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国内ヘルステックスタートアップのアンターとコネクテッド・インダストリーズが語る

「起業」は医師の新たなキャリアになりうるか? AWSの支援を受けた2社の場合

2021年07月02日 11時00分更新

文● 五味明子 編集●大谷イビサ

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アナログすぎる病児保育施設をデジタル化する「あずかるこちゃん」

 病児保育ネット予約サービス「あずかるこちゃん」を運営するコネクテッド・インダストリーズ CEOの園田氏は、現役の産婦人科医であり、厚生労働省が取り組む母子の健康水準を向上させるプロジェクト「健やか親子21」の幹事も務めている。また、自民党内で議論が進行中の「こども庁」の制度設計など、専門家として子育て関連の政策に関わる機会も多い。

 「あずかるこちゃん」は子育て中の親なら誰もが直面する"子供の急病"にフォーカスしたサービスだ。子供が風邪を引いたり熱を出したりすると、保育園では子供を預かってもらえなくなるが、病児保育施設はそうした病児の一時預かり施設として保育士や看護師などの専門家がケアと保育を行なう。国内には2000ほどの病児保育施設があり、その約半分は保育園に併設されている。

 この病児保育施設の予約をスマホひとつで24時間いつでもWebから申し込めるサービスが「あずかるこちゃん」だ。施設の予約だけでなく、居住地域付近にある施設の検索、予約のキャンセル、書類手続きのオンライン化、施設とのコミュニケーション機能(今夏リリース予定)などを備えており、まさに園田氏が掲げる「病児保育を、てのひらに。」を地で行くサービスである。システム(アプリ)の利用は無料で何度でも可能だ。

 働く親にとって本来、緊急時のありがたい存在であるはずの病児保育施設だが、実際の利用率はわずか30%にとどまっている。その最大の理由は「使いづらさ」だ。利用にあたっては紙書類の事前登録が必要なことに加え、子供が発症してから施設を探して電話予約し、紙の問診票を記入してからようやく入室→保育という流れになる。園田氏によれば「いまだに95%が電話での予約」というアナログな状態だ。このアナログな使いづらさが子育て中の親を病児保育施設の利用から遠ざけ、結果として多くの場合、母親が仕事を休まざるを得なくなる。

 ある調査によれば1歳児の場合、年間平均12日も保育園を休むというが、もしそのたびに母親が仕事を休むことになれば、同僚や上司に業務のしわ寄せがいき、重要な仕事を任せられないという事態になりやすい。結果、母親の離職リスクが増大し、キャリア形成に大きな支障となる。それは企業や社会にとっても人材育成や女性の社会参画の失敗を意味することとなり、誰にとってもつらい状況でしかない。また、施設の利用率が低いことは経営側にとってもマイナス要因となる。

東京女子医大の調査によれば、年間平均で1歳児は12日、5歳児でも5日以上は保育園を病欠するという

 予約の電話がつらい、紙の書類がつらい、印刷がつらい - そうしたつらさをデジタル化でなくすだけで、病児保育を取り巻く環境は大きく変わるはずだ。2020年4月にローンチした「あずかるこちゃん」は、子育て中の親にのしかかる病児保育の負荷を、病児保育施設の利用フローのデジタル化によって軽減する。

 システムはすべてAWSクラウド上で構築されているが、園田氏はAWSを選んだ理由を「当社のエンジニアから"エンジニアの採用を増やすならAWS一択"と強調された」としているが、実際、競争が激化するエンジニア市場でスタートアップが良いエンジニアを獲得しようとするなら、エンジニアが利用しやすいプラットフォームを用意することは必須の条件といっていい。また、ローンチから1年で「あずかるこちゃん」の利用者数や契約施設数は大きく成長し、横須賀市、寒河江市、山形市、大分県といった自治体との連携も進んでいるが、「病児のデータや自治体のデータといったセンシティブな情報を扱うには、セキュリティ面で安心できるプラットフォームが必要」(園田氏)という点も重要だったという。

