レーザーを捨て、インクジェットに一本化するエプソン
セイコーエプソン(以下エプソン)は、2026年までに、新規で販売するオフィス向けプリンタを、すべてインクジェット方式にすると発表した。現在、販売しているレーザープリンタは、2026年を目標に販売を終了する。販売終了後も、レーザープリンタ向けの消耗品および保守部品については、引き続き供給することになる。
エプソンは、コンシューマ向けプリンタにおいてはインクジェットに一本化してきたが、オフィス向けプリンタは、オフィス市場で主流となっているレーザープリンタと、独自のマイクロピエゾテクノロジーを活用したインクジェットプリンタの二刀流でラインアップを揃えてきた。
だが、2008年に、エプソンは内製レーザープリンタの生産を終了。それ以来、レーザープリンタのエンジンは他社から調達する形で事業を継続。その一方で、2011年には、オフィス向けインクジェットプリンタを本格展開し、開発リソースをインクジェットプリンタに集中させながら、徐々にレーザープリンタの販売比率を縮小してきた経緯がある。
PrecisionCoreとは?
なかでも、オフィス向けインクジェットプリンタを加速するきっかけになったのが、2013年に開発したPrecisionCore(プレシジョンコア)である。
PrecisionCoreは、商業向けの大判プリンタに搭載されていたエプソン独自の薄膜ピエゾテクノロジーを進化させ、半導体製造技術を活用することで高密度化を実現。高精度化と小型化を突き詰めたインクジェットプリントヘッド技術だ。その後、改良を加えることで、プリントヘッドの基本モジュールとしての性能を向上させ、耐久性や低コスト化を実現してきた。
オフィス向けインクジェットプリンタの参入当初は、高速性、高画質、耐久性において、レーザープリンタの方が優れているという評価がなかなか覆らず、十分な性能を持つオフィス向けインクジェットプリンタが提供できていなかったが、PrecisionCoreは、その状況が一変することができる「ゲームチェンジャー」となり、2013年には、PrecisionCore を搭載した低速、小型の26 ppm機を発売。2014年からはオフィス向けインクジェットプリンタをフルラインアップ。その主要な製品のほとんどにPrecisionCoreを採用した。
2017年には、ラインヘッド化したPrecisionCoreを搭載することで、A3モデル、100枚機という高速機を製品化。用紙搬送技術の高度化や、300Wという超消費電力を達成することで、インクジェットによる新たなオフィス向け高速複合機を提案し、オフィスのセンターマシンの用途にも、インクジェットプリンタの可能性を示してみせた。
実際、2013年にPrecisionCoreを発表して以降、「インクジェットプリンタによって、オフィスプリンティング市場を破壊する」といった宣言が、同社幹部の間から積極的に発信されるようになり、長期ビジョンや中期経営計画でも、オフィス向けプリンタ市場において、レーザーからインクジェットへの置き換えを、中長期的の戦略として明確に打ち出してきた。
インクジェットでオフィスから世の中を変えていく
エプソンにしてみれば、後追いとなるレーザープリンタではエプソンの強みが発揮できないが、独自技術のインクジェットであれば、市場をリードするポジションに転換できるという読みがあったといえる。
セイコーエプソンの小川社長は、「エプソンは、インクジェットでオフィスから世の中を変えていくという構想を持っている。その基本方針からすれば、レーザープリンタを止めるのは必然である」と語る。
これは、2008年にレーザープリンタの内製を終了してから約14年、2013年にPrecisionCoreを発表してから約9年という長年の取り組みによって、レーザープリンタの販売終了をいよいよ発表。レーザープリンタの内製を終了してから、2026年にインクジェットプリンタの完全一本化まで、18年の歳月を経て、たどり着いた長い取り組みであり、エプソンのプリンタ事業にとっては大きな節目になるのだ。
なぜオフィス向けプリンタをインクジェットに一本化する方針か
エプソンは、なぜ、このタイミングで、オフィス向けプリンタをインクジェットに一本化する方針を明確にしたのだろうか。PrecisionCoreによるインクジェット技術の進化や、オフィス利用に耐えうる高速紙送り技術や耐久性技術の蓄積といった点は見逃せないが、もうひとつ重要なポイントがある。それは、社会における環境意識の高まりである。
インクジェットプリンタはそこに大きなメリットを打ち出すことができる。
