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100万人に影響を与えるサービスに携わりたい

数回線の無線から数百万回線のIPv6まで JPNE鶴新社長が振り返る通信企画の半生

文●大谷イビサ 編集●ASCII 写真●曽根田元

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KDDIでバックボーン統合 そして数百万加入となるIPv6ネットワークへ

鶴:KDDIでの配属先はIPネットワーク部。まずは統合IPコア網というバックボーン統合プロジェクトに参画しました。

当時、IP-VPN、auひかり、DIONなどのサービスは、別々のネットワークで提供していました。それぞれのIPバックボーンをMPLS網で統合して、サービス網をマイグレーションしようという企画です。

大谷:確かに各キャリアともやっきになってMPLS網に巻き取っていましたね。

鶴:これが結果的にはよかった。この後、IPv4アドレスの枯渇対策やIPv6の商用化にも関わるようになりますが、おのずと社内で運営しているネットワークを全部調べ、さまざまな部門とやりとりする必要があります。だから、入社したての僕でも、ネットワーク構成を詳細に理解し、社内に人脈を作るすごくいいチャンスになったんです。

大谷:なるほど。

鶴:特にIPv6の商用化では、ホームゲートウェイ、アクセス網、コア、システム周りなど、KDDI社内のキーマンとつながることができたので、大きな財産になりました。

大谷:とはいえ、お話を聞く限り、1992年から2005年まで13年も日本テレコムに勤めていたわけですよね。同じキャリアとはいえ、KDDIにはスムーズになじめたんでしょうか?

鶴:当時、僕の乗り換えポイントは秋葉原。京浜東北線から総武線に乗り換えるとき、駅のホームで秋葉原の街を見上げて、自分のキャリアについて自問自答していた時期もありました(笑)。

KDDI時代に部下にはよく話していましたが、三日・三月・三年とはよく言ったもので、最初は正直大変でしたが、徐々に慣れました。最初に配属された部署の上司、同僚に本当に恵まれまして、今でも財産となっています。

その後、2009年頃からはauひかりのIPv6商用化に関わりはじめ、IPv4の枯渇対策といった課題に取り組むようになります。ここらへんからJPNEとの関わりが出てきます。

大谷:IPv6への流れを具体的に教えてください。

鶴:当時、KDDIは東京電力から買収した関東圏の光ファイバ網をauひかりのネットワークと統合しました。このネットワークは、すべてKDDIの自前運営なので、IPv6を始めるのに最適だったんです。2009~2010年くらいにネットワークやシステムのIPv6対応の準備を進め、震災のあった2011年4月にローンチしました。

そして、この2011年4月がまさにJPNICが発表したIPv4アドレスの枯渇タイミングだったんです。auひかりでは、お客さまに手間を煩わせることもなく、ホームゲートウェイのアップグレードだけでIPv6に対応できるようにした。結果、IPv6のトラフィックが急増し、世界から見てもKDDIのIPv6が目立つようになり、業界からも注目を集めるようになってきたというわけです。

100万人に影響を与えるサービスに関わりたい そしてJPNEへ

大谷:こうして鶴さんのビジネス半生を振り返ると、けっこういろんな辛酸をなめてるじゃないですか(笑)。そう考えると、このIPv6でようやく日の目を見た感じなんですかね。

鶴:そうですね。ほとんど普及しなかったODNエアリンクの経験を経て、なんとか100万人に影響を与えられるサービスに関わりたいと考えるようになりました。時間はかかりましたが、auひかりのIPv6サービスで、初めて加入者100万を超えることができたんです。

大谷:では、100万を超えたあとの話に移ってください。

鶴:JPNEの前身の企画会社を立ち上げる頃、私はネットワークの計画を手がける部署にいました。2016年からGLというリーダー職を任されるようになり、JPNEのネットワーク構築を実務として担当することになりました。IPv4 over v6技術導入や固定IPアドレス対応、100Gbps対応などをKDDI側でやりました。その後、2018年以降はIPネットワーク全体の開発を担当しました。そんな経緯もあって、とにかくJPNEのネットワークには思い入れがあるんです。

大谷:なるほど。JPNEとは浅からぬ縁というか、ほどんど中の人だったんですね。

鶴:正確にいうと、2019年6月からJPNEの社外取締役だったんです。でも、KDDIに所属して、自分でJPNEのネットワークを構築していたので、プロジェクトが遅延すると、JPNEとしての自分が困る(笑)。ISPに謝りに行くのは自分だし、KDDIに文句言うと、自分にブーメランで戻ってくるという不思議な時代でした。

コロナ禍に入ってからは、KDDIで固定系ネットワーク全般を見るようになっていたのですが、あのときはテレワーク需要の急増に対応するための設備増設が特に印象に残っています。とにかく連休明けまでにお客様のリモートアクセスができるように増設を完了させるために、関係者一丸となって、従来では考えられないことを皆で知恵を出し合って実現しました。とにかく大変でしたが良い経験になりました。

2021年に突然、出向の命が下ってJPNEに来ました。最初は常務という役職で半年間、勉強させてもらい、この4月に石田社長の後任として社長を襲名したという流れです。

大谷:では、JPNEは「勝手知ったる」という感じなんですね。

鶴:はい。ただ、ずっと技術畑だったので、経営はまた別の話だなあと思います。特に営業施策に関する検討の時間を長くとっていますね。

日本テレコム時代に「DDIは営業の会社」「日本テレコムは技術の会社」と言われたことがあります。「営業が強くないと、会社は強くなれない」という説に、技術畑の私は「そんなことはない! 技術が強くあるべき」と反発していました。

でも、最近は「営業も強くないとダメだなあ」と痛感しています(笑)。当たり前のことですが営業も技術も強くありたいですし、経営についても、日々勉強です。

(後編へ続く)

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