ポータブルオーディオの業界では、バランスド・アーマチュア(BA)型ドライバーのメーカーとしてよく知られている米Knowles Electronicsが、CES 2023で興味深い発表をした。
ひとつは以前記事に書いた「ノウルズ・カーブ(KNカーブ)」とその実証機であるKnowles「KN2」の発表。もう一つがOTC補聴器用のBAドライバー群である。これらについて筆者は、ノウルズ・エレクトロニクス・ジャパンの話を聞く機会を得た。そこではKN2とKN1を実際に試すこともできた。
Knowlesは1946年の創業。当初からBAドライバーを開発していたという。
70年も前だが、当時から補聴器用の小型で省電力なドライバーとして、BAドライバーの需要があったとのこと。現在では主に3つの事業分野がある。それはMEMSマイクロフォン、医療機器・オーディオ関連、そして、精密機器用のコンデンサーなどの開発である。
売上はそれぞれ同程度だそうだ。会社としての規模も大きく、従業員数は全体で7000人ほどになる。
ノウルズ・カーブを体現するリファレンス機「KN2」「KN1」を試聴
まず、Knowlesが発表したノウルズ・カーブに関して話を伺った。その背景には完全ワイヤレスイヤホンにおいてさらなる高音質が求められていることがある。
"高音質"とは何かという定義だが、業界ではこれまでは高音質のリファレンスとして「ハーマンカーブ」が用いられていた。このカーブに沿っていればリスナーが高音質だと感じる、周波数特性の曲線のことである。しかし、ハーマンカーブが提唱されたころは、音響カプラーの関係で10kHz以上の測定が難しかったということだ。Knowlesではこの点に着目し、さらに最近の楽曲を研究することで、Knowlesがいかにこの分野に貢献できるかを考えたという。
そのために実施したのがブラインドテストだ。米国のヒットチャートである「billboard 200」から曲を選び、特性曲線を変えながら、年齢の異なる100名近くの被験者にダブルブラインドテストでさまざまな曲を聴いてもらい、傾向を研究してみた。この結果、やはり8kHz以上の帯域が重要で、特に16kHzを12dB上げるのが最適な結果を産むということが分かった。ただし、耳の聞こえ方は加齢によって変化するので、中高年齢の場合には、さらに20dB程度上げる必要があるという。いままでも、中高域用のツィーターを追加すれば高音質化できることが経験的に知られていたが、Knowlesはその定量化にこうした分野ではじめて成功したという。
ただし、この帯域をイコライザーで上げると歪みや消費電力が増えてしまう。そこでKnowlesはBA型のツィーターを追加する設計を提案。その実証のためのリファレンス機として、Knowless自身が開発した完全ワイヤレスイヤホンがKN2である。基本的にはイヤホンメーカーに提供するもので、一般販売をしていない。
ここまでは、過去の記事でも書いた内容だが、実際にインタビューしてみて分かったのは、Knowlesが独自アプリまで開発していたということだ。ただし、このアプリはAndroidのみに対応していて、やはり一般提供もされていない。
イヤホンとしてのKN2は、BA型のツィーターに直径10mmのダイナミック型ドライバーを組み合わせたマルチドライバー機だ。アクティブ・ノイズ・キャンセリング(ANC)機能も搭載している。
KN2は小型で装着感が良く、ノズルがAirPods Proのように楕円形をしている点も面白い。試聴してみると、確かに高音の伸びがいいが、子音のきつさなどはよく抑えられている。また、低域もタイトで量感があり、音楽を楽しめる。クアルコムの5000番台SoCが採用されていて、音の細部の再現性もいい。想像していたようなモニター的な音調ではなく、イヤホンとしての完成度が高い。
また、KN1はKnowles製のMEMSマイクを使用したハイブリッドANCを実証するためのモデルである。
KN1はBA型ツィーターに、10mmのダイナミックドライバーを組み合わせている。こちらはやや大型だが、装着感は悪くない。音はかなり低域が豊かで、こちらも音楽を楽しめるようなチューニングがなされているように感じた。
KN1/KN2とも、メーカーが実証のために試験的に作ったものというよりはかなり本格的なイヤホンという印象で、高い完成度を持つ点が面白い。
米国で注目されているOTC補聴器
次に、OTC補聴器用ドライバーの話題に移るが、KnowlesはCESで補聴器用のBAドライバーを3タイプ発表している。OTC補聴器(OTCはOver The Counterの略、店舗販売が可能)とは、例えばアメリカの補聴器メーカーであるErgoの「Ergo 6」のようなものだ。2600ドルと高価な製品である。
少し前からアメリカでは、完全ワイヤレスイヤホンをめぐる話題に補聴器が絡むことが多くなっていることには、筆者も気がついていた。背景としては昨年8月に米国のFDAが医療従事者(オーディオロジストなど)の関与なしに購入できる製品として、OTC補聴器が認可されたためだという。その結果、軽度から中程度の難聴者が従来よりもかなり安価に補聴器を手に入れらるようになった。関係する人の数は全米の人口のうち15%に及ぶというので、かなり大きな市場になるそうだ。
「補聴器といっても、自分には関係がない、遠い話だ」と思う読者が多いと思う。だがちょっと待ってほしい。
Knowlesが発表したOTC補聴器用のBA型ドライバーの一つであるKnowles「RLQ」には、「デュアル・ダイアフラム・ドライバー」が採用されている。デュアル・ダイアフラム・ドライバーは、昨年Astell & Kernの「Pathfinder」やCampfire Audioの最新機種にも搭載された技術だ。
Knowlesの資料を見るとわかるが、このデュアル・ダイアフラム・ドライバーという技術はもともとOTC補聴器や医療用補聴器のために開発されたもののようだ。従来のBA型ドライバーではモーター軸の片側のみに振動板(ダイアフラム)があったが、両側に振動板を設けている。RLQの画像がやや縦長な点にも注目してほしい。
この改良により、周波数全域で5dBほど能率が改善できるということだ。これは元々は常時着用が前提で消費電力にシビアな補聴器にとって有利に働く。そして、Campfire AudioのCEOであるKen Ball氏は「これをオーディオ用のイヤホンに使用したら音質の向上ができるのではないか」という点に着目したのではないだろうか。
業界再編/協業の流れの中に、補聴器メーカーとの協力がある
実は世界的に見ると、オーディオメーカーと補聴器メーカーが協業する動きが進んでいる。
以前の記事で書いたように、ゼンハイザーのコンシューマー部門はスイスのSonovaに買収されたが、CES 2023で発表した「Conversation Clear Plus」はその結果の一つと言えるだろう。ほかにもソニーはデンマークのWS Audiologyと協業してOTC補聴器分野に参入することを昨年表明している。また、完全ワイヤレスイヤホンの開発でも知られるJabraは、デンマークの補聴器メーカーであるGNグループの一員であり、すでにOTC補聴器である「Jabra Enhance Plus」を製品化している(国内名称はJabra Enhance)。こうした協業体制が必要なのは、流通の問題やお互いの分野で異なるノウハウがあるためのようだが、オーディオ業界再編の動きとも関連付けられるだろう。
コストにシビアなコンシューマオーディオに比べてOTC補聴器は単価が高いので、そのドライバーが多少高価になっても成立する。それをハイエンドのコンシューマオーディオ用にフィードバックしていったり、完全ワイヤレスイヤホン用に作り込んでいったりすることは、今後も十分に考えられると思う。
今後のイヤホンの世界はOTC補聴機と相互に関連しながら進化していく。そんな可能性の一端を示唆しているのではないだろうか。
訂正とお詫び:ご指摘により製品説明の一部を修正しました。(2023年2月9日)
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