大手デベロッパーの東急不動産ホールディングス(以下、東急不動産HD)が挑むDXは、デジタルとほど遠く、レガシーすぎた不動産業界への挑戦でもある。「不動産会社の提供する価値とはなにか?」を再定義する中で必要となるDXの存在価値について、東急不動産HDのDX推進部の宮城貴紀氏に聞いた。
遅れてきたデジタルの波 新興プレイヤーの下請けになる危機感
今回お話を聞いた宮城貴紀氏は東急不動産HDと東急不動産のDX推進部に所属しており、現場と連携してDXをリードする立場となる。もともとDXに関わり始めたのは、2030年までの長期経営方針を策定し始めた2年前にさかのぼる。「ご存じの通り、不動産業界はデジタルリテラシがあまり高くなく、2019年当時でも経営計画にデジタルやDXといった言葉は入っていませんでした」と宮城氏は振り返る。
なぜデジタルへの感度が低かったのか?他業種を見回せば、店舗やATMを持たない金融事業者、POS端末を使わない決済サービス、既存ビジネスの枠を超えたシェアリングエコノミーなど、ディスラプター(破壊者)と呼ばれるデジタル事業者や海外プレイヤーが次々と現れ、業界を大きく揺さぶっていた。しかし、不動産業界はレガシー過ぎて、参入障壁が高かったという。「FAXは現役だし、業界には中小零細企業も多く裾野が大変広い。法律も複雑で、変な商習慣もいっぱいです。デジタル系の事業者が参入をためらっていて、結果的に既存の業界自体が守られていたんです」(宮城氏)。
結果として他業種に比べて一時的な猶予を得た不動産業界だったが、ディスラプターの足音は大きくなっている。所有しないオフィスを手がけるWeWorkや入居手続きのIT化するOYOのようなプレイヤーも現われ、既存の事業者の危機感は徐々に高まってきた。これに呼応するかのように同業他者がデジタル化を始めようとしたこともあり、東急不動産ホールディングスでもデジタル化やDXの必要性を経営層が認識した結果、生まれたのが宮城氏の所属するDX推進部だ。
東急不動産ホールディングスを含めた不動産業界の課題は、前述したデジタルへの感度の低さに加え、低水準な生産性、IT・デジタル系と比べ低い企業価値、長く変わらない顧客体験など、多岐にわたっている。「業界全体が気づかないうちに供給者目線になっており『こういうモノなんです』というサービスの売り方をしていました。そのため、他の分野の商品やサービスの満足度と比較すると、徐々に差が付いてきている状況です。顧客の声をしっかり捉える事業者が出てきたら、一気に持って行かれる可能性を秘めています」と宮城氏は危機感を強める。
わかりやすいのはWeWorkだ。今まで企業がオフィスを借りる場合は、駅近か、新築か、家賃が安いかといった基準で選んでいた。しかし、ブランドや利便性、機能を評価して「われわれはWeWorkに入るんだ」という顧客が増えてきた場合、既存の不動産会社は弱い。「今までわれわれはビルを作って、オフィスを提供するいわば川上側にいたのに、今後はWeWork用のビルを建てるデベロッパーの1社になる可能性すらあるんです」というコメントにはうなずかざるをえない。
そして、これはオフィスのみならず、マンションでも同じ。ユーザーが住むことを能動的にサービスとして利用するようになったら、「不動産会社が提供する価値はすでにないのではないか?」という危機感と喪失感が底辺にはある。大きな岐路に立つ不動産会社が、生き残る手段として「選ばざるを得ない」のがDXなのだ。
まずはプロトコルを決め、業務プロセスの改革に着手 課題はデータ
大手デベロッパーとしての東急不動産ホールディングスのビジネスは、土地を仕入れて、オフィスビルやマンション、商業施設、物流施設などを建てるという開発が基本となる。こうした投資メインのビジネスに加え、東急不動産ホールディングスは運営や管理、仲介業などの割合が高いのが同業他社に比べた差別化ポイントになる。また、不動産事業からはみ出した事業まで手がける裾野の広さがユニークだ。東急ハンズのような小売事業のほか、ウェルネス事業として、ホテルやリゾート、フィットネスサービスまで手がけており、コンシューマーとの接点も豊富だ。
