“アイドル界きってのモータースポーツ好き”として知られる日向坂46の富田鈴花さん。F1好きな母親が鈴鹿サーキットを由来にして鈴花(すずか)と名付けられたことがきっかけで、2022年から全日本スーパーフォーミュラ選手権の情報番組でMCを務めるなど、モータースポーツの仕事に関わり始めました。
今年からは「ABEMAモータースポーツアンバサダー」に就任し、おもにスーパーフォーミュラやFIA世界ラリー選手権(WRC)の中継に出演しているほか、ABEMAのスーパーフォーミュラ情報番組である「サーキットで会いましょう」のMCを務めています。
そこから自身もモータースポーツの魅力にどっぷりとハマり、PlayStation用ゲーム「グランツーリスモ7」とハンドルコントローラー&ドライビングシート一式を購入したほか、プライベートでもテレビでレース観戦するほど。
さらに日向坂46の公式YouTubeチャンネル「日向坂ちゃんねる」でマイカー選びの動画を公開。約半年にわたって様々な車を見て回り、最終的にスズキ・ジムニーシエラを購入。こちらも大きな話題となりました。
そんな富田さんですが、6月21~23日にYouTubeで配信された「日向坂46時間TV」の個人企画コーナーで、初めてのサーキット走行に挑戦したとのことで……。ASCII.jp自動車部としてはそんなクルマガチ勢の富田さんが気になって仕方ありません。インタビューを申し込んだところ、忙しい合間を縫ってたくさんお話を聞かせてくれたので、今回と次回の前後編に分けてお届けします。
自分の個性を押し出せる企画がサーキット走行だった
「(日向坂46には)30人近くメンバーがいます。その中で自分が持っている個性として、一番強く押し出せる企画がコレでした。こういう時でないとサーキットを借りて走ることなんてできないと思うので、(番組の)お力を貸していただき、もうやるなら盛大にやらせてください! とお願いして、かなえてもらったんです」と、サーキット走行の企画を選んだ理由について語ってくれた富田さん。
今回は埼玉県の本庄サーキットを貸し切って、スーパーフォーミュラで2021年・2022年にチャンピオンを獲得したTEAM MUGENの野尻智紀選手の協力のもと、ホンダ「N-ONE」のワンメイクレース車両を用意。この車体は2022年に野尻選手がN-ONE OWNER'S CUPにスポット参戦した時のものです。
野尻選手の指導のもと、サーキット走行で必要なドライビングスキルのレッスンを受けて、最後は1人でタイムアタックに挑戦。目標タイムは1分7秒台(つまり1分7秒999までならOK)だったのですが、それを上回る1分6秒645を叩き出して、見事クリア。最後は愛車のジムニーシエラでサーキットを走るシーンも紹介されてしました。
富田さん母はマンセル派!?
意外なエピソードに取材陣がザワつく
サーキット走行ということで、スーパーフォーミュラの中継で着用しているレーシングスーツを用意したほか、ヘルメットも持参してきた富田さん。これは、日向坂46の冠番組「日向坂で会いましょう」の成人企画でレーシングスーツが着たいとリクエストした際に、番組スタッフが衣装と一緒に用意してくれたヘルメットとのこと。詳細は富田さんのブログを参照(→富田鈴花公式ブログ)
サーキット走行の映像をみていると、ヘルメット上部の赤ラインの曲線がナイジェル・マンセルのヘルメットに似ていますね(青色がないのは承知の上)と、こちらの感想を話したところ……その名前に反応した富田さん!
「ちょうど母がF1に一番ハマっていた時期で、アイルトン・セナ選手とナイジェル・マンセル選手がバチバチに競っていた頃だったと聞いています。あとは中嶋 悟選手とか有名どころの選手とかは好きだったそうです。マンセル選手の実績とかは勉強不足で存じ上げないのですが、名前はよく聞いていたので知ってるF1ドライバーです」
どうやら、富田さんのお母様は当時マンセル派だったとかなかったとか……。アイドルの取材でマンセルの名前が出てくるとは思わず、取材陣一同が目を丸くした瞬間でした。
初めてのサーキット走行は
「いつもの悩みが消えて、走ることに集中した時間でした!」
坂道シリーズのアイドルがサーキットでレース車両を運転するというのは、おそらく前例がないこと。初めてのサーキットを走った感想は?
「普段思っていることとか悩みとか、色々ごちゃごちゃ考えていることがすべて消えて、もう“無の空間”みたいな感じでしたが、この時間がすごく楽しかったです! 走っていくうちに“ここをこうしたら、もっと速くなるんだろうなぁ”というのが掴めたときは、うれしかったです!」と富田さん。
初めてのサーキット走行は新たな発見の連続で、難しく感じることも多々あったそうです。
「事前にコース図は見ておいたのですが、上から俯瞰で見るのと、実際に走ってみるのとでは全然違うので……やっぱり走らないと覚えられないですね。本当に最初のコーナーを曲がって、立ち上がる時のアクセル踏むタイミングが感覚でしかなかったなと思っていて……(あのタイミングが)合っているのか分からない状態でした」
「あとはコーナーの縁石もギリギリを攻めて(縁石に)乗るくらいで走っていたつもりが、実際には全然離れていたり、逆に、半分くらい乗ったかな? と思っていたら、全部乗っちゃっていたりしていました。攻められるところはもっとあったけど、攻め過ぎちゃうと行きすぎるので……、その絶妙なラインを見極めるのが大変で、これは毎日走っていないと分からない感覚なんだろうな、と思いました」
最後のタイムアタックでは「ものすごく不安になっているのが目に出ていて(苦笑)。それこそ1周目は、けっこう人の顔色をうかがって(ホームストレートに)帰ってきた時も、野尻選手どんな表情で見ていらっしゃるのかと気にしながら走っていましたけど、2周目に入ってから、もっとこうした方が良いかも! というのが、感覚で分かっていったのが快感でした」と富田さん。
この時はレース仕様の“4点式シートベルト”を装着して走行し「体の固定のされ方がすごくて、上半身が全然動かないんです!」と、初めての経験に驚きの連続だったようです。
ただ、富田さん自身はサーキット走行が想像以上に大変だった様子。この日は、富田さんのお母様と一緒にジムニーシエラに乗ってきたそうですが、帰り道は疲れがどっと出たそうです。
「帰りは助手席で爆睡でした(苦笑)。私は助手席で寝るのがすごく嫌で、母が運転してくれる時もナビとか音楽とかしっかりサポートしたいタイプなんです。でも、この日だけはもう無理……、となりました」と富田さん。
「これが本当は難しいんだぞ! 大変なんだぞ! というのを、もっと細かく伝えられたらよかったなと思いました。(映像を見ていると)ただただテンパっているだけになっていましたし。そんなにたくさん走ったわけではないのに、こんなに疲れるとは思わなかったです」と苦笑いを見せていました。