クリスマスはうんこと隣り合わせ
心優しくも、孤独な若人たちの胸をざわつかせるクリスマスが、もうすぐやってくる。イヴの晩だというのに、やさしく、温かく、自分を包んでくれるものが、コンビニおでんのはんぺんぐらいしかない身にとっては、つらい時節であろう。だが、よく考えたら、クリスマスなどというものはクソだ。なぜなら、うんこと隣り合わせだからだ。
何を言ってるかだって? まあ聞いてほしい。都会の地下や壁には、下水管が縦横に埋設されている。おしゃれなカフェやレストランで、デパートや遊園地で、楽しく語らう人びとのすぐそばには下水管が埋まっており、その中をうんこが音もなく移動している。グラスを傾ける二人の足下でも、壁ドンしているカップルのその壁の中でも、今まさに、うんこは高速で流れていっているのである。
しかしそういう事に思いを馳せてはならないし、ましてや口に出してもならない。現代人の生活の中で、なぜか、どうしてかわからないがうんこはタブーなのだ。そんな禁断の領域に、土足であがりこんで、お茶までいれてしまったのが、わたくし早川いくをが書いた、この「うんこがへんないきもの」である。内容が文字通りクソであるにもかかわらず、なんと発売5日で重版が決定した。
うんこよ、お前は何者なのか
拙著の〈へんないきもの〉シリーズは、おかげさまで累計55万部のベストセラーとなった。今回その続編を上辞したわけだが、そのタイトルが「うんこがへんないきもの」なのだ。あまりにダイレクト過ぎる。
「こんなタイトルは口にしにくい」
ファンの方からも、そんなご意見が出るであろうことは想像に難くない。続編なら、おとなしく「へんないきもの3巻」とか言っておればいいものを、なぜ、よりにもよってうんこなんぞをフィーチャーなのか。
考えてもみてほしい。遺伝子や脳、免疫システムや神経系は進化の過程でこれほど精妙に、高度に発達してきたというのに、うんこは一体何なのだ。あんな変なものが、毎日毎日、体の中からムリムリと出てきては、ぼっとんと落ちるだけ。しかもむやみと臭い。
この手抜きさ加減は何なのだ。
何億年もの時間をかけて、生物はこれほど高度に進化したというのに、こと、うんこに関してはまったくおざなりというほかはない。もっと高度な排便システムというものが発達してきてもよかったのではないか。しかしいまだかつてスタイリッシュなうんこというものを聞いたことがない。
一体これはどういう事なのだ。うんこよお前は何者なのか?
そんな深遠なる疑問に答えるべく、採算もイメージも度外視して、うんこについて書いてしまった次第だ。石原慎太郎は「言いたいことを言い、やりたいことをやって憎まれて死にたい」と言って政界を去った。この本の著者である私も、言いたい事を言い、書きたい事を書いた。その上、愛されて長生きしたいと思っている。我ながらまことに厚かましい限りだ。