フジテレビプロデューサー赤池洋文が紡ぐ!読むだけで美味しいラーメン「物語」 第24回
名物女性店主が初めて語る……夫婦二人三脚で生み出した孤高の絶品「東京中華そば」 中華そば 多賀野(東京・荏原中延)(前編)
2020年08月12日 12時00分更新
私がラーメンを食べる上で「味」よりも大切にしているのが「物語」。「物語」は何にも勝る最高の調味料。お店がこれまで紡いできた「物語」と、私が勝手にお店と紡いでいる偏愛に溢れた「物語」を紹介します。
そのお店の開業は1996年。東京ラーメンの王道を行く、優しくもコクと旨味溢れる清湯醤油の「中華そば」で一躍人気店に。以来20余年に渡り、行列が絶えることのないお店を切り盛りするのは、専業主婦からこの世界へ飛び込んだ女性店主。私も、こちらのお店の優しいラーメンと、優しい店主の笑顔に何度も癒されてきました。
今回、私が「物語」を紡ぐのは、今や地元の常連から全国のラーメンファンにまで愛される、東京を代表する名店「中華そば 多賀野」です。
実は私は、かつて勝手ながら「多賀野」と紡いでいた「物語」がありました。それは、2017年のこと。当時私は、BSフジで『RAMEN-DO(https://www.bsfuji.tv/vod/library/ramen.html)』というラーメンをテーマにしたドキュメンタリーを制作することになりました。番組のコンセプトは、「1時間で1店舗を徹底的に深掘りする」というストイックなもの。その中の1軒として、私は是非とも「多賀野」を描かせていただきたいと考えておりました。
その理由は、このお店が、ラーメン好きなら誰もが知る名店でありながら、どことなくミステリアスな雰囲気を醸し出していたから。というのも、店主が元専業主婦という異色のキャリアの女性だということもあってか、横のつながりが強いラーメン業界において、「多賀野」は他のラーメン店との接点が全く見えませんでした。まさに「孤高の名店」という言葉がピッタリな存在。そんな女性店主に是非ともお話を伺ってみたいと思ったのです。
こうしてオファーをしたところ、ご快諾を頂くことができました。ところが、「さぁ撮影を始めよう」と思った矢先に、想定外のことが起きました。店主の髙野多賀子さんが大病を患ってしまい、お店を休業することになってしまったのです。当然撮影も中止となりました。
ただ、その後、多賀子さんは無事完治し復帰。今は毎日元気にお店に立たれています。そこで、私はあの時撮ることができなかった幻のドキュメンタリーを、コラムという形で実現させたいと思い、再オファーを試みました。そして今回、それを実現させることができました!
「さぁ、女性店主の多賀子さんの奮闘記を紡ぐぞ!」と気合いを入れて取材に臨んだのですが、実際に多賀子さんの口から語られたのは、多賀子さんお1人のお話ではありませんでした。そこには、これまでほとんど語られたことのない、ご夫婦の二人三脚の「物語」があったのです。
孤高の名店「多賀野」。その待望の「物語」が開演です─。
店主の髙野多賀子さんは1956年生まれ。新潟県十日町出身です。子供の頃は、ラーメンよりは蕎麦が身近にある生活でした。というのも、十日町の名産品はへぎそば。海藻をつなぎに使っており、他の蕎麦にはないツルツルとした食感と強いコシが特徴です。このへぎそばが多賀子さんの麺の原体験であり、これが後のラーメン作りにおいても大きく影響することとなりました。
高校卒業後、短大進学の際に上京。その後、東京でアパレル関係の仕事に就きました。この頃、多賀子さんに人生を変える大きな2つの出会いがありました。
まず1つ目がラーメン。当時多賀子さんは杉並区に住んでいましたが、この頃から杉並はラーメン激戦区。荻窪の「春木屋」や「丸福」、あるいは永福町の「大勝軒」など、名だたる名店が軒を連ねていました。新潟でかなりあっさりとした出汁の蕎麦を食べていた多賀子さんにとって、煮干しでしっかりと出汁をとったラーメンは衝撃的でした。「ラーメンってこんなに美味しいんだ!」。感動した多賀子さんは、それ以来ラーメンの食べ歩きを始めました。
そして2つ目が、現在も連れ添うご主人です。元々、ご主人は高校時代の同級生。高校卒業後は全く連絡を取ってなかったのですが、お互いそれぞれ上京して、東京でたまたま共通の知り合いを通じて再会したのです。ご主人は実家が飲食店を経営しており、食べることが大好きだったということで、お2人は一緒にラーメンを食べ歩くようになりました。
お2人は27歳の時に結婚。結婚後もご夫婦でラーメンの食べ歩きを続け、その活動範囲は東京だけにとどまらず、当時ブームとなった喜多方などにも足を伸ばしました。さらに、ご主人の職業はフリーのカメラマンだったこともあり、仕事の延長で全国を回ってラーメンを食べていたそうです。本格的なラーメンフリークですね。
多賀子さんは出産などを経ながらも、ご主人とラーメンの食べ歩きを続けました。そのうち、お2人の中に、徐々にある感情が湧き上がってきました。それは、
「ラーメンを自分で作ってみたい!」
好きが高じて、ついに自宅でラーメンの試作を始めたのです。長年の食べ歩きで深めた知見をフル活用して、かなり本格的な試作を行いました。目的はとにかく「美味しいラーメンが食べたい」というシンプルなもの。当時はまだラーメン店をやろうなどと全く思っていなかったので、原価率なども一切考えることなく、とにかく全国の美味しい食材を集めてラーメンを作りました。3食ラーメンなんてこともザラでした(笑)。
