東京駅丸の内駅舎の内部に息づく東京ステーションホテル。この象徴的な空間を支える人々の思想と実践を、丁寧な聞き書きによって掘り下げたのが、上阪徹『東京ステーションホテル 100年先のおもてなしへ』(河出書房新社)です。創業110周年という節目に合わせ刊行された本書は、創業時から現代に至るまでの長い歴史を背景にしつつ、ホテルの現在そして未来を支える“人”に光を当てています。
重要文化財である赤レンガが象徴的な東京駅丸の内駅舎の保存・復原工事を経て2012年に新たな姿で再開業して以降、国内外の賞をいくつも獲得し、評価を確立してきたホテルですが、その根底には「Our Promise」を軸としたスタッフ全員の共通理念があり、「装い・設(しつら)え・振舞い」というおもてなし三原則を徹底することで、空間とサービスに一貫した世界観を生み出しています。
本書では、新人スタッフから総支配人まで計11名の「story」が収められ、立場の異なる人々が同じ方向を見つめながらホテルをつくりあげていることが、言葉の積み重ねによって浮かび上がります。ウエディング、宿泊、レストラン、ゲストリレーションズ、ハウスキーピング──それぞれの部門が語る現場の判断や哲学は、単に“良いサービス”を提供するというレベルを超え、「このホテルが100年先まで続くためには何を残し、何を更新するべきか」という視点で語られています。また、「サービスプロフィットチェーン(従業員満足が顧客満足へつながるという理論)」をホテル運営の基盤に据えている点も興味深く、スタッフ自身が誇りをもって働ける環境づくりと、それに裏打ちされた上質な体験がどのように繋がっていくのかが、本書では具体的なエピソードとして示されます。
さらに、東京ステーションホテルならではの魅力として、本書で語られる空間描写は特筆すべきものです。丸の内駅舎のドーム内部を望む客室、長い時を刻んだレンガ壁、廊下に配置された100点を超えるアートワーク、柔らかく灯る照明、ラウンジに広がる静謐な空気──これらが単なる“建築”や“内装”ではなく、スタッフの設えの思想と融合することで、滞在そのものが文化体験のように感じられる空間となっています。本書で語られるさまざまなエピソードは、ホテルが“人生の節目や記憶を預ける場所”として機能していることを表しています。
本書で印象的なのは、東京ステーションホテルが「伝統を守るホテル」であると同時に、「未来の価値を創り出すホテル」であるという点です。東京駅丸の内駅舎という歴史的意匠を継承しながら、今日的なホスピタリティ思想を重ね合わせることで、新しい“時間のレイヤー”が生まれていく。その営みを、インタビューという形で可視化した本書は、ホテルのファンはもちろん、建築、デザイン、接客、都市文化に関心を寄せる読者にとって、読み応えのある内容となっています。
丸の内という街にとって、東京ステーションホテルは単なる宿泊施設ではなく、都市の玄関口としての象徴的存在です。この本を読むと、赤レンガ駅舎の外観だけでなく、その内部に広がる細やかな“美”までを歩きながら感じ取れるようになります。長い時間軸に支えられたホテルの物語は、街をめぐる体験に奥行きを与え、東京という都市の文化的深度を一段と引き上げてくれるでしょう。
東京ステーションホテル 100年先のおもてなしへ
著者:上阪徹
出版社:河出書房新社
価格:¥1,870(税込)
ISBN:978-4-309-25496-8
書誌URL:https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309254968/
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