このページの本文へ

編集者の眼第24回

「ソーシャル」の意味は「社交」なんだろうか?

2011年01月25日 11時01分更新

文●中野克平/Web Professional編集部

  • この記事をはてなブックマークに追加
本文印刷

 ソーシャルメディアやソーシャルゲーム、ソーシャルネットワークなど、「ソーシャル」という言葉が流行っている。ただ、「ソーシャル」に「社交」という訳語を当てた説明に出くわしたとき違和感を覚え、私の感覚が何に基づいているのか、考えてみた。

 Wikipedia英語版で「social media」を調べると、「media for social interaction」と説明されており、「social media」という場合の「social」は「social interaction」と言い換えられることがわかる。さらに「social interaction」のリンクをクリックすると「Interpersonal relationship」に転送され、「Interpersonal relationship」は「an association between two or more people」と説明されている。つまり「social media」という場合の「social」は「2人以上の交際」、「個人同士の関係」であることがわかる。「Social network」や「Social gaming」は社会学用語にたどり着くので、現在のWebで起きている「social」の特徴を、Wikipedia英語版の執筆者たちがどう理解しているのかは「social media」でしかわからなかった。

 一方、Wikipedia日本語版では「ソーシャルメディア」や「ソーシャルゲーム」の「ソーシャル」は「多数の人々が参加する双方向的な会話」、「他のユーザーとコミュニケーション」と言い換えられており、英語版よりも対話の意味合いが強いようだ。また、「ソーシャルネットワーク」は「社会的ネットワーク」に転送され、Wikipedia日本語版の執筆者たちにとっての「ソーシャル○○」の特徴が何なのかはよくわからなかった。いずれにしても、Wikipedia日本語版では単に「社交」とは説明されていない。そこで、Google日本語版で「ソーシャルネットワーク」を調べると、「社交」や「人脈」と説明する人にやっとたどり着いた。「社交」というとお付き合いを深めるイメージがあり、「人脈」というと人脈を広げるイメージがあり、交際とも対話とも違うイメージだ。「公衆」が便所にしか使わなくなっているのと同様、そもそも「社交」という言葉はダンスとか辞令にしか結びつかない言葉になっている。いまさらソーシャルを社交と訳されても説明された気がしないのが、ソーシャルを社交と言い換えるときの違和感の正体だろう。

 人付き合いにはリスクがある。特に若いうちはソリが合わない友だちに無視されることもあるし、恋人と別れれば辛い。しかし、デジタルな人付き合いには「なりすまし」というもっと怖いリスクがある。親友だと思って打ち明けた悩みを、仲違いした「親友」がプロフサイトで偽アカウントを作ってバラしてしまうかもしれない。本人名で偽のブログを開設されるかもしれない。現代の「深いつきあい」には、何かの形で報復されたときの、ネット社会独特のリスクが伴っているのだ。

 こういう時代、もっとも簡単なリスク回避は、「親友」と深く付き合わないことだ。「Yahoo! 知恵袋」や「教えて!goo」には人間関係を巡る質問が溢れているし、「2ちゃんねる」や「はてな匿名ダイアリー」で心情を吐露する人もいる。見ず知らずの人と深く付き合う人が増えているからこそ、「ソーシャル」が流行るのではないか。「社交」という昭和の解釈ではソーシャルメディアやソーシャルネットワーク、ソーシャルゲームの流行を理解しきれない。それが私の違和感につながる気がする。現実世界で間違いを犯した人への徹底的なバッシングなどを合わせて考えると、「ネットの恥はかきすて」「遠交近攻」なコミュニケーションが「ソーシャル」理解のヒントになるのではないか

この連載の記事

一覧へ
Web Professionalトップページバナー

この記事の編集者は以下の記事をオススメしています

ASCII.jp会員サービス 週刊Web Professional登録

Webディレクター江口明日香が行く