陶芸作家・神崎美香さん/50歳で決意したヘアメイクアップアーティストからの転身は、大きなチャレンジだった

文●山野井春絵

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 ヘアメイクアップアーティストとして、CM広告、ファッション誌などで広く活躍してきた神崎美香さん。ミュージシャンや俳優たちからの信頼も厚く、実力社会のなかで充実した仕事を続けてきました。30年におよぶ華麗なキャリアに区切りをつけ、陶芸作家へと転身したのはちょうど50歳の頃。神崎さんのライフシフトは、40代に訪れた人生の転機がはじまりでした。

陶芸作家としてのキャリアは8年。精力的に作品づくりに取り組み、各地で個展やグループ展を開催しています。

44歳で、二度目の出産。南葉山ではじまった第二の人生

現在は横須賀市秋谷で、自身が設計した戸建住宅に家族3人暮らし。

 ヘアメイクの世界に飛び込んだのは20代。ロンドンでも4年暮らし、結婚、出産、そして離婚を経験しながらも、仕事のキャリアを順調に積み上げてきた神崎美香さん。20年前は、都内で娘さんと2人暮らしをしていました。人気ヘアメイクアップアーティストとして、日本全国、海外へも飛び回る忙しい毎日を過ごしていましたが、40代に入ったころは人生についていろいろ思い悩んでいたと語ります。

 「シングルマザーとして生きてきて、東京で休みなく働く毎日に疲れを感じていました。ハワイが好きだったので、移住したいと考え、ロミロミマッサージの免許も取得したんです。現地でヘアメイクの仕事をしながら、撮影のない日はロミロミマッサージで働こうと計画していました。仕事の合間をぬって3ヶ月に一度はハワイへ行き、住宅の物件を見て回ったりしていたんですよ。当時10代だった娘には、彼女が20代になったら、都内に残るか、一緒にハワイへ行くか決めさせようと考えていました」

 本気でハワイ移住を考えていたとき、現在の夫となる男性に出会います。

 「急展開で再婚をすることになって。44歳で、第二子を授かりました。それまでは目黒区に住んでいたのですが、子どもが生まれたら4人では手狭になるので、どこかハワイのような場所を探して引っ越したいと考えて。夫は都内で会社を経営しているので、通える範囲を探したところ、この海が見える南葉山の物件を見つけたんです」

 人生の流れには逆らわなかった、と神崎さん。導かれるように南葉山へと移住し、暮らしを楽しみながら子育てと仕事を両立させてきました。

 「20代でひとりで子育てしたときは、もういっぱいいっぱいで、まったく余裕がありませんでした。気づいたら、もう娘は大人になってしまった、という感じ。再婚して、夫婦2人で子育てができることはすごく新鮮でした。家事も分け合い、子どもの成長をしっかりと見届けることができたんです。赤ちゃんの成長を見ながら、こんなに早く人間は成長できるんだ、と思うと、『私もまだ成長できるかも』と考えるようになって」

 50歳をターニングポイントに、神崎さんは、思い切ってそれまでのキャリアを全部捨てることを決意しました。

 「50歳になるときに、あと何十年生きられるだろう?と考えました。私はヘアメイクの仕事を30年、やり切ったと自信を持って言えます。じゃあ、あと30年をどう生きるか。60代、70代になってから30年何かをやろうと思っても、先が足りないかもしれない。だったら、今でしょ!と」

 そこで神崎さんが選んだのは、ヘアメイクとはまったく異なる「陶芸作家」への道でした。

まったく違うことをやっている自分を見てみたかった

陶芸で「土に触る喜び」を知ったという神崎さん。大地と触れ合う感覚が、創作のインスピレーションになっているそう。また暮らしの環境も大きく影響した。すぐそばに海がある。散歩しているだけで、創作意欲が刺激された。

 「浜辺を歩くと、そこに転がっているものが全部宝物に見えてきました。流木、漂流物、どれも波に洗われて、独特の形状をなしています。それらを使って、作品を作ってみたくなりました。やがて、流木と陶芸作品をミックスしたものを作りたいと思うようになって。本当に、身近にあるものが、何でも作品に変わっていく。それは東京では得られなかった感覚でした」

