自然という巨大なシステムを社会に接続する 参加型プラットフォームが生み出す生物多様性の保全
2026年03月07日 09時00分更新
いきものコレクションアプリ「Biome」が変えたデータ収集の構造
生態学の研究は正確さを追求する。しかし、正確な知見が社会の行動変容につながるとは限らない。自然の危機が叫ばれ続ける一方で、生物多様性の損失は止まらない。さらに、生物多様性の状態を正確に把握するためには現地データ、いわゆるグランドトゥルースが不可欠であり、その収集には膨大な時間とコストがかかる。研究者だけで広域の自然を継続的にモニタリングすることには限界がある。
そこで藤木氏が着目したのが、市民参加によるデータ収集だった。世界に存在する数十億台規模のスマートフォンが観測装置として機能すれば、生物多様性のデータ収集は飛躍的に拡大する。研究者が限られた人数で集めるのではなく、社会全体で自然を観測する仕組みを作る。「どう測るか」から「どうすれば社会が動くか」。その発想から生まれたのが、いきものコレクションアプリ「Biome」だ。
Biomeでは、ユーザーがスマートフォンで撮影した生き物の写真をAIが判定し、観察情報を図鑑として蓄積、地図上で可視化する。AI判定では画像だけでなく、観察された場所や季節などの生態学的情報も組み合わせることで精度を高めている。また、コレクション機能やクエスト機能などを取り入れることで、生き物を探す行為そのものをアウトドア体験として楽しめるアプリだ。
人を巻き込むためには楽しさが重要だと語る藤木氏は、環境保全を前面に出すと参加者は限られてしまうが、楽しみながら生き物を見つける体験を入り口にすれば、多くの人が自然と関わるようになり、その結果としてデータが集まり、環境保全に役立つ仕組みが成立すると語った。
現在Biomeは120万ダウンロードを突破し、日本中から1000万件以上の生物観察データが蓄積され、発見種数は5万種を超え、データは日々更新されている。現在日本にある学術的オカレンスデータの量を超えるデータがBiomeによって蓄積されてきていると推察される。こうして集まったデータは、環境条件や衛星データと組み合わせ、最小100m解像度での生息適地推定も行われている。複数モデルによるアンサンブル推定やバイアス補正など、さまざまな研究機関と連携しながら分析ノウハウを蓄積し続けている。
これは、Biomeが単なるアプリではないということを示している。データが継続的に流れ込み、モデルが改善され続ける。この継続性がプラットフォームであり、これまで研究室内で完結していたモデルが、社会規模で動き始め、自然資本がデジタル基盤として蓄積され始めたといえる。自然を守るという理念だけでは社会は動かないが、数値として、地図として、評価可能なデータが存在すれば、企業や行政の意思決定の中に組み込むことができる。自然資本の情報を社会の基盤として活用することができることをBiomeは証明している。
自然を社会のインフラの一部として再定義するBiome
Biomeは単なるアプリではなく、生物多様性の情報を社会の基盤として活用する「自然資本のデジタルプラットフォーム」だ。社会の経済活動や土地利用、消費行動は自然環境に大きな影響を与えているが、その影響はこれまで可視化されることがほとんどなかった。企業の意思決定は売上やコスト、リスクといった指標を基に行われることが多く、生態系への影響や種の減少といった情報が評価軸の中に組み込まれていない。
Biomeによって整備されたデータは研究や保全活動だけでなく、企業や行政の取り組みにも活用され始めている。現在、自治体や官公庁との取引は約140件、企業との取引も900件を超え、企業の生物多様性保全やネイチャーポジティブの取り組みを支援するビジネスとしても展開されている。
また、大学との共同研究も進められており、複数の大学と連携しながら生物分布モデルの研究開発が行われている。市民が記録した観察データが、研究や政策、企業活動へとつながる循環が生まれつつあり、産官学民が同じデータ基盤の上で関わる新しい保全プロジェクトの形が生まれている。
さらにバイオームは、日本国内にとどまらず海外展開も進めている。インドネシアやガーナ、フィリピン、ブラジルなど各国の研究機関や団体と連携しながら、生物データの収集と分析の取り組みを広げており、将来的には世界規模の生物多様性データプラットフォームの構築を目指しているという。
環境保全はこれまでボランティアや公共政策として語られることが多かったが、ビジネスとして成立するモデルが生まれれば、その仕組みは広く社会に広がる可能性がある。藤木氏は研究者として培ってきた知識を基盤に、起業という手段を選び、生物多様性保全を社会の仕組みとして、参加型プラットフォームを実装する挑戦を続けている。
最後に藤木氏は、「市民を巻き込むプラットフォームに非常に強い力と可能性を感じています。皆さんも各々の課題に向き合っていると思いますが、世の中に残されている様々な課題を解決に向かわせられるよう、私自身も頑張りますし、皆様もぜひためらわずにチャレンジしていってくれれば嬉しいです」と語り、講演は終了した。

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