新横浜ラーメン博物館のウラ話 第43回

ラー博にまつわるエトセトラ Vol.37

あの銘店をもう一度 第27弾 春木屋1番・2番・3番弟子が集結「春木屋郡山分店」

文●中野正博

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 みなさんこんにちは。2024年の3月に迎える30周年に向けて、これまで実施してきましたさまざまなプロジェクトが、どのように誕生したかというプロセスを、ご紹介していく「ラー博にまつわるエトセトラ」。

 2022年の7月より、過去にご出店いただいた約40店舗の銘店を2年間かけて、3週間のリレー形式で出店していただく「あの銘店をもう一度“銘店シリーズ”」と、2022年11月7日より、1994年のラー博開業時の8店舗(現在出店中の熊本「こむらさき」を除く)が、3ヵ月前後のリレー形式で出店する「あの銘店をもう一度“94年組”」がスタートしました。おかげさまで大変多くのお客様にお越しいただいております。

前回の記事はこちら:あの銘店をもう一度“94年組”第5弾 30年前の濃厚味噌ラーメンが復活!! 札幌「すみれ1994」

過去の連載記事はこちら:新横浜ラーメン博物館のウラ話

新横浜ラーメン博物館

 あの銘店をもう一度 第27弾は、春木屋1番・2番・3番弟子が集結した「春木屋郡山分店」さんです。出店期間は2024年1月11日(木)~1月31日(水)の3週間です。

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春木屋郡山分店の「中華そば」

 1949(昭和24)年創業。東京ラーメンの礎となった荻窪の地で確固たる地位を築き上げ、今なお影響を与え続ける東京荻窪中華そば「春木屋荻窪本店(杉並区上荻1-4-6)」。

 創業者の今村五男氏は、1915(大正4)年長野県下伊那郡の川路という町で生まれ、既に荻窪で「中国レストラン春木家(平成16年閉店)」を経営していた兄(今村国治氏)を頼って戦前に上京。現在も運営している春木家本店(杉並区天沼2-5-24)も五男氏のご兄弟が運営されています。

 戦争になり、五男氏も兵役についたものの、体格が小さかったことから、厚木にあった兵舎で食事を作る担当になり、戦地へは行かなかったようです。終戦後、蕎麦店をやろうと思ったようですが、設備投資や、当時蕎麦粉が手に入りづらかったこともあり、鍋釜があればラーメン店ができるということで、現在の本店の場所に屋台を構えます。店には順調にお客さんがつき、1954(昭和29)年には土地を購入し、家屋を建て、店舗をかまえました。

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創業者の今村五男さん

 「最近あそこのお店、味落ちたよな」「昔は美味しかったのにな」こんな言葉をよく耳にすることがあります。しかし果たしてそれは本当に味が落ちたのでしょうか? この問いこそが春木屋が現在に至っても行列を作っている揺るがない理由なのです。

 創業者・今村五男氏曰く「食糧事情が良くなるにつれ、お客様の舌もおのずと肥えていくものです。同じ味を出し続けていれば“味が落ちた”といわれるのは当然です。だからこそ常日頃から味の研究を重ね、時代の変化とともにベースとなる味は変えずに、お客様に分からないように少しずつ味を変えてきました。これを続けることによって初めて“いつも変わらなく美味しいね”と言われるのです」。

 五男氏は1988(昭和63)年に現役を引退するまでの間、毎日欠かさず続けていた事がありました。それは朝食の前に一杯のラーメンを食べる事でした。一切過食や夜更かしをせず口を清め、味の変化を見極めていたのです。

 「自分が毎日食べて飽きるものを、お客さんに出せるわけない」。この真面目な職人気質は後の二代目、そして弟子たちへ継承されていくのです。

 このことを誰が言ったのか「春木屋理論」と言い、多くのラーメン店が理念に掲げています。

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創業者夫妻

 五男氏が引退する年、春木屋に新たな時代が訪れました。それは1986(昭和61)年の暮れの出来事でした。行列はますます伸び70歳を目前とした先代も奥様のフミさんも、思うように体が動かなくなっていたそんな最中、来年卒業を迎えようとする高校生が父親と春木屋を訪れたのです。

 その高校生の名前は手塚英幸さん(現春木屋郡山分店社長)。腕一本で家族を不自由させない職人の姿に感銘を受けた手塚氏は、進学せず職人の世界に入ることを決心していました。18歳の冬、何気なく買った本が、手塚氏の、春木屋の運命を変えることになるのです。その本に掲載されていた創業者の言葉は、まさに手塚氏が志していた職人のあり方だったのです。

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1番弟子の手塚英幸さん

 当時の春木屋は弟子を取る制度がなかったのですが、手塚氏の情熱に押され春木屋の歴史の中で始めて外部からの人間が入る事となりました。その後、2番弟子として高橋充氏、3番弟子として兄の影響を受けた手塚雅典氏が入り、同じ志を持つ若き3人が、三羽ガラスと呼ばれる春木屋の新たな時代を築き上げていくのです。

 春木屋さんは1994年の開業時から出店のお声がけをしていたのですが、そのタイミングでの出店はかないませんでした。その後も幾度となく本店を訪れ、ある時「独立した1番弟子の手塚が手伝うのであれば」という条件の元、2004年1月に新横浜ラーメン博物館への出店が決まりました。

 春木屋の新たなる歴史を刻むのは、1987(昭和62)年、郡山から春木屋に弟子入りを希望した1番弟子の手塚氏と、その数ヵ月後、同じ志を持ち、店を訪れた2番弟子の高橋充氏そして手塚英幸氏の実弟である手塚雅典氏。創業者が引退したあとの春木屋を引っ張った「三羽ガラス」です。

今回の「あの銘店をもう一度」では、その三羽ガラスが今も働く「春木屋郡山分店」としてご出店いただきます。

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春木屋三羽ガラス

 春木屋郡山分店のラーメンは、煮干の風味が強いのですが、スープを飲んでみると、それほど前面に出ておらず、いろんな種類の旨みが口の中で融合します。タレは蕎麦屋の影響か“かえし”と呼び、うなぎのタレ同様に創業以来継ぎ足したタレは、時代とともに深みを増しています。

 麺は創業以来自家製麺。スープとのバランスを考え、その時々によって一番美味しいと思われる太さとコシに調整。また季節やその日の湿度によって水分の量を変えています。そして圧巻なのは手もみ作業。強くもむと麺肌がざらざらになってしまい、手もみをしないとプリプリとした食感が味わえません。この熟練の技は先代からの伝承です。

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手もみ風景

 春木屋郡山分店の味が味わえるのは2024年1月11日(木)~1月30日(水)の3週間です。皆様のお越しをお待ち申し上げております。

 そして次回はカナダ・トロントから「RYUS NOODLE BAR」にご出店いただきます。

 出店期間は、2024年2月1日(木)~3月3日(日)となっております。

※海外から来られるため、出店期間は32日間となります

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 お楽しみに!!

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文/中野正博

プロフィール
1974年生まれ。海外留学をきっかけに日本の食文化を海外に発信する仕事に就きたいと思い、1998年に新横浜ラーメン博物館に入社。日本の食文化としてのラーメンを世界に広げるべく、将来の夢は五大陸にラーメン博物館を立ち上げること。