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東芝の“ものづくりDNA”の歴史を上野に見る――国立科学博物館で特別展“驚き!130年モノづくり物語”が開幕

2005年09月09日 21時02分更新

文● 編集部 佐久間康仁

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復刻された“万年時計”
復刻された“万年時計”。こちらは稼働し、2時間ごとに鐘を打つ

(株)東芝は9日、東京・上野の国立科学博物館(新館)において、同社の創業者でもある田中久重(たなかひさしげ)氏、藤岡市助(ふじおかいちすけ)氏の“ものづくり”にかける情熱を、当時の発明品の詳細や現在の最新機器との対比を展示しながら紹介する特別展“驚き!130年モノづくり物語”を開催している。これは東芝の創業130周年を記念した企画展で、会期は今日から11日までの3日間。会期中は国立科学博物館の常設展示を含めて入場無料となっている。



田中久重氏田中久重氏。自分ための発明をひけらかすのではなく、他人を楽しませるために、依頼があればそれを実現するべく努力を重ね、その結果として数々の発明につながった、とのこと

創業者の田中久重、藤岡市助両氏は、幕末から明治にかけての発明家で、田中氏は時刻(洋式表示/和式表示)だけでなく、十干十二支、七曜、二十四節季、および天体(太陽と月)の動きや月の満ち欠けなどを再現する“万年時計”の製作者としても知られる。

万年時計の構造を示す模型 動作の仕組みはビデオでも紹介されている
万年時計の構造を示す模型。天頂部に太陽と月の軌跡、中段の6面に時刻(西洋式/和式)や十干十二支などを文字盤で配置している動作の仕組みはビデオでも紹介されている
天球儀の仕組み 高度変化も正しく表現するという
天球儀の仕組み高度変化も正しく表現するという
動力源はぜんまい モーターを動力にして、各歯車の動きを示している
動力源はぜんまいで、ぜんまいが戻ろうとする直線的な動きを歯車を使って回転運動に変換しているこちらは、モーターを動力にして、各歯車の動きを示している模型
天動儀のガラスを製作する工程 当時のねじ切りの道具
天動儀のガラスを製作する工程当時のねじ切りの道具。正確なネジきりがまだ広まっておらず、手作りで正確な雄ネジ/雌ネジを作るために、田中氏自身が道具から作り出したとされている
文字盤を飾る彫金の工程 台座部分の七宝焼きの工程
文字盤を飾る彫金の工程台座部分の七宝焼きの工程
万年時計の復刻に際して明らかになった開発工程の数々

会場には、2004年3月に開始された東芝と国立科学博物館の共同プロジェクト“万年時計 復元・複製プロジェクト”によって現代に甦った、実際に稼働する万年時計(レプリカ)や、復元に当たって各種部品や動力源(ぜんまいを使用)、動力を伝達する歯車などの仕掛け、台座部の周囲を飾る七宝焼きや蒔絵(まきえ)といった装飾などが、各パーツごとに詳細な説明とともに展示されている。

“須弥山儀” 須弥山儀を上から見たところ
“須弥山儀(しゅみせんぎ)”。仏教的宇宙観である“天動説”を全国に広めるべく努めた天台宗の学僧・円通の教えを守り、弟子・環中(かんちゅう)と孫弟子の晃厳(しょうごん)が田中氏に依頼して具現化したもの須弥山儀を上から見たところ。中央の須弥山の周りを、太陽と月が時計仕掛けで回る
“視実等象儀” “弓曳童子”
“視実等象儀(しじつとうしょうぎ)”。地上からの見かけの宇宙と、実際の宇宙の関係を示すために作られた天象儀のひとつ。浄土真宗本願寺派の宗教家・佐田介石が、当時の洋風偏重に対抗して仏教の教えを広めるために天動地静説を唱え、それを子どもたちにも理解させるため、この視実等象儀を考案して、田中氏に作らせたという打って変わって、ユーモラスな仕掛け人形である、“弓曳童子(ゆみひきどうじ)”。ぜんまいを動力にして、13本の糸と12の可動部を操り、4本の矢を順番に放って的を射抜くというもの
田中久重氏が発明・製作した作品の数々
藤岡市助氏日本で始めて電球を開発した藤岡市助氏

藤岡氏は、1884年(明治17年)にトーマス・エジソンの研究室を訪ね、6年後(エジソンが電球を発明してから10年後)に、国内で初めて白熱電球を製作し、電球製造会社・白熱舎(東芝の前身)を起こした。会場には、当時の原理で製作され、実際に明かりを灯せる電球や、初期のタングステン電球の実物などが展示され、電球の歴史を眺めることができる。

藤岡氏が発明・開発した電球を模した模型 初期のタングステン電球
藤岡氏が発明・開発した電球を模した模型。ボタンを押すことで、淡いオレンジの光が浮かび上がる藤岡氏による電球の発明によって、白熱電球の進化が始まった。会場には初期のタングステン電球などが展示されている

そのほか、会場には現在の東芝が開発・製造・販売している家庭用ロボット、世界最高速というエレベーター、携帯電話にも搭載できるほどの小型燃料電池、100円玉サイズの超小型HDD、ナノ技術で開発されているフラッシュメモリーなど、最新製品が並び、当時の“ものづくり”の魂が現在にも受け継がれていることをアピールした。

本物の万年時計 世界初の日本語ワードプロセッサー
2Fの常設展のコーナーに置かれた、本物(オリジナル)の万年時計。残念ながらこちらは稼働していない現在の東芝の最新パソコン“Qosmio G20”(右)と、世界初の日本語ワードプロセッサーが並んでいる。プリンターとキーボードが組み合わさり、机1台分を占有する
東芝が1985年(昭和60年)に開発した世界初のラップトップパソコン『T1100』 1960年(昭和35年)に量産出荷が開始された日本初のカラーテレビ
東芝が1985年(昭和60年)に開発した世界初のラップトップパソコン『T1100』。といっても、ほかの製品を見た後では、ごくごく新しいものに思えてしまう42インチのハイビジョン液晶TV“beautiful face”『42LC100』と、1960年(昭和35年)に量産出荷が開始された日本初のカラーテレビ。奥行きの違いもさることながら、画面が丸くて額縁が広い!

なお、常設展の2Fコーナーの一部にも、東芝が会期中のみ出展しているという貴重な製品が閲覧できる。昭和の“三種の神器”と呼ばれた冷蔵庫/洗濯機/カラーテレビをはじめ、世界で最初の日本語ワードプロセッサー(机と一体化した大型のもの)やラップトップコンピューターなどが、現代の最新製品と比較できるように並べられ、歴史の隔たりを強烈に実感できる。

日本初の自動式炊飯器 日本初の電気冷蔵庫(当時は呼び方では“冷蔵器”) 日本発の電気洗濯機『Solar』
日本初の自動式炊飯器(左)は1955年(昭和30年)に登場した。タイマーとの組み合わせで家事の軽減に役立つとして、最盛期には月産15万台を超えたという熱交換器が頭の上に飛び出した、独特の形状(モニタトップ型)の日本初の電気冷蔵庫(当時は呼び方では“冷蔵器”)。1930年(昭和5年)に開発された。容積は120リットルで、重さは157kg(鉄板で作られているため)日本発の電気洗濯機『Solar』も、1930年に登場した。選択時間は脱水までで20~30分程度。容量は2.5kg。中央に攪拌棒があり、上部に脱水用のゴムローラーが据え付けられている

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