「あずかるこちゃん」は従来の病児保育施設の登録から実際に預けるまでのフローをほぼすべてデジタル化し、子育て中の親の負担を大きく軽減している

 現在は10月ローンチ予定の新機能である施設の詳細情報の確認に注力しているという園田氏だが、将来的には中国など海外への進出も視野に入れているという。専門家が親の代わりに子供を見守る病児保育という制度に関しては、実は「日本がもっとも進んでいて、共働き夫婦が多い中国や韓国には存在しない」(園田氏)という。実際、中国などからの問い合わせもきており、「あずかるこちゃん」のようなサービスのニーズはグローバルで拡がる可能性は高い。そして海外展開が具体化するフェーズに入れば、これまで多くのスタートアップのグローバル進出を支えてきたAWSの強力なサポートが期待できるはずだ。機能と組織をスケールさせるパートナーの存在は、コネクテッド・インダストリーズが掲げる「安心して産み育てられる社会をつくる」というミッションの実現に欠かせない。

10年前にはいなかった「コードを書く医師」

 医師による起業のメリットについて、アンターの中山氏は「興味をもって話を聞いてくれる人が多い」と語る。本稿で紹介したアンターとコネクテッド・インダストリーズのケースは、いずれも現代社会の抱える課題に対する解決の手段を事業の目的としており、幅広い層の人々の共感を得やすいという点で共通している。

 AWSジャパン インダストリー事業開発部長 佐近康隆氏によれば、コロナ禍で国内スタートアップへの投資額は減少傾向にあり、2019年に2103億円だった投資金額が2020年には1462億円と30%以上も減少している一方で、ヘルスケア・ライフサイエンス業界のスタートアップに対する投資金額は前年比で10%以上増加し、スタートアップ全体の約2割の規模となる294億円に達しているという。

AWSジャパン インダストリー事業開発部長 佐近康隆氏

 追い風が吹くヘルスケアスタートアップの中でも、医師による起業は事業目的が明確で、社会貢献に直結することから、さらに強い関心を呼び寄せていると思われる。「課題の解像度が高いことは医師起業にとって重要なポイント。日々の診療で見えてくる課題をシャープに浮かび上がらせる、それができるから多くの人が話を聞いてくれるのでは」(中山氏)。

 また、医師が起業することで「(医師の)アウトリーチの範囲が拡がる」(園田氏)という点も、これまでの医療の世界にはなかったことだろう。臨床と研究/教育がキャリアのすべてだった医師に、起業という新しいパスが加わったことで、関わる人々も求められる知識も変わりはじめている。AWSやエンジニア、スタートアップ界隈とのつながりもそうした変化のひとつだといえる。

 もうひとつ、医師の起業に関して10年前にはなかったトレンドがある。それが「コードを書く医師」の存在だ。中山氏は、「5年前10年前にはコードを書く医師なんていなかった。でもいまはふつうにコードを書く。医師からエンジニアに転職したケースや、コーディングできる医師の採用案件もある。5年後10年後にはきっと医師のエンジニアはもっと身近な存在になっているはず」という。

 中山氏自身は2017年に最初のサービスを立ち上げたときは「自分の技術的素養のなさで、システム構築がうまくいかないこともあった。AWSの技術支援に助けられた部分は多い」と振り返るが、これからはAWSによる医師への技術支援といったケースも増えそうだ。エンジニアリングを身につけた医師であれば、日々の診療から見えてきた課題を解決するサービスを、自身の手で即座にプロトタイピングできるようになるだろう。そうなれば医療のあり方も大きく変わることは間違いない。

 あらゆる社会構造が劇的に変わりつつある現在、これまで内部から変革することが難しかった医療の世界もまた、コロナ禍とデジタル化により変化を余儀なくされている。その中で働く医師たちも、従来とは異なる価値観を獲得しはじめた。起業という選択肢が医師にとって一般的な、魅力あるキャリアパスとなる日はそう遠くないのかもしれない。

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