レーザープリンタは、予熱をして、トナーを紙に定着させるために熱を使用する。また、帯電、露光、現像、転写、定着といった複雑な印刷プロセスを経ており、それらにおいても電力を使用する。それに対して、エプソンのインクジェットプリンタは、インク吐出に熱を使わないHeat-Free Technologyを採用している。ヘッド蓄熱による待ち時間が発生しないため、プリンタの消費電力の効率化と初期プリントまでの時間短縮にもつながるほか、ヘッドの劣化が少ないといったメリットがある。
また、レーザープリンタでは、印刷プロセスが複雑なために、結果として部品が多くなり、メンテナンスの工数も増える。これはコストの上昇だけでなく、メンテナンス作業のために発生する移動や、保守部品の生産、在庫時に発生する電力消費もCO2排出量を増加させることにもつながるとエプソンでは指摘する。
エプソンのHeat-Free Technologyでは、インク吐出だけで印刷が終了するシンプルな仕組みであり、交換を必要とするパーツが少なく、メンテナンスも簡素化できることは、環境面でもメリットがあるというわけだ。
エプソン社内での実績では、2014年にはレーザープリンタを中心に利用していたところ、月間の消費電力は1万6000kWに達していたが、インクジェットプリンタへの置き換えを推進した結果、2019年には3000kW弱にまで削減することに成功したという。消費電力量の削減率は82%に達する。また、消耗品が少なくて済み、消耗品の廃棄量は72%の削減率に達したという。
セイコーエプソンの小川社長は、「オフィスへのインクジェットプリンタの提案は、地球環境に貢献していという強い思いで取り組んでいる」と語る。
また、エプソン販売の鈴村文徳社長は、「社内のプリンタをインクジェットプリンタに置きかえることは、誰でも、簡単に、すぐにでき、ハードルが低い環境活動である。過度な投資が不要で、しかも、生産性を高めることもでき、環境負荷の削減と生産性向上を同時に達成できる」と語る。
政府では2030年の温室効果ガス削減目標として、2013年度比で46%減を打ち出しているが、エプソンの試算では、オフィスで使用しているレーザープリンタを、エプソンのインクジェットプリンタに変更するだけで、CO2排出量を47%以上削減できるという。この目標達成においてもインクジェットへの置き換えは有効な手段だといえるだろう。
フィスのセンターマシンの領域にも、インクジェットプリンタで切り込んでいく
オフィス向けインクジェットプリンタは、部門やグルーでの利用、中小企業やSOHOでの提案が進められてきたが、エプソンは、リコーやキヤノン、富士フイルムなどの複合機が圧倒的なシェアを持つオフィスのセンターマシンの領域にも、インクジェットプリンタで切り込んでいく姿勢をみせる。
これまでは、低速機と高速機を市場投入していたが、新たに中速機と言われるA3モデルの40~60ppmの製品として、「LM-C4000」「LM-C5000」「LM-C6000」の3機種を投入すると発表した。出荷開始は2023年2月だ。
ここは、複合機のボリュームゾーンであり、A3カラーレーザープリンタの出荷台数の56%を占め、金額ベースでは71%も占めている。まさに、複合機の主戦場に、エプソンはインクジェットプリンタを、初めて投入してきたのだ。
また、2014年から開始した「エプソンのスマートチャージ」も、8年を経過し、定着しはじめている点も見逃せない。プリントやコピーの使用状況に合わせてプランを選択したり、機種を選ぶことができる提案であり、複合機からの置き換え提案にも効果を発揮することになる。
今回の製品に発表にあわせて、エプソン販売の鈴村社長は、「A3複合機市場において、2025年に5%のシェア獲得を目指す」と宣言した。これまでにも、将来的な目標として5%という数字に言及したことがあったが、目標時期を明確に示したのは今回が初めてだ。いよいよエプソンが本腰を入れたことが、ここからもわかる。
インクジェット技術は進化し、環境という追い風も吹いている。
だが、課題もある。オフィスのセンターマンシとして使える画質や保存性、機器の信頼性や耐久性には、まだ多くの人が不安を持っている。これは、インクジェットプリンタに定着してしまった悪いイメージであり、それをどう払拭できるかが大きな鍵になる。
そして、複合機を扱っているディーラーに、インクジェットプリンタによるビジネスのメリットをいかに訴求できるかといった課題もある。ディーラーがそれを理解すれば状況は一変する可能性がある。
取り巻く環境が大きく変化するなかで、エプソンのインクジェットプリンタによるオフィスへの挑戦はいよいよ本番を迎える。
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