2024年4月11日、サイボウズは令和6年能登半島地震(以下、能登半島震災)における災害支援をテーマとしたCybozu Media Meetupを開催した。登壇したのは、自らも奥能登で被災したサイボウズの野水克也氏と、サイボウズ災害支援チームリーダーの柴田哲史氏。被災者と支援者の立場からの振り返りで、災害支援の生々しい課題が浮き彫りになった。
甚大な被害をもたらした能登半島地震とサイボウズ
元旦に能登半島全土を襲った能登半島地震。千葉市から八王子市間に相当する約70km範囲全域で震度6強以上の揺れとなり、4月5日時点で人的被害1545名(死者245名、負傷者1300名)、住宅被害11万3990棟という甚大な被害をもたらしている(参照:総務省消防庁災害情報一覧)。
パートナーとともにこの能登半島地震のIT支援を行なったサイボウズ。サイボウズは、災害復旧・復興の活動に特化したライセンス、約20社の災害対策支援パートナー、サイボウズ社員40名から成るチームから構成される「災害支援プログラム」を従来から提供しており、行政や民間からのシステム構築支援要請を受け、パートナーとのマッチング調整やIT支援のサポートを行なっている(関連記事:kintoneはなぜ災害現場で役立つのか? サイボウズが語る災害支援の10年史)。2016年の熊本地震の支援を元に生まれた災害支援プログラムは、2021年の静岡県熱海市の土砂災害などでも実績を積んできた。ただ、今までは社会福祉協議会からの依頼が多かったが、今回は政府からの依頼も舞い込んできたという。
今回のMedia Meetupではサイボウズの災害対策チームに所属しつつ、自身も奥能登の自宅で被災した野水克也氏が登壇。時系列で能登半島地震を振り返り、震災の実態と支援について説明を行なった。
自治体の職員も被災 住民自らが避難所を運営
「災害支援はいっぱいやってきたけど、自分が被災するというのは初めて」と語るサイボウズの野水氏。2024年1月1日16時10分に起こった本震を、震源地のほぼど真ん中である奥能登輪島の自宅で体験することになる。「2メートル近い横揺れが1分間にわたって続き、だんだん家が壊れていった。1分後にはインフラがすべて壊れていた」と野水氏は振り返る。
古民家をリノベした野水氏の自宅は全壊したが、自宅の周辺の住宅も、鉄筋も含めてほぼ全壊・倒壊した。辺り一面はがれきの山となり、まずは近所の人たちと安否確認を行なった。ただ、道路は寸断しており、一体は陸の孤島へ。道路の下の水道管も破壊されたため、水も出なくなっていた。「公民館が避難所として指定されていたが、役場の人も被災していたし、道路も寸断されていたので、公民館にたどり着けなかった」と語る野水氏。そのため、燃料や水、食料をもちよったり、発電機で電灯を確保したり、避難所は住民同士が自ら設営したという。
通信は破壊を免れた基地局が能登空港の近くにあり、バッテリで動ける時間だけ使えた。「粉ミルクの備蓄がなかったので、5km離れた避難所にある粉ミルクを持ってきてもらった」と野水氏は振り返る。ただ、難視聴地域だったため、ラジオはほぼ使えず、震災全体の状況はなかなか把握できなかったという。
3日目になると、道路も復旧し始めたが、自衛隊の車両も輪島市内への物資調達がメインだったため、さすがに食料と水が厳しくなってきた。そこで野水氏は実家のある金沢市への避難を決め、被災地の状況を把握。自身が理事を務める「ほくりくみらい基金」で募った緊急助成基金を災害支援に活かす活動を始めつつ、4日目に職場に復帰し、復興支援を本格化させることにする。
しかし、情報収集すればするほど状況が絶望的なことがわかる。水道は当分復旧せず、奥能登までの道路も開通しない。かろうじて通じている道路も、片側通行や陥没箇所が多いため、渋滞が慢性的に発生し、支援物資は避難所までに届かない。「避難所が乱立していたが、情報が共有されていない。能登まで支援物資は来ていたが、避難所まで届かない状況は続いていた」(野水氏)という歯がゆい状態。道路状況が悪く、宿泊場所やトイレが確保できないという問題でボランティアの受け入れも難しく、民間での支援も滞っていたという。
3日目に大臣から電話 自衛隊との連携で現地情報が上がるように
一方、震災発生時、新潟の実家にいた柴田氏は、震災直後から情報収集に努めていたが、3日目になって、内閣府特命担当の自見英子大臣から電話があり、「石川県庁の災害対策本部に行ってほしい」という依頼を受ける。自見大臣とはコロナ感染対策担当のときに、柴田氏がIT支援をしたという縁があり、直接の連絡が来たという。
柴田氏は、震災4日目に石川県庁に赴き、西垣淳子 副知事や県の災害対策本部に課題をヒアリング。災害対策本部と自衛隊と連携し、情報収集できていなかった避難所や孤立集落の見える化にチャレンジすることになる。具体的にはkintoneで情報収集用のアプリを構築し、現場に赴く自衛隊員にデータ入力してもらうことに。5日目には、こうした取り組みの方針を関係者に共有しつつ、アプリの作成やデバイスの手配を進めることにした。
震災から1週間は安否確認が続いていたが、野水氏はサイボウズの災害支援プログラムを本格稼働。パートナーに向け支援依頼を開始し、kintoneを用いて、パートナーと支援依頼のマッチング体制を構築。ほくりくみらい基金の助成採択を開始し、炊き出しの準備や運営のほか、受験期を迎える子どもたちの学習指導や見守りの支援に宛てた。また民間支援団体のミーティングを開始し、必要な支援物資の調達を行なうようにした。