ちなみに、現在の「多賀野」には看板メニューの「中華そば」以外に、「ごまの辛いそば」や「酸辛担麺」などの個性的なメニューがありますが、実はこれらは、この頃の試作から生まれたものなのです。それを聞くと、お2人の試作がいかにレベルの高いものだったか、想像に難くありません。
そんな髙野夫婦に大きな転機が訪れたのは、お2人が42歳の時でした。子供が小学校高学年になり、もうだいぶ手がかからなくなりました。そこで多賀子さんは何か仕事をしたいと考えて、ご主人に相談。「せっかくここまでラーメン作りをしてきたんだから、ラーメン屋さんがいいんじゃないか」という話になりました。幸い、開店資金となるくらいのお金が手元にあったので、借金なく始められるということも大きかったそうです。
「食べられなくなったらラーメンを食べればいいじゃない」
夫婦は笑いながら、開店を決意しました。
とは言え、実際どれだけのお客さんが来てくれるかも分からない中、いきなりご主人まで仕事を辞めてラーメン屋に専念するのは……ということで、ご主人はカメラマンの仕事を続けながら、お店を手伝うことに。こうして、店主は多賀子さんが務めることになりました。
ラーメンの味は、上京して最初に衝撃を受けた、魚介の香る醤油清湯。「シンプルだけど飽きが来ない、毎日でも食べたくなる味」。お2人が愛した「東京中華そば」で勝負することに決めました。
最初に出店したのは、今のお店から少し離れた品川区の中延駅付近。家からも近く、家賃も安かったこともありますが、一番の決め手は、とにかく人通りが多いことでした。「これだけ人がいるのだから、ここでお店を出せば間違いない」。期待に胸を膨らませました。ところが、実際は電車の乗り換えで人の往来が激しかっただけだということを、後に思い知ることに(笑)。
そんなスタートだったので、開店当初はなかなかお客さんが入りません。ただ、逆に空いた時間を利用して、色々な食材を試したり、味のブラッシュアップをすることができました。「この時間のおかげで、味が格段に良くなった」と、多賀子さんは言います。
オープンから1年半くらい経った頃、「ごまの辛いそば」が、ある雑誌に取り上げられました。当時は今よりも雑誌の影響力が大きかったこともあり、その反響は凄く、瞬く間に行列ができるほどに。さらに、「麺屋 武蔵」や「中華そば 青葉」と言った、魚介素材を効果的に使って出汁をとるお店が流行り始め、「多賀野」も方向性は違うものの、しっかり魚介を感じるラーメンということで、一気に話題になったのです。
お店が忙しくなってきたこのタイミングで、ご主人も仕事を辞めて、ラーメンに専念することに。元々スープ作りはご主人が主導してきたこともあり、ご主人がスープ担当。そして多賀子さんが具材の担当と、役割分担も明確にしました。ただ、お互いの仕事に思うことはちゃんと言い合うので、ぶつかることもしょっちゅう。そうやって、夫婦二人三脚、切磋琢磨しながら「多賀野」のラーメンはどんどん美味しくなりました。本当に理想的なご夫婦像です。
2000年、旧店舗の行列もいよいよ凄くなり、近隣に迷惑をかけたり、大通り沿いで車の往来も多く危ないということで、移転を決意。お店の常連だった不動産屋さんの紹介で、今の荏原中延駅前の店舗に移ります。
このようなお話からも、改めて「多賀野」が地元の常連に愛されているということがよく分かります。他にも、常連さんに乾物の営業をしている人がいて、その人から乾物の扱い方を教えてもらったり。お客さんとの距離の近さが「多賀野」の特徴の1つです。実際お店の行列には、ラーメンフリークだけではなく、地元の常連である家族連れから老夫婦まで、本当に幅広いお客さんたちが見受けられます。
こうして、夫婦二人三脚で始めた「多賀野」は、現在の店舗に移転し、ここからさらなる進化を遂げていきます。
というわけで、このあたりで前編は終了です。後編では、自身のラーメンをもっと美味しくするために試行錯誤を続ける、髙野夫婦のさらなる「二人三脚物語」を紡ぎます。「多賀野」の代名詞とも言える、直前に手鍋で追い出汁をする「手鍋方式」。そこに使われている出汁パックの意外な誕生秘話とは? また、ご主人が「60(歳)の手習い」と決意して始めた「自家製麺」奮闘記も。そこには、まさかの娘さんのご協力と、ご主人の執念とも言える徹底的なこだわりがありました─。
「女性店主・多賀子さん」だけではない、これまであまり語られることなかった「多賀野」の意外な一面を、引き続きお届けできればと思います。後編をお楽しみに!
赤池洋文 Hirofumi Akaike (フジテレビ社員)
2001年フジテレビ入社。ドラマ「ラーメン大好き小泉さん」、ドキュメンタリー「NONFIX ドッキュ麺」「RAMEN-DO」などラーメンに特化した番組を多数企画。大学時代からの食べ歩き歴は20年を超え、現在も業務の合間を縫って都内中心に精力的に食べ歩く。ラーメン二郎をこよなく愛す。
百麺人(https://ramen.walkerplus.com/hyakumenjin/)
本人Twitter @ekiaka
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