 神崎さんはヘアメイクの仕事を自身で卒業すると、創作活動をしながら、畑で野菜づくりも学びはじめました。さまざまに試行錯誤を続ける中で、「土に触る」ことに大きな喜びを見出したと言います。

 「ヘアメイクのときには、手荒れをしてはいけないので、土に触ることができなかったんです。また、演者の顔の近くで仕事をするので、ニンニクなど、臭いの強いものはまったく食べられませんでした。仕事をやめたおかげで、すべてがフリーになりました。好きなものを食べて、好きなことができる、ノーストレスです。畑や陶芸で土に触ることで、食と体は全部地球とつながっているとわかりました。陶芸は、夜中でも、自分の好きな時間にいくらでも土に触ることができます。とても魅力を感じました」

 とはいえ、それまで成し遂げてきたヘアメイクの仕事はとても大きなものでした。
キャリアを失うことに、不安を感じることはなかったのでしょうか。

 「もちろん、すごく不安でした。『あんなにたくさんアーティストを抱えていい仕事をしていたのに、もったいなくない?』と言う人もいて。過去に縛られた会話を続けることに疲れて、コミュニティもずいぶん変わりましたね。後ろ指をさす人もいましたけど、そんなのも一瞬のことだ、と割り切って。私は私ですから。何よりも、この先の楽しみの方が大きい。だから思い切ってライフシフトすることができたと思います」

作陶に夢中になり、気づけば朝を迎えることも。いくつになっても好きなものに出会える喜びは大きいと語る。

人生の幸せの瞬間に立ち会える作品を作り続けていきたい

m._potteryとして陶芸活動をしている神崎さん。空間プロデュースも手がけ、独特の世界観を発信している。

 神崎さんは、まさに根っからのアーティスト気質。今は陶芸が楽しくて仕方がないと語ります。

 「陶芸は、私にとってワクワクでしかない。毎回違う発想や、作品のイメージがバンバン降りてきます。それを昇華させていくのが大変。いわゆる昔ながらの陶芸家というキャリアではなくて、私だけの世界観で作っていますから、異端児だと思われているかもしれません。それでもいい、私は自由ですから。100人のうち、1人でも私の作品で喜んでくれたら。本当に、自分がやりたいことを形にしているだけ」

 誰のためでもなく、自分の気持ちに素直に生きる。神崎さんの言葉は、彼女の作品のように自由です。

 「私は中学2年生のとき、ヘアメイクアップアーティストになると決めて、迷いはありませんでした。そこに向けて勉強して、アシスタントを続けて、独り立ちをした。だから陶芸も同じ感覚で、当然のように陶芸作家になると決め、勝手にやっているんです。『なれないなんてありえない』と自分で思っていて。それを教えてくれた人たちには、とても敬意を感じています。年上だろうが、年下だろうが、みんな先生。感謝の気持ちでいっぱいです」

 これからは、陶芸という形をとりながら、流木作品も絡めて、今までにない分野のアート作品を作っていきたい、と意気込む神崎さん。ホテルのロビーや客室、レストランに飾られるのが夢だと話します。

 「もちろん、成功ばかりではありません。失敗も山ほど経験しました。今も、陶芸を作りながら、夜中に反省したりしています。それを窯で焼くことで、浄化しているような。私にとって、陶芸の作品は、人生の浄化のプロセスなのかもしれません」

 神崎さんの作品、『フリルプレート』。さまざまなアーティストとコラボした企画展も話題をよんでいる。

Profile:神崎美香

かんざき・みか/m._pottery主宰、陶芸作家。57歳。
1967年、大阪生まれ。21歳で上京し、ヘアメイクのアシスタントを経て、4年間ロンドンへ。帰国後、都内でヘアメイクアップアーティストとして30年のキャリアを積む。10年前に都内から南葉山に移住し、現在は陶芸作家、また流木作家として活躍中。個展や作品の詳細はinstagramへ。

神崎美香さんのinstagramはこちら。

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