業界で高いシェアを誇るものの
独自のプロセッサーとOSが不利に働きだす
景気後退局面を抜けてからTandemが1987年に投入したのが、拡張性と性能を落とした代わりに価格を大幅に下げたNonStop CLXである。
ローエンドのNonStop CLXはほぼT16と同程度の性能、ハイエンドでNonStop VLXの20%落ちというあたりだが、ローエンドではプロセッサーボード1枚で構成され、ずいぶん安かった。ただソフトウェアの対応がちょっと遅れたこともあり、思ったほどには売れなかったようだ。
それでも1985年の売上が6億2400万ドルだったのに、1987年には13億5000万ドルまで伸ばし、社員数7000人、販売拠点は世界に150ヵ所を数えるに至る。このあたりで同社のピークが近づいてきた。というのは、このあたりから業界的にダウンサイジングの波が押し寄せてきたからだ。
1989年にはメインフレームクラスの性能と拡張性を持つ、NonStop Cycloneが発表される。フルにECL(Emitter Coupled Logic)のゲートアレイで構成され、同時2命令実行可能なスーパースカラー構成のCPUを搭載するこの製品は、当初こそ同社の売上に貢献。
1990年の売り上げは18億7000万ドルに達し、利益も1億8870万ドル(1989年は1億8430万ドル)を計上したが、翌1990年は売上こそ19億2000万ドルに達するものの、利益は5910万ドルに下がっている。
これは主に金融業界が設備投資を控えるとともに、Tandem以外のシステムを選び始めたからであるが、独自のプロセッサーとOSを提供していることも不利に働いた。例えば1987年にTandemは米陸軍の病院情報システム向けの10億ドルの契約獲得に失敗したが、これは同社がUNIXをサポートしていなかったためである。
これもあって後にはUNIXやIBM-PC互換機のサポートも開始するが、時すでに遅しの感は否めない。とはいえこの時点でもまだ同社はネットワークや通信業界には高いシェアを誇っていた。
1987年にはネットワーク関連機器ベンダーであるUngermann-Bass, Incを買収しており、この分野の売上が同社の底上げに貢献していた。そして次のIntegrityシリーズで、AT&Tを初めとする通信業界に大きく食い込むことに成功する。
x86ベースのシステム開発をする体力がなく
x86に長けた企業に技術を売る選択を
さて再びプロセッサーの話に戻る。1980年代、同社はさまざまな製品を開発しつつも、ほとんどが成功しなかった。理由はいくつかあるが、この当時UNIXが標準的なOSとして普及していたにもかかわらず、TandemのプロセッサーにUNIXを移植するのは困難を極めたらしい。
そこで、逆説的に「既存のUNIXにTandem風のフォールトトレラント性を実装した」NonStop UXという製品が開発される。これは1989年に開発が始まり、1991年にIntegrity S2という名称で製品化される。
利用したのはMIPSのR2000であるが、R2000そのものはロックステップ(複数のプロセッサー間で、1サイクルごとに動作を同期させるメカニズム)を搭載していないので、3つのR2000で同時に同じ処理を実行させ、結果が異なる場合は多数決で決めるという、かつてのAGC(Apollo Guidance Computer:アポロ誘導コンピューター)と同じ原理が実装されている。
このIntegrity S2は価格のわりに高性能、ということで通信業界を初め多くのユーザーに採用されることになった。これを受けて1991年、同社はCyclone/R(CLX/R)をリリースする。これはNonStop/CLXの後継製品だが、異なるのはプロセッサーにR3000を搭載したことだ。
従来のソフトウェアとの互換性は当初こそ存在しなかったが、すぐにAcceleratorと呼ばれるコード変換ツールも提供され、またTNS code interpreterも提供されることで、既存の顧客のソフトウェア資産保護がなされた。
CLX/Rでは2つのR3000プロセッサーをロックステップ動作させることで冗長性の確保を行なったが、R3000自身のバグも多かったためか、収束させるにはだいぶ時間がかかったようだ。
1993年には、NonStop HimalayaのKシリーズがR4400を搭載して出荷され、ついでR4400に加えてさらに高性能なR10000を搭載したNonStop Himalaya Sシリーズが1997年に発表される。
ただしこの頃からMIPSのハイエンド製品に対する懸念は業界で噂されており、それもあってTandemもx86への移行を1996年から社内的に検討を開始している。
この決定を行ったのは、1996年に同社を去ったTreybig氏に代わってCEOに就いたRoel Pieper氏(*)と、彼の下で実際に作業したRonald May氏(Brand and Creative Director)で、彼らの元でTandemそのもののCOMPAQ売却への筋道が立てられ、実際に19億ドルで売却されることになる。
(*) 元Ungermann-BassのCEOで、1996年まではTandemのUB Network(Ungermann-Bassを改称)部門の長であった。UB Network部門はPieper氏のCEO就任の後、売却された。
実際x86ベースにシステムを入れ替えるくらいなら、x86に長けた企業に同社の技術を売ってしまうほうがスムーズであろうというのは間違いない。
下表に1991~1995年の有価証券報告書から売上と利益を抜き出して示した。1994年から多少持ち直した、という感はあるものの、新たにx86ベースのシステムの開発を始める体力はすでに持ち合わせていない、という判断だと思われる。
Tandemの1991年から1995年の収支 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
会計年度 | 売上 | 営業利益 | 純利益 | |||
1991年 | 19億9200万ドル | 5910万ドル | 3520万ドル | |||
1992年 | 20億3690万ドル | -35400万ドル | -4120万ドル | |||
1993年 | 20億2310万ドル | -4億6640万ドル | -5億1770万ドル | |||
1994年 | 21億800万ドル | 1億5660万ドル | 1億7020万ドル | |||
1995年 | 22億8490万ドル | 1億2530万ドル | 1億750万ドル |
旧HPの社員が立ち上げた会社が
現HPに買収される
ご存知のとおり、Tandemを買収したCOMPAQは、その後HPに買収される。結果、今でもHPはIntegrity Serverとして同システムを販売中である。システムはR16000まで行った後でItaniumに切り替わり、現在はXeonベースの製品が提供中となっている。
その意味では、TreybigがHPを飛び出して28年経過後に、再びHPに戻ってきたという言い方もできるわけで、市場そのものがずっと存在していた(そして現在もある)のは間違いない。
ただ、そこをおさえ続けるには、多少の景気の好不調を乗り越えられるだけの体力が必要であり、Tandemにはややそれが足りなかった、というあたりではないかと思う。
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