最初に決めたのはIT用語で言うところの「プロトコル」だ。レガシーと言ってもよい不動産会社では、社内でDXの話がなかなかかみ合わなかった。「本やセミナーを通じ高い意識を持つ役員が多いのは本当にありがたいのですが、一人の役員は『業務改善のために紙をなくそう』という話をし、別の役員は『スマートシティのビジネスを立ち上げ、イノベーションを起こそう』みたいな話をしがちなんです。どちらも正しいのですが、議論がかみあわない。DXはバズワードゆえに、交通整理する必要がありました」と宮城氏は語る。こうして生まれたのがデジタル活用による業務の効率化を実現する「ビジネスプロセス」、顧客接点のデジタル化を表す「CX」、そしてデジタルによる新しい価値創造を目指す「イノベーション」の3つだ。
1つめのビジネスプロセスは、紙や印鑑をなくしたり、業務の標準化や自動化を進めるといった、いわゆるデジタライゼーションやBPRを指す。ここでのITの役割はやはり人手不足・労働力不足という環境において、従業員が本来の価値提供に専念するための業務効率化を実現することだ。「たとえば、ホテル運営業や小売業に従事する社員の方は、本来は接客サービスがやりたくて入社したはずです。でも、バックヤードでシフト表を作るような事務作業は必ず発生します。この作業を効率化し、社員の方がモチベーション高く取り組める接客の時間を出来るだけ多く作れるようにしたいと考えました」と宮城氏は語る。
現在では、シフト管理作成や不動産の査定をAIで自動化するようになっており、人手の作業をサポートしている。「すごく複雑なことをしたり、人の力を超えるみたいなものではなく、人の作業を助けてくれる。”SFじゃないAI”が現場では使われ始めるようになりました」(宮城氏)。
こうした不動産業界のDXで最大の課題となるのはデータだ。アナログ文化が古くから根付いているため、データ化は痛みを伴う負荷の重い作業。パートナーとなりうるIT企業がソリューションを提案しても、アナログのデータ化やリアル情報の収集という時点で撃沈してしまうという。
たとえば、ビルの設備1つとっても、メンテナンス箇所は膨大だが、その管理はいまだにアナログが多い。不動産の賃貸や売買などの手続きも基本は店舗での対面営業なので、メモや資料も紙が現役で大活躍している。「よくAIの会社さんが過去の履歴を分析して修繕タイミングを最適化しましょうといった提案を下さるのですが、竣工時や修繕後の図面がそもそも揃っていなかったり、全部紙であとから手書きで追記されている場合もあります。他業界のデジタルマーケティングをそのまま転用することも難しく、たとえばWebサイトでCookieを取得してCDPで顧客動向を分析しましょうみたいなご提案も、そもそもタッチポイントが店舗での対面営業なんですという時点で、話が止まってしまうこともありました(笑)」と宮城氏は自嘲する。
そもそも不動産業界には、「本当の情報が表に出ない」という特有の事情がある。賃貸住宅の実際に成約した家賃やマンションの実際の販売価格は、必ずしも開示されている情報とは言い切れない。検討する顧客によって提示する値段が営業マンによって違うというのは、不動産業界では当たり前。標準化やデータの精度という観点で、不動産業界はデジタル化に向かない業界とも言える。
しかし、このブラックボックスが不動産業界の利益の源泉なのかは精査すべき時期に来ているという。これがDXを進めるために必要な不動産会社の覚悟になるし、業界における1つターニングポイントとなる。「いったん誰かがそのトビラを開いてしまったら、もう止まらないはず」と宮城氏は語る。