これまで日本の宇宙産業は官需が中心で、ほとんどの民間企業には無縁だった。しかし世界の潮流では、宇宙産業は国から民間へとシフトしつつある。日本の宇宙産業の現状と課題は何か。
「従来、宇宙産業は完全に国の事業だったが、ここのところ急速に民間へとシフトしている。そのあたりの流れと、現在の日本の置かれている状況をお話しします」。
宇宙航空研究開発機構(JAXA)新事業促進部の松浦直人部長は、1月19日に開催されたMITテクノロジーレビュー主催のイベント「MITTR Emerging Technology Conference #5 JAXA × 宇宙ビジネスの現在・未来」で、そう話し始めた。
松浦部長はJAXAで長年に渡って人工衛星の開発と利用に携わってきた人物。現在は、JAXAと民間企業との連携で新規事業を生み出し、宇宙産業の振興を推進する立場にある。
JAXAは約1500人の職員で構成され、年間予算は補正予算を含めておよそ1800億円。アメリカ航空宇宙局(NASA)の予算規模が1兆8000億円だというから、だいたいその10分の1ほどの規模だが、松浦部長によると「JAXAがやっていることはNASAとほぼ同じ。NASAと多くの分野で同程度の技術規模を持っている」という。
JAXAとは何をやっている組織なのか
JAXAの事業は、宇宙輸送ロケットや地球環境分野の衛星の研究開発、宇宙科学、月・惑星の探査まで多岐にわたる。探査系の中で最も有名なのは、小惑星探査機「はやぶさ」だろう。「2010年に帰還してから、世界での認知度もずいぶん上がったと感じる」と松浦部長はいう。
もう1つよく知られるのが、米国、ロシア、カナダ、ESA(欧州宇宙機関)、それに日本が協力して運用している国際宇宙ステーション(ISS)での活動だ。ISSは、1999年から軌道上での組み立てが開始され、2011年7月に完成した。全体はサッカーグラウンドほどの大きさがあり、その一部に日本がつくった実験棟「きぼう」がある。
きぼうでは、宇宙環境でなければできない創薬や材料系のさまざまな研究に取り組んでおり、日本からは2年と置かずに代わる代わるJAXAの宇宙飛行士がISSに滞在している。
「JAXAは船長を経験した若田光一宇宙飛行士も輩出しており、技術だけではなく、人材についても宇宙飛行士をどんどん送り込めるレベルになってきた」と松浦部長は胸を張る。
ハードウェア開発中心から、宇宙利用サービス産業へ
このように、JAXAが中心となって進めてきた宇宙開発は技術、人材の両面で多くの実績を出しているとはいえ、予算規模では依然として米国や欧州とは大きな差がある。加えてここ数年、海外で急速に注目されるようになってきたのが、イーロン・マスク率いるスペースXやジェフ・ベゾスが設立したブルーオリジンに代表される民間企業の「宇宙ビジネス」への参入だ。
民間企業による宇宙ビジネスが立ち上がることで、宇宙開発がこれまでの国家主導の動きはまったく異なるスピードで進もうとしているのだ。では、宇宙ビジネスとは具体的にどのような事業を指し、日本はどう取り組んでいるのだろうか。
松浦部長は、宇宙ビジネスには大きく2つの「利用」があると説明する。1つは「宇宙空間」の利用。通信や放送、測位によるナビゲーション、地球観測データの利用といった、宇宙空間という「場所」を使って地球を見たり、通信の折り返しなどに使う。
もう1つは「宇宙環境」の利用。無重力状態など、地上とは異なる宇宙特有の環境を利用することで、ISSでの実験・研究などがそれに当たる。そうした宇宙を利用するための前提を作るツールとして、人工衛星や宇宙ステーション、輸送手段としてのロケット開発があり、それらハードウェアに関わる領域がかつての宇宙産業の中心だった。実際、三菱重工やNECといった巨大企業のハードウェアビジネスをイメージする人も多いだろう。だが、現在では「宇宙産業の軸は宇宙の『利用』へとシフトしている」(松浦部長)。