柴田氏は、ソフトバンクから調達したスマホとタブレットを半日かけてキッティングし、夜には巡回する自衛隊員にレクチャー。7日目から自衛隊との連携システムが稼働したことで、避難所の状況や支援物資が把握できるようになり、病人などをヘリコプターで運搬することも可能にあった。
10日目以降は民間からのシステム構築依頼が一気に増えた。これは広域災害のため、自治体が機能しなかったことが大きく、避難所の運営や名簿管理なども民間でやらなければならなかったからだという。そのため現地にいる野水氏が、全国にいる災害支援パートナー支援チームと連携しながら、炊き出しボランティアの受け入れ、自治体の特別被災者管理、福祉施設と支援団体、医療チームでの情報共有、避難先案内などのシステムを構築していったという。
断水状態が続く中、復旧・復興を支える人が戻れない
その後も、現地のニーズと災害支援の状況は刻一刻と変わっていく。たとえば、柴田氏が直面したのは、いわゆる「1.5次避難所」での情報共有。1.5次避難所は、ホテルなどの2次避難所に行くまでの短期滞在を想定した避難所だが、想定以上に病気や要介護の人が多く、コロナやインフルエンザが満載していたという。とはいえ、各団体は避難者の名簿をバラバラに管理しており、しかも手書きやExcelでの管理となっており、人数や稼働量の把握がすでに人力では不可能になっていたという。
1月13日には石川県が復旧/復興を行なうためのデータ統合戦略を発表。自衛隊と市町が集めた避難所情報、DMATの医療情報が石川県の総合防災支援システム「EYE-BOUSAI」に集約されたことで、正確な情報に基づく政策判断が可能になった。「ここに至るまではとても大変で、データ連携のためのミーティングが毎朝のように続いてましたけど、ようやく外に向けて発表できるようになった」(柴田氏)。
2週間も経つと命の危険はいったん去るが、民間支援では「お風呂に全然入れない」「避難所でプライバシーがない」「食事の栄養バランスが偏る」などQoLの課題解決が重要になる。3週間を過ぎると、避難生活の長期化に伴い、若者が疲弊して二次避難所に移り始めるため、避難所に残るのが高齢者だけになる。こうなると「トイレの汚物が積み上がる」「毎日同じ人が炊き出しにかり出される」「自宅や金沢に戻ってしまい所在地がわからない」「災害に便乗した犯罪が起きる」などの問題が起こってくるという。
1.5ヶ月が過ぎても、電気はほぼ復旧したが、断水状況は続いたまま。水道のようなインフラがない状況で民間支援も限界を迎え、資金的にも厳しくなる。とはいえ、自治体は情報収集で手一杯で、支援には手が出せず。応援職員も来るのだが、1週間で入れ替わると、移動とレクチャーで実質稼働は3日になってしまうという課題があった。
そして3ヶ月を経た現在。道路の応急復旧はほぼ完了したが、倒れた建物はほぼそのままで、水道の復旧も3月時点でまだ3割(4月上旬で5割)。野水氏は、「3月末に自衛隊や応援職員がだいたい撤収し、いまは能登も人が少ない状態。普通は地元で復旧の動きが始まるのだが、水道がまだ3割しか復旧していないので、人が戻ってこられない。物資は回っているが、その先を進める人材がいない状態」と語る。避難所の閉鎖も進んでいるが、宿泊場所が確保できず、支援する人材がいないのが喫緊の課題だという。
災害時、改めて問われる柔軟なシステムと仕組みの重要さ
続いて、今回の災害支援を通じての学び。野水氏は、被災者対応に当る市町の自治体職員が被災すると、その役割を民間で担う必要がある点を指摘。「たとえば防災訓練は現地に行けることが前提だが、今回のように道路が寸断され、5km進むのに2時間かかるといった状況だと、あまり意味をなさない」と語る。また、医療支援はDMATが担うようになっているが、福祉支援はまだまだという状況があるという。
さらに水道が全然復旧しない中、長期的な避難生活が困難というのも課題だ。「水がないと炊事や洗濯、風呂などができず、特に女性や子どもがいる世帯は、遠隔地に避難してしまう。残った高齢者はITリテラシが高くないため、支援の難易度が上がる」と語る。民間支援に関しては、宿泊施設がなくて、ボランティアが活動できないという課題が大きかった。クレジットカード募金は1ヶ月後になってしまうため、資金がショートしかかったという課題もあった。
続いて柴田氏からは災害対策本部や政府連携支援で見えた知見を披露する。まずは野水氏と同じく市町の自治体職員も被災したため、情報が上がってこないという課題。「政府が作っている避難所、市町村、都道府県、国という情報連携は、どこか1つが機能不全になると、機能しない。どこが壊れても動くような仕組みが必要」と柴田氏は指摘する。その意味では、自衛隊との連携も「奇跡的」で、大臣の機転、副知事の決断力、自衛隊リーダーのリテラシがなければ実現しなかったという。
また、災害時は平時と異なり、いろいろなリクエストが現場から上がり、刻一刻と状況が変わるため、システムに関しても完璧を求めるのではなく、スピードと柔軟性を重視しべきと提言。さらに災害時こそ、選択と集中が重要。リクエストにすべてに応えると結局中途半端になってしまうため、「今ヤバいこと」に全力で対応しなければならないという。
最後、柴田氏は「紙の資料を転記したり、1日中電話対応したり、アナログなことも多かった。ITの力を活用して、本来やるべき支援に集中すべき」とコメント。野水氏は、「自治体がDX化していない。データがいくら連携されても、使う人にリテラシがないと困る」に苦言を呈す。さらに多くの災害支援がボランティアで成り立っている点を課題として上げ、資金面での援助がスムーズに進む体制作りが必要だと提言した。