最新トレンドを実践するEC事業者に取材し、どのように成果をあげているのかをレポートする「最新トレンドの成功者から学べ! ECサイト研究レポート」。今回はクラフトビール業界No.1のヤッホーブルーイングを紹介する。同社は、エールビールを日本に広め、楽天市場のビール・洋酒部門で、ショップ・オブ・ザ・イヤーを9年連続受賞している。メインブランド『よなよなエール』の個性は、どこから生まれたのか。多くのファンから愛され続ける理由とは? 代表取締役の井手直行社長に話を聞いた。
“知的な変わり者”に愛されるエールビールを造りたい
ヤッホーブルーイングは1996年設立。細川政権の規制緩和策の一環で「ビールの製造免許に関わる最低製造数量基準」が引き下げられたのを機に、ヤッホーブルーイングの親会社である星野リゾートの星野佳路 現・代表が立ち上げた。
ニューヨークのビアパブでエールビールを初めて口にした星野社長は、「こんなに美味しいビールがあるのか」と感動し、日本にも紹介したいと考えたという。1997年4月に醸造所が完成し、同年7月7日から『よなよなエール』の販売を開始。井手を含む7人の創業メンバーは、それまでビールを造ったこともなければ、売ったこともなかったというから驚きだ。
「私は軽井沢の小さな広告代理店で、星野リゾートを担当する出入りの営業マンをしていました。そこで少し仲良くなった縁で声をかけてくれたんです」(井手氏)
『よなよなエール』というネーミングは、今までなかった味わい深い個性豊かなエールビールを毎晩(=夜な夜な)飲んでもらいたいという思いから付けられた。広告費をかけられない小さな会社だからこそ、覚えやすいインパクトのある名前を狙っての差別化戦略でもある。
日本発、世界で戦えるエールビールにしたいと“和”にこだわり、名前にひらがなを入れるだけでなく、パッケージも花札をモチーフにした哀愁漂うデザインにした。
「『よなよなエール』のターゲットは、“知的な変わり者”。知的好奇心が高く、新しいもの好きな方、他の人と違うものを好む方に手に取ってもらいたい。このコンセプトがいつしか我が社自身のアイデンティティにもなっていきました」(井手氏)
地ビールブームの終焉
販売開始当時、日本は地ビールブーム真っ盛り。ピーク時には300近いビールの醸造所が乱立していた。『よなよなエール』は税別248円という当時、最安値の地ビールとして、何もしなくても爆発的に売れた。
97年の販売開始から99年までは右肩上がりで売上は上がり続けたが、99年をピークに地ビールブームが去り、ヤッホーブルーイングも暗黒時代へと突入する。設備投資が大きかったこともあり、8年連続の赤字が続いた。ブームが去ってからは、酒屋やスーパーなどへ営業しても「もう地ビールなんて誰も飲まない」と門前払いをされる日々だった。
「いよいよ会社が潰れそうになって、販売経路として最後に残ったのが、ネット通販だったんです」(井手氏)