松浦部長によると、ツールを開発する宇宙機器産業が年間でおよそ3500億円の売上規模であり、通信・放送を含む宇宙利用サービス産業が約8000億円の売上。この2つを合わせた約1.2兆円が、現在の日本の宇宙産業の規模だという。
日本の宇宙産業はこれまで歴史的に官需が中心だったため、民間企業の投資が不十分であり、研究開発が中心だったこともあって、ビジネスとして成功を収めているとは言い難い。その理由を、松浦部長は「逆説的だが、品質のよいものをつくってきたから」だと説明する。高品質を追求したぶん、コストも高くなり、価格面での国際競争力が弱くなってしまったということだ。
「この構図を今、国を挙げて変えようとしている」。
宇宙産業のコミュニティを広げ、新しいビジネスを生み出す
コストを抑え、従来のハードウェア中心の宇宙産業の国際競争力を高めると同時に、松浦部長は「宇宙関連コミュニティの拡大がこれからの宇宙産業のカギを握る」と話す。
コミュニティの拡大とは、宇宙ビジネスにこぎ出す民間企業を増やし、連携を強化するということだ。「アメリカに比べるとおそらく10分の1程度だが、ここ数年でようやく日本でも20社を超える宇宙ベンチャーが出てきた」(松浦部長)。
たとえば、2017年12月に100億円の資金を調達し、月面での資源開発を目指すアイスペース(ispace)、衛星軌道上のデブリ(宇宙ゴミ)除去事業を目指すアストロスケールといった宇宙利用を目指す企業が立ち上がっており、「ほんの数年前とは隔世の感がある」(松浦部長)。
JAXAはアイスペースと共同研究するほか、アストロスケールからはデブリを検知するセンサーの製作を「JAXAが受託」。北海道を拠点に小型ロケットの打ち上げを目指すインターステラテクノロジズに対しては、将来的にロケットエンジンに関わるコンサルティングを提供するなど、ベンチャー企業とJAXAの協業も深まりつつある。さらに、民間企業が独自の研究開発をするために、ISSの実験棟「きぼう」を利用してもらう事例も今後は増えていきそうだという。
「宇宙にはさまざまな可能性があり、今できなくても、5年後、あるいは10年後になると、もっといろいろなことをできるようになっているはず。それを見込んで、ビジネスを仕掛ける動きを、今、世界各国でやっている。日本の皆さんも、ぜひ宇宙に目を向けて、興味を持っていただきたい。そして、アイデアをJAXAに持ってきていただければ、非常に歓迎します」と、松浦部長は講演を締めくくった。
民間プレーヤーの成功で宇宙人材に活躍の場を
この日のイベントは、100名の募集定員に対して告知開始からわずか2日で満席となるほどの人気ぶりで、“宇宙村”の住人ではない、民間企業で働く参加者がその大半だった。講演後の質疑応答では、JAXAが取り組んでいる研究領域に関することから、具体的なビジネスに関することまで、活発な質問が続いた。その中から1つだけ、質問とその回答を紹介する。
──宇宙産業における人材についての問題点を聞きたい。ヒト、モノ、カネのうち、日本の宇宙産業において、モノの品質は高い、カネはこれからということが分かったが、ヒトの面はどうか。
まさに今われわれが一番悩んでいるのはそこだ。おそらく宇宙産業に限らないが、人的基盤が弱くなってきている。
2000年代前半に、もともと官需中心だったことから、官の予算が減った時に、企業も宇宙分野の人材をそれ以外の分野へと流出してしまった。最近は少し回復してきたが、それでも宇宙産業に携わっているのは8000人程度と、まだまだ少ない。
一番の問題は、学校を出た後の就職先がないという問題だ。航空宇宙学科の卒業生はたくさんいるが、就職先がなくて、JAXAが一番目標の就職先になってしまっているのは、不幸な状態。
宇宙に関わる人材の活躍の場が増える、広がるという意味でも、宇宙ベンチャーをはじめとする民間のプレーヤーが増え、ビジネスに成功することを期待している。