画像クレジット:Minoru Takasato
ヒトの臓器の特徴をある程度備えた3次元構造の細胞塊であるオルガノイドには、さまざまな利用法が期待されている。すばらしいものから、不安を抱かせるものまで、これまでに提案されたいくつかの用途を紹介しよう。
この記事は米国版ニュースレターを一部再編集したものです。
先日の記事で、羊水中に浮遊する胎児の細胞から肺、腎臓、腸のオルガノイドを培養することに成功した研究チームについて紹介した。この小さな3次元構造の細胞塊は胎児の細胞から培養されたもので、実物大の臓器の特徴の一部を模倣しているため、胎児の発達過程を垣間見ることができる。これは既存の手法ではほぼ不可能なことだ。
たとえば、超音波検査では、胎児の腎臓が本来あるべき大きさより小さいことがわかるかもしれないが、明らかな遺伝的欠陥がない限り、医師はその原因を説明することも、治療法を見つけ出すこともできない。しかし、少量の羊水サンプルを採取して腎臓オルガノイドを培養できれば、問題が明らかになり、解決策も見つかるかもしれない。
すばらしいニュースだ。しかし、オルガノイドにできることはそれだけではない。
そこで、研究者がこれまでに考えついたオルガノイドの利用法の中で、すばらしく、奇妙かつ荒唐無稽で、そして実に不安を抱かせるものをいくつか紹介する。
オルガノイドは医薬品開発をスピードアップする可能性がある。ある推定によると、新薬候補の90パーセントはヒト臨床試験で失敗するという。ヒト臨床試験前の試験の大部分が細胞やマウスを対象に実施されているためだ。どちらも試験対象としては完璧ではない。細胞は複雑性に欠ける。そして言うまでもなく、マウスはヒトではない。
オルガノイドもヒトではないが、ヒトの細胞から作られている。そして、ペトリ皿の中の1層の細胞層よりも複雑な構造をもつという利点がある。したがって、新薬候補をスクリーニングするのに適した試験対象なのである。2015年にオルガノイドについての記事を発表したとき、あるがん研究者が、臓器の機能を理解するために細胞を研究することは、家の機能を理解するためにレンガの山を研究するようなものだと語っていた。なぜそのものを研究しないのだろうか。
大手製薬会社も同意見のようだ。ロシュ(Roche)は2022年に、オルガノイドのパイオニアであるハンス・クレヴァース博士を医薬品研究・早期開発部門の責任者として採用した。「ヒトオルガノイドは最終的に、現在私たちがしているすべてのことを補完するようになると信じています。医薬品開発プロセス全体がどのように進められるのかを理解した今、あらゆる段階でヒトオルガノイドを導入できると確信しています」とクレヴァース博士はネイチャー(Nature)誌に語った。
オルガノイドの培養は細胞株の培養よりも難しいが、そのプロセスの自動化に取り組んでいる企業もある。フィラデルフィアに本社を置くバイオテクノロジー企業のビボダイン(Vivodyne)は、オルガノイドと「臓器チップ(organ on a chip)」テクノロジーを組み合わせたロボットシステムを開発した。このシステムは、それぞれ20万から50万個の細胞を含む20種類のヒト組織を培養し、そこに薬剤を投与する。ビボダインの最高経営責任者(CEO)兼共同創業者であるアンドレイ・ゲオルゲスクはプレスリリースの中で、このような「研究室で培養されたヒト被験者」は、「いかなる臨床試験からも得られないほど膨大な量の複雑なヒトデータ」を提供してくれると述べている。
ビボダインのWebサイトによると、同社独自のロボットシステムは、一度に1万個の独立したヒト組織をテストでき、「ビバリウム(生態の生息環境を再現した飼育施設)スケールの結果が得られる」という。ビバリウムスケールの結果、という意味を理解するまでに、頭の中で何度もこのフレーズを繰り返す必要があったが、このロボットは、実験用マウスでいっぱいの建物一棟から得られるデータと同じ量のデータを提供できるということだ。
オルガノイドは、医師が個々の患者に対して医療上の判断を下すのに役立つ可能性がある。このようなミニ臓器は幹細胞から培養することもできるが、幹細胞のような状態に誘導された大人の細胞からも培養することができる。したがって、誰からでもオルガノイドを作ることができ、様々な用途に用いることができる。たとえば、がん患者の場合、患者の細胞から作ったオルガノイドを使えば、最適な治療法を見つけ出すのに役立つだろう。
