英ケンブリッジ大学発のベンチャーであるケンブリッジ・クオンタム・コンピューティング(Cambridge Quantum Computing:CQC)が、日本での本格展開を開始する。セキュリティ、量子ソフトウェア開発プラットフォーム、量子化学、量子機械学習、オプティマイゼーション、量子自然言語処理など幅広い製品と技術を日本、アジアパシフィック地域に展開する。
量子コンピューティングのスタートアップは毎日生まれている
CQCは、量子コンピューティングソフトウェアにフォーカスした企業で、英国ケンブリッジやロンドン、オックスフォード、チェシントンのほか、米サンフランシスコ(バークレー)、ワシントンDC、東京のオフィスに、85人以上が勤務。そのうち、35人の博士号保有者を含む、60人を超える科学者が在籍している。2014年、ケンブリッジ大学ジビネススクールにおいて、「Accelerate Cambridgeプログラム」によって設立。量子コンピューティング分野におけるスタートアップとしては、もっとも古い企業ともいえる。
英ケンブリッジ・クオンタム・コンピューティング・リミテッド Chief Business Officer(最高事業責任者)のDenise Ruffner(デニース・ラフナー)氏は、「2018年1月時点においても、量子コンピューティングのスタートアップは世界で10社程度。それが現在では100社程度にまで拡大している。いまでは毎日新しい会社が生まれている」とする。
現在は、量子開発プラットフォームの「t|ket>(ティケット)」、量子化学分野のエンタープライズアプリケーションである「EUMEN(ユーメン)」、量子機械学習の「QML」、量子サイバーセキュリティーデバイス「IronBridge(アイロン・ブリッジ)」などを製品化。「サイバーセキュリティ、量子ソフトウェア開発プラットフォーム、量子化学、量子機械学習、オプティマイゼーション、量子自然言語処理の6つの中核分野に展開している。これだけ広範な取り組みをしている企業は珍しい。また、化学・製薬、工業製品、IT、金融などでの研究活動を行なっている。これらの分野において、優れた人材と多くの顧客を獲得している」と語る。石油やガス、製薬、化学、ヘルスケア、金融分野の顧客を抱え、化学分野では日本のJSRとパートナーシップ契約を結んでおり、同社がCQCに出資している。
2019年1月に、ケンブリッジ・クオンタム・コンピューティング・ジャパンを設立しており、この12月から日本での本格展開を開始するという。サイエンティストを含む、5人のスタッフが参画しており、今後5年間に渡って、増員していくことになる。ケンブリッジ・クオンタム・コンピューティング・ジャパンの結解秀哉社長は、「日本には、量子ハードウェアに専門知識を持つ企業が多く、高性能コンピュータの製造やシリコン技術、フォトニクスといった関連分野でも世界的な企業が存在する。さらに量産化、品質管理でもリードしており、量子コンピュータ市場の拡大において重要なプレーヤーが多い。日本では、サイバーセキュリティ、量子化学、量子機械学習の分野に優先的に取り組んでいきたい」とする。
セキュリティデバイス、開発や分析プラットフォームまで幅広く展開
日本でも力を注ぐ「IronBridge」は、量子セキュリティデバイスと位置づけられる製品で、ハードウェアとして提供される。世界初の認証可能な商用量子暗号デバイスとして、2019年3月に発表された。量子コンピュータの広がりにより、従来の暗号化技術は急速に脆弱化することが予測されており、企業は新たな量子暗号システムに移行する必要があるとされている。IronBridgeは、量子コンピュータ普及後のサイバーセキュリティ対策を目的としており、現在、欧米において、研究機関や企業による実証実験が行われているほか、すでに米IBMが、クラウドセキュリティシステムにIronBridgeの実装を完了したという。
「IronBridgeは、4量子ビットプラットフォームであり、室温で動作すること、サーバーラックに接続可能な仕様となっているのが特徴。独自の量子もつれを採用することで、リアルタイムで自己認証を実行する。ハッキング不可能な乱数キーを生成でき、100%の改ざん防止を実現。量子攻撃からの防御が可能になる」(ラフナー最高事業責任者)。
また、量子開発プラットフォームの「t|ket>」は、量子コンピュータ用のコンパイラー兼プログラミング環境を提供するもので、量子回路を最適化し、演算回数を削減。抽象的な量子回路を実行可能な回路に変換し、最適な物理量子ビットへの配置を決定することができるという。先頃、t|ket>のpython バージョンであるメジャーアップグレード版「pytket 0.4」をリリースした。「pytket 0.4は、45%ものパフォーマンスを改善した。日本のユーザーも使い始めている」という。
さらに量子化学の分析プラットフォームである「EUMEN」は、今後、量子コンピューティング関連市場をリードするとみられているマテリアル・シミュレーションアプリケーションにフォーカスしたもので、量子コンピュータを利用した分子シミュレーションなどに向けた効率的な手段となる。CQCでは、最低エネルギー状態での電子のシミュレーションに限定されていたVQE(Variational Quantum Eigensolver=変分量子固有値ソルバー)などの量子アルゴリズムにおいて、これを打開する科学論文を発表。これにより、多くの分子に対する励起状態の計算効率が向上し、次世代の材料開発に向けた活用が促進されることになる。これを「EUMEN」を通じて活用できるようにするという。
アジアパシフィック地域は量子コンピュータの潜在市場
量子コンピューティング市場は、2024年には、全世界で2億8300万ドルの規模が見込まれており、年平均成長率は24.9%と高い伸びが予測されている。また、企業利用における量子コンピューティング市場も高い成長が見込まれており、2030年には90億6600万ドルに達するとされている。
ラフナー最高事業責任者は、「量子コンピュータは、銀行・金融サービスや、製薬・新素材といった化学分野での利用が拡大すると予測されている。特に、アジア・パシフィック地域は、ヘルスケア、銀行、自動車、化学などの複数の産業の主要ハブであり、これらの産業は量子コンピュータの効果が発揮される分野である。つまり、アジアパシフィック地域は、量子コンピュータの潜在市場でもあり、しかも能力を持った人材も豊富である。なかでも日本は高い成長が期待できる市場であり、アニーリング型やゲート型といった複数のハードウェア開発が、企業や大学で進んでおり、日本政府も2039年までの量子技術ロードマップを発表している。政府が量子コンピュータの成長を下支えしているという点でもユニークな市場である。今回の日本での本格展開も、こうした動きを捉えたものである」などとした。
日本には、さまざまな業界において世界をリードする企業が集中していること、R&Dに積極的であること、700以上の大学と多くの研究機関があること、優れた科学者やエンジニアがいること、アジア地域へのアクセスに優れていることなども、日本法人の設立理由に挙げた。ラフナー最高事業責任者は、「量子コンピュータは、まだハードウェアの普及段階だが、今後はアプリケーションの開発が普及の鍵を握るとも言われている。また、耐量子暗号技術も経済界において重要な懸念事項だと言われている。関連技術と製品をタイムリーに投入し、日本市場の拡大にも貢献したい」と述べる。