間だったんだと思います」

 「クラフト工房Lazuli」のコンセプトは、〝波を受け入れ、波に寄り添い、波を創る〟こと。これは海月さんのライフシフトの経験で得た気付きがもとになっているという。

 「かつては自分の思い通りにならない状況に対し、『ここは本来の自分の場所ではない』と感じることで、目の前の幸せに気づかず、感謝の気持ちも忘れていました。でも、ブランクの間、『どんな状況であっても、今いる場所こそが自分の居場所だ』と覚悟を決めたことで、一瞬一瞬を大切に生きよう!と思えるように。そして、生きることが楽になりました。

 今、道が決まらず迷っている最中の方は、まずは成果や状況に左右されず、今いる場所を受け入れて、悩みや苦しみもひっくるめて自分のことを愛してみてほしいです。それができたら、ライフシフトをする、しないと、どちらの道を選んでも素晴らしいものになるのではないでしょうか」

「作品を通じて、お客さまやお仕事関係の方々とのご縁が生まれること、作品をご購入くださった方から『美しい器で気分が上がります』などのご感想をいただくことがとてもうれしく、やりがい、生きがいになっています」と海月さん

 そのうえで起業というライフシフトを決めたからには、メンタルの整え方も重要だとアドバイスする。

 「私は成果や外的な要因に振り回されることなく、自分のエネルギーを出しているかどうかを判断基準にしています。失敗しても、結果が思うように出なくても、ちゃんとエネルギーを出せていたならそれでOK。ちゃんと自分をほめて、労わっています(笑)」

 小さな波も大きな波も時には揺られ、流され、時にはゆらりとかわしてきた海月さん。人生は思い通りにいかないことの連続だが、だからこそおもしろいのだという。最後にこんなメッセージで締めくくってくれた。

 「どのみち、自分は自分以上にも以下にもなれません。完璧なんてあり得ないから、失敗したり、恥をかいたり。聖人じゃないのだから、腹が立ったり、ケンカしたりも。そんなありのままの自分を受け入れて、肩の力を抜いて、深呼吸してみてください。これからもみなさんと一緒に、変化の波を楽しんでいきたいと思っています」

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