嚢胞性線維症もその一例だ。嚢胞性線維症の治療法の多くは、特定の変異を持つ患者の治療法として承認されている。しかし、まれな変異を持つ患者にとって、どの治療法が有効かは明らかではない。そこで、オルガノイドが役に立つ。
医師は嚢胞性線維症患者に直腸生検を実施し、採取した細胞を使って個別の腸オルガノイドを作成し、それにさまざまな薬剤を投与する。治療法が有効な場合、イオンチャネルが開き、水が流入し、オルガノイドが目に見えて膨張する。この検査の結果は、嚢胞性線維症の治療薬の適応外使用の指針として使われてきた。最近の事例では、この検査によって嚢胞性線維症患者の女性が人道的使用プログラムを通じて治療薬のひとつを利用できるようになったという。
オルガノイドは、人間の体が周囲に存在する(場合によっては感染する)微生物とどのように相互作用するかを、研究者がより深く理解するのにも役立つことになりそうだ。2015年にジカウイルス感染症による緊急事態が発生したとき、研究者は脳オルガノイドを使って、ジカウイルスがどのようにして小頭症や脳奇形を引き起こすのかを解明した。研究者はオルガノイドを使用して、ほとんどのウイルス性胃腸炎の原因となる病原体であるノロウイルスを増殖させることにも成功した。ヒトノロウイルスはマウスには感染せず、培養細胞での増殖が特に難しいことがわかっている。おそらくそれが、この病気の治療法がない理由のひとつであろう。
最後に、最も奇妙で、間違いなく最も不気味な利用法を紹介する。一部の研究者は、脳オルガノイドをバイオ・コンピューターとして利用し、脳の比類のない学習能力を活用しようと取り組んでいる。現在開発中のバイオ・コンピューターは、高度な思考はできないが、ペトリ皿の中の脳細胞の塊のひとつは、ビデオゲーム「ポン(Pong)」の遊び方を覚えた。別のハイブリッド・バイオ・コンピューターは、日本語の母音を発音する人の音声信号を解読できた可能性がある。この分野はまだ極めて初期段階にあり、研究者はこのテクノロジーを誇大宣伝することに慎重である。しかし、この分野が本格的なオルガノイド知能の実現を目指していることを考えれば、倫理的懸念について語るのは時期尚早ではない。バイオ・コンピューターは意識を持つようになるのか?オルガノイドは個人から採取した細胞から作られるが、その人にはどのような権利があるのか?バイオ・コンピューター自体に権利はあるのか?そして、脳オルガノイドを移植されたネズミの権利は?(実際、ネズミへの移植が行われている)。
昨年、研究者はラットの脳に移植されたヒトオルガノイドが数百万個のニューロンにまで拡張し、ラットの脳に回路をつなげることに成功したと報告した。ラットのひげに空気を吹きかけると、その拡張したヒトニューロンに電気信号が流れたことが明らかになった。
ヒト脳オルガノイドをネズミに移植する取り組みをテーマにした2017年のスタット(Stat)誌の記事で、故シャロン・ベグリーはスタンフォード大学の法学者で生命倫理学者のハンク・グリーリー教授にインタビューをした。その中でグリーリー教授は関連性のある警告として古典文学『フランケンシュタイン』を引き合いに出し、「もしかしたら、あなたが作ったものは、ある種の尊敬を受ける権利があるのかもしれません」と話していた。
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2023年に、電子チップに接続された脳オルガノイドが、ごく基本的な音声認識タスクを実行できることが報告された。アブドゥッラーヒ・トサニの記事はこちらへ。
サイマ・シディクは、子宮内膜から作られたオルガノイドが月経の謎を解明するかもしれないとする記事を書いた。シディクの報告はこちらへ。
ミニ肺、ミニ肝臓、ミニ甲状腺を人体に移植できるようになるのはいつのことか?10年ほど かかるかもしれない、と同僚のジェス・ハムゼローは過去の記事で語っていた。
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