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音楽を丸裸にする「ルビーのイヤフォン」

始めと終わりで“運命”は変わる―― ナガオカ「R1」レビュー

2017年08月12日 17時00分更新

文● 天野透/ASCII

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何と自然な音なんだ!

 肝心の音はどうだろうか、まずは「Hotel California」「Waltz for Debby」「Don’t know why」の各定番曲で概要を確認してみる。僕が感じたこのイヤフォンの“スゴさ”は、“音の自然さ”、“定位の良さ”、“音の弾み感”だ。

 まず音色が決してカリカリ音ではなく、それでいて恐ろしく自然というところに驚かされる。Hotel Californiaはギターの撥弦のニュアンスがオーディオ的な聴きどころのひとつだが、これが極めてナチュラルで爪弾きの様子をありありと感じる。その他の楽器でも、例えば3分40秒辺りからのドラムセットのハイハットの存在感が凄まじい。叩き方と言うより、スティックの落とし方がありありと見えるほどだ。
 Waltz for Debbyでもピアノの自然さがちょっと尋常じゃない。まるでしっかりと組まれたレコードのような存在感があり、一定して聴こえるはずのホワイトノイズがちっとも気にならないどころか、それが良い味となってオーディオ表現の一部に聴こえる。さらに冒頭のピアノソロ終わりからドラムセットが入る部分では、スネアのあまりの自然さにゾワッとした。イヤフォンでこんな体験をしたことは久しく無い。
 ノラ・ジョーンズのヴォーカルも柔らかくてトゲが無く、そして恐ろしく自然だ。マイクの存在がかなり希薄に感じる。とにかく上から下まで強調感が見られない。どの帯域もまんべんなく良く鳴るというのが第一の特徴だ。

Image from Amazon.co.jp
今回は「Hotel California」の冒頭から鳥肌が立つ思いがした。悪い意味での高音の鋭さや音の強さが無く、でも音が決してボヤけない。まるで生演奏、あるいは見事に“演奏”された上質なレコードのような生々しさが聴かれた

 定位の良さも素晴らしい。Hotel CaliforniaでもDon’t know whyでも、ヴォーカルのガチッと真ん中に定位していて、特にDon’t know whyでは冒頭からレフトに定位しているギターの存在感が、そこらのイヤフォンとは一線を画している。自然な音のイヤフォン、存在感のあるイヤフォンは世の中にままあれど、その両方を兼ね備えたイヤフォンというのは、ちょっと僕の記憶に無い。
 音の見通しと分離が良い。Waltz for Debbyでは中間の弦ベソロで、弦べの存在感を保ったままピアノとセットの存在が消えない。これは解像感の高さに由来する部分も大きいだろうが、あるべきところ、あって欲しいところに音がある。

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「Waltz for Debby」でも生々しさは健在。前奏からドラムセットが入る瞬間、あまりの自然さにゾワリとした。ホワイトノイズさえも音楽の大切なスパイスとして感じる

 そして音の弾み感だが、これはギターやベースの音が踊るように快活に感じられる。Hotel Californiaのエレキギターは撥弦ポイントが明確で、オーディオ的に言うと出音がハッキリしている。Waltz for DebbyとDon’t know whyはダブルベースのピチカートが実にナチュラルで、音楽そのものが活き活きとしている。
 特にDon’t know whyは豊かなマルカート(“ポン”と弾む音)感がノラ・ジョーンズのゆったりしたヴォーカルとの対比となり、音楽世界に着く鮮やかなコントラストが印象的だ。「低音が楽しい」とはこういうことを言うのだろう。

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ノラ・ジョーンズのスマッシュ・ヒットチューン「Don’t know why」が収録されたアルバム「Come away with me」。見通しのよいヴォーカルやベース、粒の立ったドラムセットなど、オーディオ的な聴きどころも満載。それにしても、R1で聴くと定位の良さに驚かされる

演奏を丸裸にするイヤフォン

 冒頭にも述べたが、このイヤフォン、ハッキリ言ってスゴい。出てくる音がとてつもなく自然で脚色が無く、音源に収められた表現を余すところなく出し切るような印象を受けた。
 「このような音が最も楽しめる音楽は何だだろうか」と考えを巡らせた僕の答えは“音楽を芸術的に受け取る”という聴き方だ。アーティキュレーション(音符のニュアンス)やダイナミクス、テンポなど、音を出すことに対するあらゆる動作を用いて“言葉のない物語を読み取る”ということで、平たく言えば芸術的な姿勢で音楽に向き合うというスタイルだ。

 今回はカルロス・クライバー/ウィーンフィルのベートーヴェン「交響曲第5番“運命”」の第1楽章、それにチャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲」第1楽章で演奏家の聴き比べに挑もうと思う。

クライバーの運命は「ガガガガーン」から「ワワワワァー」へ

 あらゆるクラシック音楽の中でも屈指の名曲“運命”、「ジャジャジャジャーン」という“運命の扉を叩く音”は誰もが耳にしたことがあるだろう。
 さて、クライバー/ウィーンフィルの“運命の扉”だが、ストリングアンサンブルの低音セクションが音を激しく立てており、特に冒頭は強烈なインパクトとエネルギーを伴っている。まるで殴りつけるような荒々しさで、その音は「ジャジャジャジャーン」ではなく「ガガガガーン」だ。この主題は弦低音が事あるごとに繰り返し奏でるが、それらはいずれも冒頭に従うように「ガガガガーン」。もしこれが「ジャジャジャジャーン」だとすると、豪華さや広がりといったニュアンスが音に出てしまい、クライバーが求めたであろう苛烈さが表現できないのである。

 そんな主題の表情が変わるのは中間部、トゥッティ(全員が同じリズムを奏でること)で主題を奏した後にオーボエと続くところ。この辺りから明らかに弦低音が奏でる主題の音色が、丸みと深い響きのニュアンスに変わる。擬音で表すと「ガガガガーン」が「ワワワワァー」といった響きになる。
 つまりこのトゥッティが転換点となり、運命がどんどん広がりを見せる。最後のトゥッティではメジャーコードで終わる響きが示すように、もう完全に“音の深み”が低音を支配している。それは冒頭のバリバリという荒々しさとは別物で、音を通して作品が前向きになってゆく様を見事に表現しているのだ。

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ベートーヴェン:交響曲第5番&第7番

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